独居の親が死ぬとこんな目にあう

ちょっと古い話になりますが、2007年の5月28日に父親が急逝しました。(享年70)

父は横浜市内にある県営住宅で一人暮しでした。

これはその時の出来事を綴ったものです。長文ですが、なにかの参考になったら幸いです。(日付、値段等はすべて2007年のものです)

5月28日(月)16:30
弟からメールあり。
「叔母(父の妹)あてに、兄(俺のこと)の名前を語って、お金を振り込んで欲しい。という電話があったんだけど、絶対ありえないから相手にするなと言っておきました。」

ふ~ん、振りこめ詐欺か・・・まだ下火にはなっていないのか・・・。
一応心配だから自分も叔母にメールする。
「金借りるなら、叔母さんに相談する前に、かみさんに相談するよ。間違っても相手にしないで下さい」

で、弟からのメールの最後に、
「また、親父と連絡とれないんだ。相談事があるからメールしているのに・・・」とあった。
親父は以前酔っ払って携帯を店に忘れて、連絡が1日とれなかった前科があったので、「とりあえず様子みて明日連絡してみれば」と軽い気持ちで返事を返す。
実は、この時親父は既に事切れていた。

5月29日 (火)9:40

妻からメールあり。
「隣りの部屋の人が引越しした(^o^)」
隣りの部屋は喫煙者だが、いつもベランダでタバコを吸っていたので、ウチの部屋に煙が流れ込んできて閉口してたのである。なので、引越しはラッキーな事だ。
早速こんなメールを返す⇒「(~_~)V」

もう一通メールが入っている。弟からだ。
昨日の続きかな?(振りこめ詐欺の方)と思いつつ開いてみると、こんなことが書いてあった。
「親父逝去。大至急連絡されたし」

一瞬、意味が飲めこめず、3回位読みなおす。

一呼吸して、とりあえず電話。
俺「どういうこと?」
弟「いや、だからそういうこと」
俺「どんな状況なの?」
弟「いや、俺は風邪引いてて動けなかったから、
叔母さんに頼んで様子見に行ってもらったんだ。そしたら、叔母さんから電話があって『死んでる』って・・・」

叔母は父の近くに住んでいるので、たまに行ったりしている。
昨日から連絡が取れず、今朝になってメールしても電話しても出ないので、「いよいよ変だ」ということになり、弟から叔母の方に見に行ってくれるように連絡したらしい。

俺「すると、叔母さんは親父の部屋にいるわけか?」
弟「そう」
俺「じゃ、俺は叔母さんに電話してから、とりあえずそっち行くから」
弟「俺も、ちょっと体調悪いけど、なんとか行くから」

叔母に電話する。
携帯を持つ手がちょっと震えていた。

俺「え~と、どう?」
どう?、って聞くのもなんだが、適当な言葉が出てこない。
叔母「私が行ったら、もう倒れててね。なんだか部屋も荒らされている感じで・・・」

となると、もしかして事件なのか?

俺「今からそっち行くから、弟も向かっているんで、もうちょっと待ってて」
叔母「ほんと、お願いします。もう、どうなっちゃてるんだか・・・」
俺「警察は呼んだ?」
叔母「一緒に付き添ってくれた、団地の会長さんが呼んでくれた。まだ来てないけど」

一人暮しで死亡した場合、とりあえず現場をそのままにしておいて、検証しなければいけないらしい。

電話を切る。
職場に戻るまでに、何と言って早退するか考える。
いきなり「父が死んだ」とは言えず。というか、「死んだ」ということを言いたくなく、「突然入院しまして・・・これから見舞いに行きます」と言って、早々に会社を出る。

駅までの道すがら「長い1日になるかな・・・」とぼんやり思う。
叔母の「部屋が荒らされていて・・・」の言葉が気になる。
もし事件だったら、さらに面倒なことになるし。

「まいったなぁ~」と、若大将シリーズの加山雄三みたいな独り言が思わず出る。

5月29日(火)12:00

駅に向かう途中に妻に電話。

妻「どうしたの?」
俺「いや、今弟と叔母から連絡があって、親父が死んだらしいって・・・」
妻「エッ、親父って、うちじゃなくて、そっちのお父さん?」

妻の父も今入院中である。

俺「そう、俺の親父の方」
妻「どうして!?、この前まで元気だったのに!」

親父とは5月4日に3人で会っている。

俺「俺も状況よく分かってないんで、これから親父の家に向かうから、そっちも会社を早退して、家で待機していて欲しいんだ」
妻「分かった。すぐに帰るけど、どうしてぇ~」
俺「悪い、なんか分かったら、また連絡する。」

もし事件性があるとしたら、警察に行っていろいろ
聞かれたりするんじゃないのか?
会社から親父の家までは、早くても1時間はかかる。
とにかく、長くなりそうなので何か食わねば。
食欲はもちろんないが、食欲とは別にして、腹に流し込まなければ。

JR品川駅のコンビニでとりあえずオニギリを2個買う。
1個半食ったところでギブアップ。吐き気がしてきた。

電車に乗ったら、弟からメール。
「今、検証中です」

どうやら現場検証が始まったらしい。

もう、この時点で「親父は死んでいる」と腹を括ったが、
「事件だったら、面倒な事になるなぁ」とか、
「犯人はすぐ捕まるかなぁ」とか、
「裁判はどんな風になるんだろうか」など、
すっかり「殺された」という方向に頭が行ってしまっていた。

と、同時に
「天気がいいなぁ」とか「みんな俺がこういう状況になっているなんて、思ってもいないんだろうなぁ」とか「あのネエちゃん、えらい薄着してるな」などと、どうでもいいことも頭に浮かんでしまう。
こういうのを現実逃避というのだろうか。

再び「まいったなぁ~」と呟く。
とにかく正気を保っていなければ・・・・。

5月29日(火) 15:00

横浜近郊のとある駅に降りて、親父のいる団地に向かう。
団地が段々近づいてくる。

「パトカーが数台停まり、黄色いテープが張られ、係員が慌しく行き交う・・・」
イメージとしてはこんなのを想像していたが、団地の前に着いてみると、パトカーはおろか人の姿も見えない。

なんとなく拍子抜けして、エレベーターで上に行く。部屋の前の外廊下に、弟がしゃがみこんでいる。体調悪そうだ。叔母の姿は見えない。

俺「どうなっている?」
弟「今、検証中。まだかかりそうだな」
俺「叔母さんは?」
弟「下の階の人の所で休んでる。ちょっと気分が悪いって」

叔母は第一発見者だったので、かなりショックを受けたようだ。

玄関を開ける。
親父は奥の部屋で倒れているみたいで、ここからは見えない。
検証の係員に声を掛け、自分も中に入ろうとしたが、「ちょっと待っててください」と制される。

一旦、外廊下に出て弟と無言で待つ。
そこへ、団地の会長がやってくる。

俺「すみません、この度はお騒がせして」
会長「いやいや、あの、独りで死ぬと警察呼ばなきゃいけないからね」
会長、なぜか笑顔で答える。

会長「いや、つい最近会ったばかりなんだけどね。この前まで全然元気だったよ」
俺「自分も先週まで連絡とってましたが・・・」
会長「この前もね、下の階で一人死んだのよ。その時は1ヶ月くらい発見されなくてねぇ」

会長、あいかわらず笑顔で答える。

会長「あんた、息子さん?」
俺「ええ、長男です」
会長「ああそう、で、この後どうするの?」

どうするって言われてもなぁ・・・

俺「とりあえず、検証の人の話聞いてから考えます」
会長「そう、じゃ、葬儀の日程とか場所が決まったら連絡くださいね。私はちょっと用事がありますんで、これで失礼」

と、会長笑顔で去る。

俺「あの会長、笑い過ぎだな」
弟「・・・ふざけやがって・・・」と呟く。

叔母さんが下の階の人に付き添われてやってきた。
足元がよろよろしている。

下階の人「ちょっと休んでたのよ。なんか気分が悪いって」
叔母「ああ、大変だったね。急に来てもらって、悪いね」

悪いもなにも・・・

叔母「あたしが来た時には、もう倒れて動かなかったのよ。それで、一緒にいた会長さんが警察呼んでくれて・・・ああ、なんだかねぇ・・」

ほんとに「なんだかなぁ・・・」だ。
待つこと小一時間。検証の人が顔を出す。

係員「あの、息子さん?」
俺「はい」
係員「この後、詳しく説明しますが、とりあえず遺体を検死医のところに搬送しなければいけないんで、葬儀屋を決めてもらいたいんだけどね」

もう葬儀屋か・・・。

俺「分かりました、ちょっと調べてみます」
係員「なるべく早くお願いします。葬儀屋が決まったら、私が電話に出て指示しますから」
俺「はい・・・」

親父が互助会に入っていることを知っていたので、連絡先を調べようと思い、自宅に電話。
妻はもう家に帰っていた。

俺「悪いけど、ひきだしのどっかに互助会の資料があるんで、探してくれないか?」
妻「分かった。で、どんな感じなの?」
俺「まだ、検証中。あとで説明するって」
妻「もう、亡くなっているの?」
俺「うん、まだ遺体は見てないけど」

30分位探してもらったが、結局資料は見つからず。
しかたなく電話帳で葬儀屋を探すが、どれを選べばいいか見当がつかない。

ふと、「財布に入ってるかな?」と思い、自分の財布を開ける。

あった。

「○○互助会」と書いてあるカードを発見。
電話する。

互助会「はい、○○サービスです」
一瞬間違えたかと思い確認したが、社名が変わったとのこと。

俺「あの、今日父が亡くなりまして、父がそちらの互助会に入っているらしいので電話しました」
互助会「ああ、それは・・・この度はご愁傷さまです」

「ご愁傷様」と言われて、なんと答えていいかわからず、思わず「はい、ありがとうございます」
などとマヌケな受け答えをしてしまった。(正しくは「恐れ入ります」らしい)

父が会員であったことを確認してもらって、係員に電話を代わってもらう。
搬送用の車が来るのは、1時間後とのこと。

係員「では、息子さん入って下さい。今から説明します」

弟と部屋に入る。

5月29日(火)16:00

部屋は薄暗く、なんともいえぬ臭いがする。
父はベッドの上にいるらしい。布団が掛けられているので、まだ顔は見えない。

係員「お父さんはここでうつ伏せに倒れてまして・・・」

ベッドの下の畳には血痕が付いている。

係員「落ちた時に鼻を打ったみたいで、鼻血が出てました。」
俺「はあ」
係員「ベッドで何かあって、そのまま起き上がろうとして、落ちたんでしょうね」
俺「はあ」
係員「中に入るとき、玄関のカギは掛かっていたようです。窓のカギも掛かっていますし、外から誰か入ったということは無さそうです。」
俺「はあ」
係員「外傷も無いし、着衣の乱れも無いので、事件性は薄いと判断します」
俺「はあ、そうですか」

「着衣の乱れ無し」などという言葉を生で聞くことになるとは思わなかったが、とりあえずこれ以上面倒な事態にはならないみたいだ。
部屋が荒らされて・・・というのも、どうやらあまり掃除してなくてちらかっていたのを、叔母が勘違いしていたらしい。

係員「では、遺体の確認を・・・」

布団がめくられる。

「変わり果てた姿」という言葉があるが、
親父の姿はまさにそれだった。

係員「死亡時刻は、多分27日の日曜夜から朝にかけてでしょうか。27日の深夜にコンビニのレシートがありましたから」

丸一日以上、うつ伏せになっていたので顔全体が紫色だ。うっ血している。それと死斑が少し。
鼻には血がこびりついている。

ドラマだと「親父ぃ~!」と叫んですがりつくとか、あるいはへなへなと膝をつくとかだが、
現実は冷静だ。
多分、「冷静になろう」とする脳の制御の方が強いのだろう。

俺「死因は?」
係員「はっきりとは分かりませんが、多分心臓の発作でしょう。特定はうちどもではできません。死因の特定は医学的なことになりますから。あくまでうちらは、事件かそうでないかを調べるだけなので」
俺「じゃあ、この後搬送して?」
係員「はい、特定するには解剖ができる病院に行きます。司法解剖するかどうかは医者の判断で決まりますが」

「司法解剖」という言葉も生で聞くことになるとは思わなかったが、「多分、解剖しなきゃ分からないなぁ、これは」と考えていた。

弟はじっと親父の顔を見ていた。
やはり「冷静になろう」としているのだろう。
「もういいかな」と思ったので布団を掛け直して、親父の顔を隠す。

その後、係員からは「最後に会った時期」「父が飲んでいる薬の種類」「いつごろからここに住んでいるのか」など質問があり、一つ一つ答える。
なんだか、いろいろな資料の名前を書いて、拇印を押したような気がする。
親父の名前の字が間違ってたので、訂正してもらう。

係員の仕事はここでひとまず終了なので、一人を残して撤収。

とりあえず遺体を運ぶために、少し部屋を片付ける。叔母は「動いてないと、気が紛れないから」と言って、やたらと働く。

そうこうしているうちに互助会が到着。
とりあえず病院に搬送するために、担架に乗せる準備。
布団が全部めくられた。
検証のためか、服は全部脱がされていた。
やはり顔と同じく、全身が紫色になっている。

後ろで叔母の悲鳴。どうやら見てしまったらしい。
「見ちゃダメだよ」と言って、叔母を玄関の外に出す。

担架に乗せ白い布で覆う。
1階にストレッチャーがあるが、エレベーターには奥の扉を開けなければ載せられない。
カギを借りにさっきの笑顔の会長の部屋に行くが、あいにく不在。

しかたなく階段で降ろす。途中で何人かの住人とすれ違う。
「そういえば子供の頃、団地に住んでた時こんな光景を見たなぁ」と思い出す。

検死には立ち会えるのかと思ったが、家族は立ち会えないとのことなので、車に乗せた所で見送る。

互助会「検死には結構時間がかかります。どこの病院でやるかまだ決まっていないので、2時間くらいしたらまた電話します」
俺「はい、わかりました」

妻はこっちに向かっている途中なので、3人で待つことにする。
じっとしているのも落着かないので、とりあえず掃除を続行する。叔母は風呂掃除まで始めた。

ベッドにも血痕が付いている。血を吐いたのだろう。

夜中に一人で死んだのか。
苦しんだんだろうか。
それとも、あっという間だったのだろうか。
死ぬ前に俺の顔が浮かんだのだろうか?
助けを求めていたのだろうか?

考えてると堪らない気持ちになってくる。
「一人で死ぬのは、やだな」と思う。
結局、死ぬ時は一人で死んでいくのだが、俺は誰かそばにいてもらわないと、かなわんな。

掃除は弟と叔母さんに任せて、とりあえず会社に連絡。死んだということを伝え、今週一杯は休みを取ることにする。
叔母さんの子供と、妹にも連絡。

「ええっ!元気だったのに、なんで!?」
と一様に同じ反応。
まあ、そりゃそうだろう。おとといまでピンピンしていたんだから。

この後は、通夜と葬儀の打ち合わせが待っている。
妻が到着したので、部屋掃除に参加する。

5月29日(火)16:00

互助会から連絡が来るまで、とりあえず掃除を続ける。
叔母が話し好きということもあり、皆押し黙ってという訳ではなく
結構話しをしながら作業する。

「いやあ、下手に助かって、長期入院とかがなくてよかったな」とか
「一日くらいで見つかってよかったよ。これが2,3週間経ってたらもっと凄いモノになってたな」
とか
「もう介護の心配も無くなったな。ほっとしたよ」

など、死んだばかりだというのに、ずいぶんバチ当たりな事を言っているが、思ってしまったのだから仕方がない。
「将来に渡って面倒を見る」という重責からは解放されたな、というのが正直な感想。

互助会から連絡あり。
司法解剖が終わったので、これから互助会事務所に遺体を搬送するとのこと。
掃除は切り上げ、弟の車で互助会に向かう事にしたが、葬儀の打ち合わせで長くなりそうなので、コンビニで買ったオニギリを食べる。

そういえば、葬式の写真も決めないとな・・・。
ふと、親父のベッドの横にあるテーブルを見ると、一枚だけ写真が置いてあった。
最近撮ったらしい、同年代の人達と写っている。

「多分、同窓会かなんかだな・・・」

親父は笑顔で、ピースサインまでしている。
「この写真はいいかも」
全員に見せる。みんな「これがいいよ」と意見が一致。
なかなかいい写真が見つからなくて困った、という話も聞くが一発で決まるとは。
まるで、「これを使ってくれ」と言わんばかりだ。
その写真を持って、互助会の事務所に向かう。

互助会に行く途中、携帯にメールが入る。
「最近会ってないので近々飲み会やりませんか、都合のいい日を教えて下さい」
昔、一緒に仕事していた人からだ。
「これから親父の葬儀の打ち合わせだ」と返事するわけにもいかず、
「う~ん、最近忙しいので、7月に入ってからまた連絡頼む」と打ち返す。

30分位で互助会事務所に到着。係の人が入り口で待っている。
入り口に一番近い小部屋が親父の安置所。中に通される。

妻は初めて遺体と対面することになるが、顔には白い布がかぶされているのでまだ見えない。

係員に訊いてみる。
俺「顔はまだ、あのままですか?」
係員「はい、お化粧などの専門スタッフはまた別のなので」
俺「そうですか・・・」

妻「顔を見せて欲しい」
俺「見ない方がいいかも知れないけど・・・」
ちょっと躊躇する。
叔母もまた思い出したのか、泣き出す。

でも仕方ない、顔を見ないとやはり気が済まないだろうと思い、「ちょっと覚悟してね」と言いながら布を取る。

妻、泣き出す。叔母も。弟はじっと見ている。
俺は「まいったなぁ・・・」と心の中で呟く。今日で何回目か?

とにかく通夜と葬式の打ち合わせをしなければならないので、叔母と妻は安置室に残し、弟と一緒に2階に上がる。

担当の人が紹介される。
担当「このたびはご愁傷様でした・・・」
俺「はあ・・・いや、あの、すいません」
また、マヌケな返事をしてしまう。
担当「喪主はご長男がなされますか」
俺「はい・・・」

最初に、親父が互助会にいくら積み立てたか確認。
どうも、満額ではなかったらしい。途中から振り込みが途絶えていた。
なので、予算内に納まらなければ差額分は持ち出しになるとの事。
「まあ、それなりにかかるんだろうな」と思っていたので「ああ、そうですか」と答える。

担当「まず葬儀の日程ですが、友引が6月2日なので、その前がいいかと」
2日は俺の誕生日だ。間が悪すぎるな・・・。

担当「それから、火葬場の状況ですが、31日は一杯で、1日なら午後1時と2時。
午前中はどの時間も空いてますが、葬式の時間が早くなってしまうので、やはり午後がいいかと」
と、いうことは31日通夜で、1日葬式か・・・。あまり選択の余地がないな。

担当「私どもの互助会が紹介している会場は、あさってから使用可能です。場所は町田です」
町田は普段の生活では、まず行かない所だ。
本当は自分の家の近くでやるのがいいのだが、あまり近所だと通るたびに思い出してしまうのかな、とも思う。

俺「どうする?」と弟に訊く。
弟「兄貴が決めていいよ。喪主なんだから」

選択の余地なし。悩んでいると、どんどん時間がなくなる。
こうしているうちに他の予約が入ってしまったら、また考え直しだ。

俺「じゃあ、この日程でお願いします。予約入れてください」

担当の人が連絡を入れて、葬儀会場と火葬場の時間を押さえてもらう。
31日通夜、1日葬式。これからはなんでも即答かな・・・。

担当「これからは、葬儀のお見積もりです。まず、祭壇を決めて頂きます」
俺「はい」
担当「お客様はこのコースを選ばれてましたが、満額ではないので1ランク下げるとこのような感じの祭壇になります」
写真みたが、あきらか満額の祭壇と比べるとリアルにショボイ。
ちゃんと積み立てておけよ、親父。

俺「これじゃちょっと寂しいので、こっちの祭壇にしてください」
と、満額払った場合の祭壇にしてもらう。
後で、通夜の会場を見て分かったことだが、これが結構大きくて立派な祭壇だったので、1ランク下でも充分だったな、と思った。
(教訓:祭壇の大きさは写真では分かりにくい)

担当「基本設営料としまして、祭壇、葬儀基本料、霊柩車1台、火葬料、家から病院までの搬送費用、骨壷代がかかりますので、代金はこのようになります。」
約90万円。親父は満額ではなかったが、約100万は積み立てていた。
「そうか、10万円くらいは戻ってくるのかな」と思ったが、これがとんでもない大違い。

これはあくまでも基本設営。この後、山のようなオプションを付けることになる。
オプションは一切付けないで、とはいかない。それでは葬儀が運営できないことになっている。

数々の名目で金額が加算されていく・・・
いちいち挙げてたら大変なので割愛。

説明を聞きながら、
「いったい、この葬式はいくらかかるんだろう・・・」と思い、遠い目になる。

5月29日(火)18:00

葬儀会場と火葬場は押さえたが、一つ重要なのを忘れてた。お経を上げる坊さんの手配だ。

墓がなければ互助会に頼んで、適当に都合のつく人を呼ぶのだが、うちは既に菩提寺があるので、そこの住職さんに頼まなくてはならない。
もし都合が合わなければ、また日程の考え直しになる。

どうやら、
寺の都合>遺族の都合>互助会の都合 の順で葬儀は優先されるみたい。

部屋を片付けてた時にみつけた、寺からの封書を持って来てよかった。
書かれている番号に電話をして日時の都合を訊いてみる。
幸い、両日とも住職さんは大丈夫とのこと。よかった、これで第1関門クリアか。

親父の名前と、生年月日、亡くなった日、年齢を伝える。その他、詳しい打ち合わせは翌日の午前中に行う事にする。

戒名を考えるので、祖父と祖母の戒名を紙に書いて持ってきてくれとのこと。
また部屋に戻って位牌を調べることにする。

さて、葬儀の打ち合わせは続く・・・
担当「住職さんなんですが、若い方ですか?」
俺「いや、かなり高齢です」
担当「そうですか、そうなるとお寺からこちらの会場まではハイヤーを手配することになると思いますね。ハイヤー代は含まれておりませんので、ご遺族の方がお支払いとなります」
俺「ああ、そうですか」
担当「2日間なので、そこそこかかりますね。通夜は寺と会場の往復分、葬儀は寺⇒会場⇒火葬場⇒寺となりますので・・・。
お若い住職さんだとご自分で車を運転される方もいらっしゃいますが・・・」

俺「しゃあないでしょ。迎えに行けるわけでもないから」
担当「ハイヤー代は距離に応じて値段が変わりますので、ご請求は葬儀が終わってからさせて頂きます」
俺「はいはい」

段々やけになってきた。いったいいくらかかるんだ・・・

担当「ハイヤーの話が出たついでですが、運転手さんへの心付けも用意です」
俺「心付け?」
担当「はい、霊柩車の運転手さんには5000円、火葬場に行くマイクロバスの運転手さんには2000円。ハイヤーは2000円・・・ハイヤーは2日分用意してください」

互助会がくれた資料の中には、ご丁寧にポチ袋まで用意してある。
わかりましたよ、つつみますよ。

担当「次に通夜の席のお料理と、葬儀の後の精進落としの料理ですが、何人分くらいご用意すればよろしいいですか?」

まだ、誰に連絡するかも決めてないのに、料理の数なんて判る訳がないだろう・・・
でも、一応決めなくてはならない。
おおよその数を言う。足りなくなると困るので多めに言う。

担当「では、お通夜のお料理の種類ですが、寿司とオードブルと天ぷら等ございますが、どれになさいますか?」
メニューを見せられる。もう、どうでもいいんだが・・・

俺「大体どんな料理を出されてますか?」
考えるのが面倒なので、逆に訊いてみる。
担当「寿司とオードブルと煮物で充分かと・・・」
俺「じゃあ、それで」
担当「万が一足りなくなった場合は、こちらで判断して追加する場合がありますが、よろしいですか」
俺「はい」

いいよいいよ、足りなきゃどんどん持ってきて・・・
(結局余って、通夜の後、親戚に寿司桶ごと持って帰ってもらった)

担当「葬儀の後の精進落としの料理ですが、懐石弁当をご用意させて頂いてます。メニューはこちらです」

値段が3段階位あったが、あまり考える気がしなかったので、真ん中のを選ぶ。

通夜と葬式の料理だけで20万円近い見積もりだ。
これに、飲み物代(飲んだだけの分)とサービス料が加算されるとのこと。
ああ、まいったなあ・・・
(でも、料理はまあまあ美味かったと好評だった)

その他、ドライアイス代、遺影代、会葬礼状、御礼品、遺体の防腐処理代、献花代、遺体安置料、式場使用料、控え室使用料・・・もろもろが加算されていく。

担当「通夜当日はお泊りになられますか?」
俺「はい、多分何人かは・・・」
担当「お一人様3500円で、控え室にお泊まりできます。風呂も付いているのでビジネスホテルよりも格安ですよ」
俺「はあ、そうですか。人数が決まったら教えます」

ここまでくると頭がいい加減シビれてきて(2時間ほど経っている)、思考能力も低下してきている。
そこが葬儀会社の思う壺か。
通夜当日の段取りなどを軽く説明され、見積もりの再計算。

担当「こうなります」

金額が提示される。200万か・・・べらぼうだな。
親父が積み立てた金額の倍じゃないか。

担当「まあ、多少多めに見積もっていますので、実際はこれより低くなるかもしれませんが」

嘘だろ、この見積もりじゃ見えていない分もあるだろう。
さっきのハイヤー代とか、サービス代とか、酒代とかだ。
身内の葬儀代を値切り倒した強物もいるという話も聞いたことがあるが、俺はそんな気力もなく、ただこの打合せを早く終わらせたかった。

担当「では、お通夜の前までに執り行う『湯灌(ゆかん)の儀式』の説明を・・・」

なんだ、まだあるのか・・・

湯灌の儀式とは、遺体を洗い清めて、黄泉の国への旅支度をする儀式だそうだ。(宗派によって違う)
最後に棺に納めるところまで行う。

担当「通常は、お湯を使って体を清めるのですが、遺体の状況が悪いので薬品で洗浄した方がよろしいかと・・・」
俺「ああ、そうしてください」
担当「どなたがご参加なされますか?」
俺「私と弟と・・・」

妻も参加させようかと思ったが、あの遺体の状況だとちょっと辛いかなと思い、俺と弟の二人だけで行うことにする。
儀式を担当する人はまた違う人らしい、メイク(死化粧)担当の人の予約も取り、明日の午後1時から開始ということでようやく解放。

下の階に降りる。
叔母と妻が遺体の前に座っている。今日のことを叔母からいろいろ聞いていたとの事。
遺体安置所はかなり寒い。
後で妻から聞いたのだが、叔母と話している最中「ちょっと寒いですねぇ・・・」と言ったら、エアコンの温度調節のフタが、パカッと自然に開いたそうだ。
多分、親父が気を利かせたのだろう。

同じころ福岡にいる妹の家の玄関でも、ガタガタと物音がしたそうだ。
多分、親父が挨拶に行ったのだろう。

とりあえず、今日やらなければないことはもうないので、一旦親父の部屋に帰ることにする。
時計を見ると夜10時を過ぎている。

担当の人に白木の仮位牌と、葬儀資料一式を貰い、車に乗り込む。
資料の中に「喪主になったら」という小冊子があったので、パラパラとめくる。
イメージタレントは海老名香葉子とロザンナだった。

親父の部屋についてから、まず戒名を控え、コンビニで買ったメシをみんなで食う。
11時になったので、今日は解散。
叔母には通夜までは何もしないで休むように言う。

弟は車で、叔母と自分は電車で帰る。
横浜についたら、もう終電だった。長い一日が終わった。

帰りの電車で妻が
「お父さん、最後に美味しいもの食べたかしら・・・」と呟く。
そういえば弟もまったく同じ事を言っていた。

俺「鍋に味噌汁が残っていたから、それを食べたんだろうな・・・」
死期が判っていたら食事も選べるが、いきなりだからな。
とりあえず自分は、コンビニ弁当とファストフードはあまり食べないようにしようと思う。

5月30日(水) 9:00

朝10時に菩提寺に行って、通夜~葬儀の打ち合わせ予定なので、昨日、互助会からもらッた仮位牌をリュックサックに入れて向かう。
京浜急行の車内で吉外に遭遇。
茶髪のオッサンが俺の真後ろで大声で騒いでいる。
まだ、朝の九時だ。
ここで、かかわってなんかあったらシャレにならない。別の車両に逃げる。
花月園前駅で「お前らどけ!」と騒ぎながら吉外が下車。競輪場にでも行くのだろうか。

寺に到着。
住職の妹さんが応対。葬儀の段取りを説明する。
遅れて、弟も到着。

通常、葬儀は「通夜」⇒「告別式」⇒「初七日」⇒
「四十九日」と日を変えて行うのが一般的だが、最近では初七日は、告別式と同じ日に執り行うのが多くなってきているとのこと。

火葬場の焼き時間との兼ね合いを考え、火葬場に向かう前に初七日法要を続けて行うことにする。
(火葬場から帰ってきて、初七日をする場合もあり)

肝心のお布施の話をしなければならない。
通夜と告別式のお経を上げ、戒名を付け、火葬場での読経、法話、もろもろ含めハウマッチ?

戒名というのは、宗派によって異なる(戒名が無い宗派もある)が、ランクというものが決まっている。
うちは祖父が信心深い人で、既に生前の内に戒名を今の菩提寺から頂いたらしい。
生きているうちにもらったので、戒名のランクも自分で決められる。
なので、なかなかいいランクだったらしい。

なので、後の人は困る。
なんとなく「祖父と祖母が付けた戒名と同じ感じで」とお願いしたが、ある漢字が付くか付かないかで戒名の値段が違ってくるそうだ。
もちろん宗派によって違うので、一概には言えないが。
寺が提示した金額は70万。

俺と弟絶句。
正直、多くても30万くらいかと思った。
俺は世間知らずですか?

俺「もうちょっと、なんとかなりませんか?」

思わず言ってしまう。昨日の葬儀の見積もりも頭にあったし。
寺の人「おいくらなら?」
俺「50万くらいで・・・」

ホントは違うのだが、30万でなどとても言えた
雰囲気ではない。
なんとか勉強してもらって、50万にしてもらう。
戒名のランクを下げればいいのだが、なんとなく
それも気持ち悪いので(あと、申し訳ないという気持ちもあり)、その値段でお願いしてもらう。

後でこの話を妻の兄(義兄)にしたら、「よくまけてもらえたなぁ」と感心していた。

たしかにお布施を値切るのは罰当たりかもしれない。だったら、互助会の方を値切っとけばよかった、と今になって思う。
お寺の住職は高齢にもかかわらず、通夜・告別式となかなか立派なお経を上げてくれたし。

仮位牌を渡し、寺での打ち合わせが終わる。
これから互助会の事務所に向かう。「湯灌の儀式」とやらが待っている・・・。

5月30日(水)12:00

少し時間があったので、弟の車で親父の部屋に向かう。
弟はあまり眠れなかったらしい、自分もさすがに昨日は明け方まで眠れなかった。

部屋に着いたら、親父が死んだことを伝える電話をかける。
親戚筋は昨日のうちに連絡していたので、今日は親父の昔の会社の知り合いや、同級生関係に連絡する。
自分の携帯だと着信拒否される恐れがあるので、親父の携帯で電話する。
全員留守電。平日の昼間だからか。
とりあえずメッセージだけ吹きこんでおく。

なぜ、親父の知り合いの電話番号を知っているかというと、今年の正月に、「もう、年なんだから、なんか会った時の連絡先を書いたものをくれ」と
親父に言っていたからだ。
3月の彼岸の時に「はい、これ」と渡してくれた電話帳。
まさか、こんなに早く使うことになるとは・・・。
正月早々、縁起でもないことを言ってしまったからか・・・。
「いや、これは単なる偶然だ」と自分に言い聞かせる。

連絡すべきところは全て連絡し、(ほとんど留守だったが)
後は折り返しを待つことにして、互助会事務所に向かう。

まずは、死亡届の確認。
実は昨日できていたのだが、名前がまた間違っていた(鑑識との引継ぎがうまくできていなかった)ので、再度訂正してもらった。

・・・死因「うっ血性心不全」
・・・死亡推定日「5月28日」
・・・推定時間「午前」
・・・発症から死亡までの期間「不詳」
・・・解剖所見「左右心室拡張、両肺うっ血、大小脳出血なし・・・」

27日の深夜から明け方にかけて死亡。
死ぬまでどのくらいの時間がかかったかは判らない。
左右の肺にうっ血があるのは、うつ伏せになっていたから。
と読み取れる。

俺「この病名について説明できますか?」
担当「すみません、私どもは医者ではないので医学的な質問にはお答えできません」

結局、詳しく聞きたいなら解剖した担当医に聞けとのこと。
病院なら医者が説明してくれるのだろうが、死後発見されているので死因に疑問を言ってもしょうがない。

で、湯灌の儀式。
親父の遺体は昨日とは違う部屋に置かれ、既に白装束になっていたが、ちょっと見える胸元には、大きな縫合跡があった。

「ああ、ほんとに解剖されたんだ」と思う。
後頭部にも縫合跡。
「大小脳出血なし・・・」の文字が頭に浮かぶ。

「それでは始めます・・・」
係の人の開始合図する。
・末期の水を口に含ませ(死に水を取るということか)
・足袋を履かせ
・脚半を着け
・胸に六文銭
その他もろもろ・・・

弟は途中から号泣。
俺は泣く事はなかったが、ふと見ると、儀式担当の人も泣いている。
『営業スマイル』は知っているが『営業泣き』初めて見た。

そして死化粧。
顔はもう紫色なので、厚めにしてもらう。
ほとんど白塗りに近い。まるで別人だ、生きているときの顔とは違っている。
遺体を前にしても、全然死んでいるという実感が沸かない。
儀式の途中でも、親父がいきなり目を開けそうな気がしてならなかった。

最後に遺体を棺に納め、約1時間で終了。
棺にはとりあえず紙の酒パックを入れる。ガラス・金属類は入れてはダメとのことだ。

その後は通夜の段取りの説明を受ける。

間に留守電を聞いた人から電話が入る。
皆驚いている。
中にはつい2週間前に会って、一緒に酒を飲んでいた人もいた。

とりあえず関係者に通夜、告別式の時間を告げ、地図をFAXで送る。
まるで仕事しているみたい。

通夜を翌日にしてよかった。
会場の都合などはあるが、死んでから(死んだと判ってから)中1日以上は空けないと、諸事片付かないので大変だと思う。

5月30日(水)17:00

供花(祭壇に飾る花)を出してくれる人の名前を確認するが、親戚の名前が意外にわからない。
ワタナベの「ナベ」とか、サイトウの「サイ」とか
どの字を使えばよいのか・・・?
祭壇に飾られた時に間違っているといけないので、
結局メールで名前を教えてもらい、申込書に書き写す。

運転手に渡す「心付け」を用意して係の人に渡す。
本来なら喪主が渡すのがいいのだが、当日はなにかと慌しいので、間違いがないように互助会の人から全て渡してもらうことにする。

帰り際に、納骨までに遺骨を飾る祭壇をもらう。
と、いってもあくまで仮なので、素材は段ボールで組み立て式だ。
「祭壇を飾る家(うちの事)まで来て組み立てます。これはサービスです」と互助会の人は言うが、
自宅で葬儀するならともかく、そうじゃないのでわざわざ葬儀屋を家に上げる必要もなかろう。

帰ったら早速組み立てることにする。

さて、明日はいよいよ通夜だ。また、長い1日が始まる。

5月31日(木)10:00

さすがに疲れていたので、よく寝れた。
朝起きてから仮祭壇を設置する。段ボールで簡単に組みたてられた。
線香立て、蝋燭立て、鈴、供物を並べる。後は遺骨を置くだけ。

黒のスーツをタンスから引っ張り出す。
15年ほど前に買ったのでデザインが今風では無い。
ズボンは太いし、前ボタンの位置もすごく低い。
でも、一応コムデギャルソンである。

早めに昼飯を食べておく。今日は夜まで食べられないだろうから。
いろいろと準備をして、14時くらいに家を出て、町田に向かう。
今夜は妻と斎場に泊まり込むので、一泊分の荷物を持っていく。

妻と2人で町田駅前のデニーズで待ち合わせ。
程なくして弟、妹、妹の子供(甥になる)、叔母、叔母の息子夫妻が集合。

昨日、受付の人を決めておいてください、と互助会の人に言われていたので、叔母の息子夫妻にお願いしておいた。
通夜、葬儀と2日間よろしくお願いしますと挨拶。

妹は朝の飛行機で福岡からやってきた。会うのはほぼ10年振り。
甥っ子はその時、生後何ヶ月だったので、完全に初対面である。
今はもう小学4年生。
何回か親父に会っているので、親父が死んだ事は判っているらしい。
大人に囲まれているせいか大人しくしている。

みんな小さいころは夏休みや正月には会っていたが、こうやって揃うのはもう何十年も無く、話が始まったら止まらなくなってしまい、17:00までに会場に行かなければいけないのに、遅刻してしまった。
30分遅れで到着。おまけに外は物凄い雷雨になっている。

「いつまで話しこんでいるんだ!」と親父が怒ったのだろうか?

遺族控え室に通され、通夜と葬式の担当者を紹介される。

のんびりしていられない、あと30分で始まってしまうので、すぐ葬儀場に行き、段取りの説明を受ける。

係「まず、供花のお名前を確認してください」
花に建てる名前が間違っていないか確認する。
でも、間違っていても、もう直しようは無いのだが。

係「次に祭壇に飾る順番を決めてください」
そうか、順番か・・・。誰が長男で、誰が次男だったか・・・。
うちはそんなに親戚が多くないので頭に入っていたが、沢山いると迷うだろうな。

祭壇は思っていたよりも大きく派手だった。
「ランク下げても良かったかな・・・」とちょっと思う。
遺影はちゃんと処理が施されていて、ピンボケも少なく良い写真だった。
なにしろ笑顔で写っているのがいい。

係「それでは席順ですが、喪主はこの席になります。ご親族の方々が前列です。後は縁の深い方から順番に座っていただきます。どのような順番がよろしいですか?」
また、即答が求められている。

俺「じゃあ、隣りは妻、その隣は弟、ここには妹と子供、後ろの席はここに叔母、隣りは叔母長女夫妻、ここにはその子供、その後ろは到着順で・・」

係「そうなると、片側の席に全て寄ってもらうことになりますね」
・・・そうか、それも変かな?

俺「じゃあ、反対側の方には妻の親族関係にしてください」
係「私どもは、奥様のご親族の顔が判らないのですが・・・」
・・・そりゃそうだ。ああ面倒くさい。

俺「今来ているのは私の親族関係なので、さっき言った通りに。後は適当に左右に散らばるようにしてください。」
どうせ、喪主は最前列だ。後ろにどう並ぼうと見えないのだ。

係「開始の合図は私が発声します、その後読経。読経の途中から焼香となります。ご焼香の時は、ご親族のお名前を順にお呼びしますか?」

・・・卒業式じゃないんだから、全員の名前はいいだろう。
喪主の名前だけ呼び、後は係の人から誘導してもらう事にする。

親父の顔を拝ませるため、一旦控え室に戻って、親族に斎場に来てもらう。

さすがに死に顔を見ると皆泣き出す。叔母は特に哀しそうだ。
そのままほっておいて、1階の雨の様子を見に行く。
物凄い雨と雷。落雷で電車が止まっているとの情報もある。

親父の旧友の方々がもう到着していたので挨拶する。
子供の頃、数回会っているので名前は憶えているが、顔は記憶が無い。
「大変だろうけど頑張ってね」と励まされる。

係「導師さまがお見えになられました」
一瞬誰のこと?と思ったが、お坊さんのことだった。

控え室に通される。
お坊さんは80歳を越える高齢なので、付き添いの人がいるのかと思ったが、なんと一人でお見えになっていた。
うちの菩提寺の住職は尼僧である。
背がとても小さく、女優の原ひさ子そっくり。

二人きりになって、お礼の挨拶を述べる。考えてみたらこの人1対1になるのは初体験だ、ちょっと緊張する。
住職「お父様のご長男さん?」
俺「はい、そうです」
住職「お父様とお寺に欠かさず来てくれてましたね」
俺「はい、そうですね。盆と彼岸で年3回は必ず」
住職「なかなか、ご立派ですね。これからもいい供養なさってください」
俺「はあ、わかりました・・・」
穏やかでとてもいい人なので、お布施を値切った事がつくづく申し訳ない気がした。

住職はメニエールを患い、ちょっと足がふらつくそうだ。
身体に気をつけてもらい、元気でいて欲しい。
せめて親父の1周忌までは・・・。

会場に戻って、係の人を打ち合わせ。
雨のせいで到着が遅れる人がいるので、開始を少し遅らせる事にする。
係の人から住職に了解を取ってもらう。

5月31日(木)18:30
通夜が開始される。

住職が入場。みんなはその間合掌。
席に着き、読経開始。
その瞬間、ひときわ大きい雷鳴が轟いた。タイミング良すぎ。
住職の朗々とした読経が響く。さすがに年季が入っている、このお経は良かった。
今まで、真剣にお経を聞いた事など無かったが、今夜は心に沁みる。
お経が心地良くて、この後焼香が待っているというのに、不覚にも眠くなってきた・・・。

10分ほどして焼香タイム。
焼香というのは、最初やった人の真似をするものなので、間違えないようにする。
妻と並んで、祭壇に一礼。振り返って片側の参列者に一礼、もう片方に一礼。
元に戻って、住職に一礼。焼香を2回つまんで(3回かと思ってた)、合掌。
合掌が終わったら祭壇にもう一礼。振りかえってまた一礼。

と、いう段取りだったが、2人のタイミングが合わずグダグダでした。

この後は、参列者が順番に焼香。遺族はただ頭を下げるのみ。
大体40分位で通夜の読経は終了。
住職さん退場。明日も頼みます。

この後はお清めの席に行き、参列者にご挨拶。
こういう時、どの席にどのくらいの位の時間居ればいいのだろうか?

自分の親戚関係は、あまり居なくてもまあ良いだろう。とりあえず、今日来て頂いたことを感謝して、頭を下げる。

妻の親戚関係も、まあいいだろう。しょっちゅう会っているし。
こちらも今日来て頂いたことを感謝して、頭を下げる。

親父の旧友関係。ここはちゃんとしておいた方がいいだろう。
子供の頃、何回か会った時の記憶を引っ張り出してきて、話をする。
皆親父と同じ年だが、親父より老けて見える人、若く見える人、さまざまだ。
この人達は5年ほど前、親父が入院した時も見舞いに来てくれた。
同年代の人が死ぬと、ショックが大きいと言うが・・・。
皆、驚いた驚いたの感想。いや、ワタシも同感ですよ。

妻の友達関係。親父とは特に面識ないのだが、ありがたいことに来てくれた。
ここは妻に任そう。

自分の会社関係。
一応義理で来てくれたのだが、こういうのが一番話しやすい。
普段、現場にあまり来ない上の人もいるので、ここぞとばかり職場の近況を話し、鬱憤を晴らす。
結局、ここに一番長く居座った。

5月31日(木)21:00
参列してくれた人達を順次見送り、通夜終了。

遺体は控え室に運んでくれる。
ここのホールは控え室に宿泊できるので、今夜はここで寝ずの番となる。
親族が集り、親父の顔を覗きこみながら、思い出話に花が咲く。
甥っ子も興味深げに、棺に入った親父の顔を見ている。

余ったお清めの料理を持ちこみ、皆で酒を飲みはじめる。
とりあえず、今日の役目は終わった・・・ちょっとほっとする。

通夜はまだ、こう言ってはなんだがお祭り気分みたいで、皆のテンションも高い。
ただ明日は最後の別れになるので、そうもいかないだろう。

5月31日(金) 23:00

通夜の線香は2,3本ずつ点けて、一晩中絶やさないようするものだと思っていたが、実際は6時間くらい持つ「渦巻き線香」が棺の前にあるので、途中で寝てしまっても線香が絶えることはない。

しかしまあ気分の問題なので、長い線香とは別に1本づつ点けることにして、妻と弟の三人交代で「寝ずの番」をする。
1本辺り20分で燃え尽きるので、それを見計らって次の線香を点ける。

前半は弟、中盤は妻、後半(朝まで)は自分にして、テレビを見ながら朝まで過ごす。

6月1日(金)9:00

葬式の朝を迎える。眠いことは眠いが、今日でとりあえず一段落か。
外はまだ曇り空。段々晴れてくるらしい。
近くのビジネスホテルに泊まっていた、妹と甥が到着。続いて、叔母の息子夫妻。
同じく娘夫妻。
今日は、昨日来れなかった叔母の息子の子供(4人兄弟!)もやってきた。
上から、中1、小5、小3、年長組。
みな、棺の中を覗きこむ。興味津々の面持ちだ。
妹の子供とはまだ打ち解けていない。まあ初対面だからしょうがない。

昨日の残り物で適当に朝飯を食べ、時間まで過ごす。

6月1日(金)11:00

係の人から葬式の段取りの説明を受ける。
今日は最後に「喪主あいさつ」が待っているので気が重い。
妹に「なんか言う事考えた?」と聞かれる。
一応「喪主あいさつの例文」をもらっていたので、読んでみる。

「・・・ご多忙中にもかかわらず・・・」
「・・・故人にはひとかたならぬ・・・」
「・・・ご厚情賜り・・・」

いままで一度も使った事の無い言葉だ。

俺「これはカミそうだな・・・」
妹「ちゃんと憶えられるの?」
俺「ヤバくなったら泣いたふりするよ」

係「喪主あいさつの他に、精進落としのあいさつがありますが・・・」
俺「ああ、それも私がやります」
係「その後の献杯のご発声もありますが」
俺「それも私が」

誰かに頼むのが通例だそうだが、参列した人にいらぬ緊張を強いるのも悪いので、流れで全部自分が行うことにする。

係「喪主の方はかなり疲れますので、無理なようなら代役も考えておいてください」
俺「大丈夫ですよ。大したことは言いませんから」

そうこうしているうちに葬式に参列してくれる人達も到着。
親父の旧友達は今日も来てくれた。

6月1日(金) 12:00

葬式開始。
昨日と同じように住職登場で合掌。
読経が始まり、途中で焼香をする。
約30分位で葬式が終了。
続いて初七日法要。
火葬場から帰ってきて行う場合もあるが、焼き場の予約時間の関係で先になった。
今度は親族だけの回し焼香。祭壇には行かず、座ったまま焼香壺を回して行う。

大体20分で粛々と終了。

住職退場後、喪主あいさつ。
前半ちょっとカミ気味だったが、なんとか言いたいことは言って、無事終了。
席に戻ったら汗が出てきた。

6月1日(金)13:00

そして最後のお別れ。
何度か立ち会った事があるが、ここは葬式の中でも一番盛り上がる(哀しい)瞬間だ。
祭壇に飾っている花を棺に埋め、参列者が声を掛けたりする。

棺に酒を沢山入れた。

係「お酒がお好きだったんですか?」
俺「はい、結構」
係「よろしかったら、お酒で口を湿らせてあげてはいかがでしょうか?」

ちょっと演出が過ぎるかな?、と思ったが折角の提案なのでそうすることにする。
棺に入っていた酒を一つ取り出し、コップに入れる。
榊の葉に酒を浸し、親父の口に付ける。
コップを皆で回し、それぞれ同じことをやってもらう。

叔母も弟も妹も従兄弟たち、みんな泣いている。特に、叔母は号泣。
泣いている人を見てると、さすがに自分もヤバくなりそうなので、自分は泣いていない子供たちを見ていた。

最後に棺の蓋を閉める。閉める間際、最後だと思い、親父の顔に触れておく。

6月1日(金)14:00

外はすっきりと晴れていた。

自分は位牌を持ち霊柩車へ。弟は遺影を持ちバスへ。参列者もバスへ。
住職はハイヤーに乗り、火葬場に向かう。
親父の旧友達は乗るかどうか迷っていたらしいが、皆に勧められて一緒に来てくれた。

昨日は気づかなかったが、葬祭場の入り口に親父の名前が書いてある門標が立っていた。

「ああ、ホントに死んだんだな、親父は・・・」
とようやく実感する。
「いつかは来ると思っていたが、まさか今日だとは思わなかった・・・」

霊柩車は自分一人で乗ったので、誰もいない。
考えてみたら、通夜から通して一人になるのは初めてだ。
急に力が抜け、一本だけ涙が流れた。

葬祭場を出発したら、すぐ横に神社があった。
「鹿島神社」と書いてある。

親父は大井町の鹿島神社で結婚式を上げていたことを思い出す。

これもなにかの因縁だろう。

6月1日(金)14:30

火葬場に到着。
ものすごい近代的な建物で、どこかの美術館のような造りだ。
とても火葬場に見えない。それに煙突も見えない。

棺を台車に載せた係員を先頭に、住職さん、喪主、喪主親族、参列者の順で火葬炉の入り口に向かう。
ここで本当に最後の別れ。住職がお経を上げる。
お経が終わり、係員が「よろしいですか?」と問いかける。
無言でうなづく。

火葬炉に棺が入る。扉が締る。これでお仕舞い。
住職がもう一度お経を上げて、その場で説法を聞く。

焼き時間は約40分。早い方だそうだ。
控え室に行き、しばし待つ。

妹の子供は野球をやっているらしいので、グローブを持ってきている。
いとこの子供たちを誘い、中庭でキャッチボールを始めた。
自分は見に行かなかったが、なかなかいい光景だったそうだ。

火葬が終了したとのアナウンスがあったので、集骨する部屋に行く。
係に人が「まずは親族の方々でご確認を」と言うので、自分と弟と妹の3人で先に確認しに行く。

係員「熱いので台には触れないでください」

火葬炉から出てきたばかりの骨は、物凄い輻射熱を発し、顔が焼けるようだ。
頭から肩、胸、腰、足、と順番に並んでいて、一応ガイコツの形に見える。

でも、これが親父の骨であるという確認はできないけどな・・・

係員「それではあちらでお待ち下さい」

皆がいる集骨する部屋に戻り、5分ほど待つ。

係員が持ってきた骨は、既に小分けにされていて、火葬炉で見た骨より量が少なくなっている。
多分、骨壷に納まる量に間引きしたのだろう。
なるほど、確認の意味が分かった。
あれが全身を見る最後の機会だったということか。

係員「こちらが上半身で、こちらが下半身です」

2つのステンレスの箱に入れられた骨を、係員が説明する。
子供たちが一斉に前に来る。たぶん理科の実験を見る気分なんだろう。

親族から順番に、合わせ箸で骨壷に納める。
一回りしたところで、余った骨は係員がまとめて入れる。

最後に残った骨の説明。

係員「これがのど仏です」
親父はでかいのど仏をしていたが、たしかに座禅を組んだ仏に見える。

係員「これが頭頂部の骨です」
最後に乗せる骨。きれいな楕円形になっている。

横にいた妻の兄が「ほお、見事だ・・・」と感心した声を出す。
義兄は商売をやっているので、付き合いの関係上火葬場まで行くことが多いのだが、今まで見た中で一番きれいな頭蓋骨だったと、後々しきりに感心していた。(横にいた親父の旧友も同感だったそうだ)

骨壷を持ち火葬場から葬儀場に戻る。
知らなかったが、行きと同じ道を通るのは禁忌とされているので違う道順を使う。
30分ほどで到着。

6月1日(金)16:00

最後は精進落とし。

参加者を親族のみに限定してしまい、親父の旧友の方々にはあいさつをしてお別れしてしまったが、せっかく来ていただいた人たちに精進落としをしないということは、全くもって失礼な行為であることを後で知った。(今でもすごく後悔している)

で、会食の席に着いたら、弁当が足りないと言われた。
どうやら子供の数を間違えていたらしい。
影膳の分を回し、それでも足りない子供の分はとりあえず分け合う事にしてもらう。
ちょっと慌てたが、遺影の前には茶碗蒸だけ据える。

喪主からのあいさつ。
告別式、収骨に参加してくれたことのお礼。互助会の方々へのお礼を述べる。
そして「献杯」(けんぱい、と読む)の発声。

なんとか終わった感あり。

子供たちはすっかり仲良くなっていた。
あまり食欲はなく、自分はビールばかり飲む。

親族にそれぞれお礼を言い、2時間ほどして解散。

6月1日(金) 18:00

自分たちは弟の車に同乗し、妹と甥を羽田まで送る。
二人は「また、四十九日に来るからね」と言っていた。

そのまま弟の車で自分の家に戻る。眼鏡を骨壺に入れ忘れていたので、一旦骨壷を開け(これもどうかな、という行為だが・・・)、入れ直しておく。
仮祭壇に遺骨を置く。
とりあえず線香と蝋燭を点け、拝む。
弟はコーヒーを一杯飲んでから、車で帰っていった。

祭壇に飾ってあった花を花束にして持ってきたので、花瓶に入れて飾る。
百合の花が甘い芳香を放っている。
もしかしたら、アリが寄ってくるかもしれない。

これが、5月29日から6月1日までの、たった4日間の出来事だった。
全部を書ききれたわけではないが、とても密度の濃い時間でした。

この後は、四十九日の日取りやら、部屋の片付けやら、諸般の手続きやら、残務整理やらがあるのだが、なかなか面白いネタがいくつかあるので、追々書いてみようと思う。

長々とした文章を読んでくださった皆様、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?