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愛嬌と虞美人草

今日のおすすめの一冊は、本田季伸氏の『賢人たちに学ぶ 自分を磨く言葉』(かんき出版)です。その中から「愛嬌とは」という題で書きました。

夏目漱石の《愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ》という言葉がありますが、この言葉は、小説の「虞美人草(ぐびじんそう)」に出てくる会話です。

「君は愛嬌のない男だね」 「君は愛嬌の定義を知ってるかい」 「何のかのと云って、一分でも余計動かずにいようと云う算段だな。怪(け)しからん男だ」 「愛嬌と云うのはね、自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器だよ」 「それじゃ無愛想は自分より弱いものを、扱(こ)き使う鋭利なる武器だろう」 「そんな論理があるものか。動こうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐(へど)を吐くと知った人間に愛嬌が入るものか」
宗近君(28歳)と甲野君(27歳)は叡山に登り始めますが、甲野君は途中で気持ちが悪くなり道端で仰向けに寝転がってしまいます。そして、道端で寝て理屈を言う甲野君に向かって、宗近君が言った言葉が、「君は愛嬌のない男だね」。

虞美人草(ヒナゲシの別名)は項羽の愛人である「虞美人」という中国の絶世の美女が自決したときの血が、この花になったといいます。劉邦の軍に追い詰められ、八方ふさがりとなったときの状況を、「四面楚歌」。

愛嬌とは、全く関係ない話を書いてしまいました(笑)。

愛嬌は、最初は「愛敬」と書かれていました。「愛敬」はもともとは「あいぎょう」と読み、優しく、情け深い仏や菩薩のような穏やかな顔を示す「愛敬相」という仏教用語からきたそうです。その愛される顔つきや、人懐(ひとなつ)こい振る舞いや性格を表したものが「愛敬」。

この「愛敬」の反対が、僻みっぽいとか、がんこ、しかめ面、損得にこだわる、勝負にこだわって目が血走るというようなことです。愛敬の「敬」の意味が薄れるとともに、「嬌」の字が当てられるようになったそうです。

「和顔愛語(わげんあいご)」という仏教の言葉がありますが、 元々は、「和顔愛語 先意承問(せんいじょうもん)」からきています。 「先意承問」とは、相手の気持ちを先に察して、相手のためになにができるかを考えることです。「和顔愛語」とは、おだやかな顔、にこやかな顔と、思いやりのある言葉、愛ある言葉のことです。

「和顔愛語」のある人には「愛敬」があります。愛嬌力を磨きたいです。

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