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野暮天の極み

今日のおすすめの一冊は、越川禮子氏の『野暮な人イキな人』(日本文芸社)です。その中から「威張る人は野暮」という題でブログを書きました。

本書の中に「飲食店などで店員に横柄な人」という一節がありました。今日のブログと一脈通じるところがありますね。引用してみたいと思います。

立場が変わると人が変わる人がいます。ふだんは店頭に立って「いらっしゃいませ」などとやっている人が、こんどは客の立場になると、いやに横柄な態度をとる。売る側と買う側の立場が変わるだけで、まるで人柄まで変わってしまうタイプの人です。こんな人は、あなたの会社でも見かけるのではありませんか?
そう、あなたの上司。自分より上の人の前ではペコペコ、歯の浮いたようなおべんちゃらを使うくせに、部下に対しては、いやに尊大に振る舞います。外部の取引先、それも立場が下の場合、無理難題をふっかけたりもします。こういう人は、居酒屋へ一緒に行っても、その店の店員に対して横柄な態度で接します。出されたものにいちいちケチをつけたり、店員をアゴで使おうとします。
なぜそんなに偉そうに振る舞わなければならないのでしょう。不思議なことです。必要以上に偉そうな態度をとったり、威張りちらすのは、江戸の庶民の間では、最下等の人間とされていました。町衆はみんな対等のつき合いが基本。そこに上下はなかったのです。あるのは、相手に対してへりくだる態度。
とくに、反抗できない弱い立場にいる者に対して威張るのは軽蔑の対象となりました。そういう振る舞いは野暮も野暮、逆に誰からも相手にされない振る舞いだったのです。このような、立場の弱い人に対して横柄な態度をとるのは、どこかに劣等感があるのでしょう。このような優越感は、劣等感の裏返しだからです。
仮に、江戸の町の居酒屋で偉そうに振舞ったら、どうなるでしょうか?おそらくその店の主人から、「そんなに偉いお方だとは存じませんでした…」と言われることでしょう。言われた本人は、そうだ、オレは偉いんだと胸を張りそうですが、実はこの言葉、江戸ではもっとも失礼な言葉なのです。
なぜなら、「では偉くない人には失礼なことをしてもいいのか」ということになるからで、他人に対して「そんなに偉いお方だとは…」という言葉を使うことは厳禁でした。誰に対してもへりくだり、敬意をもって接しない人に対しては、「お前さんのような性根では、江戸では生きていかれませんよ」とたしなめられたのです。
お天道様と仏様の前では、みんな平等…そういう考え方が町衆の間にはあり、徹底していましたから、威張り散らす人は、野暮天のイナカ者と揶揄され、相手にされなかったのです。たとえ客の立場でも横柄な態度はとれないと思うのです。これが共生・互助のコツをつかんでいた江戸時代の秘密だったのです。

会津藩に「什の掟(じゅうのおきて)」という、藩の子ども達にたいする重要な戒(いまし)めがあります。その中に、「卑怯(ひきょう)な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ」「弱い者をいぢめてはなりませぬ」という、項目があります。自分より弱い立場の人に、威張ったり、怒鳴ったり、居丈高(いたけだか)になる人は、人間としてレベルが相当低い。なぜなら、それは、弱い者いじめであり、卑怯な振舞だからです。それ、野暮天の極みですね。

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