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朝顔の花が咲くためには

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『二度とない人生をどう生きるか』)(致知出版社)です。その中から「難関を越える」という題でブログを書きました。

本書の中に「自分の花を咲かせて生きる」という一文があったのでシェアしたいと思います。

心臓の鼓動を聞いたことがあるだろうか。胸に手を当てて聞くあの音ではない。心臓が血液を全身に送り出す源流の音である。ズビィーン、ズビィーンとも聞こえる。あるいは、ビィーコッ、ビィーコッとも聞こえる。それらを総集したような音である。ともかく、懸命な音である。ひたすらな音である。
心臓は昼夜24時間、一瞬の休みもなく、血液を全身に送り出すために、こんなにもひたむきに、真剣に努めているのか…。その命の根源の音を聞いた時、涙があふれた。生きるとは、ただ生き切るということである。この地上における生命あるものはすべて、ただ生きるという目的に向けて、全力をあげて生きようとしている。ただ生きる。そのことだけを信じて躍動している。それが生命の本質である。そして、それが天の意思である。心臓の鼓動はそのことを教えてくれたように思う。

作家の五木寛之さんから聞いた話がある。

朝顔の花は光を受けて咲くのだと思われていた。しかし、ある植物学者が朝顔のつぼみに24時間、光を当てていても、花は咲かなかった。朝顔の花が咲くには、朝の光に当たる前に、夜の冷気と闇に包まれる時間が不可欠なのだという。私たちは、生きているというだけですでに花は咲いている、と先に言った。それはまぎれもない事実である。
しかし、丹精を込めた花がさらに見事に咲くように、私たちも自ら意思することで生命をさらに輝かせ、深い花を咲かせることはできるのだ。自分の花を咲かせて生きる…。その道を自らのうちに探ってみたい。

今日のブログの福島さんのエピソードを思い起こしたとき、いかに我々が普段恵まれた生活をしているのか、日頃いかに不平不満が多いのかを反省させられました。それはつまり、ここに書かれているように、我々は「ただ生きる」ということが如何に大事かということです。生きているだけで花は咲いているということなんですね。

以前、私の父(もうだいぶ前に亡くなりましたが)に、切羽詰まってあることを相談したことがありました。そのときに父は「生きているだけでありがたい」とポツリと言ったのです。父は戦争に行き、その後、酷寒のロシアの収容所で5年間強制労働をさせられていた経験があります。死線を超えてきた父の言葉だけに重みがありました。

今日のブログの詳細はこちら☞人の心に灯をともす

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