人材はどこにでもいる
今日のおすすめの一冊は、童門冬二氏の『勝海舟の人生訓』(PHP文庫)です。その中から『勝海舟の「スペシャリストになれ」』という題でブログを書きました。
本書の中に「人材はどこにでもいる」という心に響く文章がありました。
『今、西郷がいたらとか言うのは、責任のがれのロ実だ』
勝のこの言葉は、現在でも、私達がよく聞く風潮に対する戒めだ。それは、状況が悪くなったり、あるいは、全体が閉鎖的になったりして、人間の姿が見えにくくなると、私達はよく、 「今、西郷隆盛がいたらなあ」 などと言う。
つまり、よく知っている歴史上の人物がすぐ近くにいたら、こういう湿っ ぱい閉塞状況を一気にひき裂き、脱出口を作って、行く手に展望を掲げてくれるだろう、 という期待である。 勝が生きた時代にもこんなことがよく言われた。
というのは、彼等が知っていた一流の人物である西郷隆盛や、坂本龍馬や、高杉晋作などは、全部早死していた。残ったのは、 そういう人物達に比べれば二流三流の人物である。したがって、そういう人間が運営する政府の政策や施策が気に入るはずがない。
そういう時、「今、西郷さんが生きていたらこんなことはしないだろう」とか、 「今、坂本さんや高杉さんが生きていたらもっと社会は良くなるだろう」とか言うのだ。しかし、勝は決してそういうふうには考えない。
「世間で、ときどき西郷がいたらとか、大久保がいたらとか言う者がいるが、それは畢竟(ひっきょう)自分の責任を免れるための口実だ。西郷や大久保が、たとえ今生きていたとしても、今では、もはや老いぼれ爺だ。そんなことを言うのなら自分で西郷や大久保の代わりをやればいいではないか」
これは、勝の、 「過去をいたずらに振り返ってみても意味がない」 という態度を示している。勝の人生態度は常に、「今いる現状からスタートする。つまり、結果からスタートする」 ということを守っていた。
過去など振り返ってみても意味がない。また、死んでしまっ た人間が今生きていたらなあ、などと言ってみても始まらない。今の世の中をどうにかしなければならないのは、今生きている人間の責任である。いたずらに、過去の幻を追って、淡い期待をもってみても、それは所詮幻影にすぎない。
人間は現実を離れて生きてはいけないことを、彼は常に強調していた。 「人がいないのではなく、人を見る目がないのだ」 というのは勝の意見だった。その気になりさえすれば、今の世の中だって身の回りにもいくらでも西郷はいるし、大久保はいる。そういう見方をしないからそういう人間が現われないのだ。
あまりにも過去の人間を偉大視して、それをものさしにして現在の人間を推し量るから、そのものさしにかなう人間が少なくなる、と言うのである。
会社に長く勤務した人が辞めることになったとき、「自分がいなくなったら、この会社は困るだろう」という人がいます。しかし、その人がたとえ会社で重要なポストについていた人であったとしても、実際は、辞めたあとは、ほとんどが、なんの問題もなく、困ったことも起きず、いつも通り普通に運営されていくものです。
なぜなら、その人の部下で目立たなかった人が、代わりにグングンと成長し、そのポストを埋めていくからです。だから、いつまでも「自分がいなければ」と思うことは、ある種の驕(おご)りであり、思い上がりでもあるのです。
組織においては、いつだって代わりはいるものです。だからこそ、出処進退は鮮やかにしなければいけないということです。地位に恋々とすることなく、去り際を美しく、です。
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