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今の私は過去の総決算

今日のおすすめの一冊は、青山俊董(しゅんどう)氏の『たった一度の人生を悔いなく生きるために大切なこと』(海竜社)です。その中から「人生の旅」という題でブログを書きました。

本書の中に「今の私は過去の総決算、未来の出発点」という一節がありました。

私の好きな言葉に、 《過去が咲いている今 未来の蕾でいっぱいな今》 という河井寛次郎先生(陶芸家)の言葉がある。業の本来の姿をみごとにいいあらわしている言葉といってよいであろう。 三十歳の人は三十年の歳月の間、五十歳の人は五十年の歳月の間、七十歳の人は七十年の歳月の間、この体で何を行為し、口で何を語り、心に何を思ってきたか。
たとえそれを体や言葉の行為として出さず、心に思っただけでも、またはその行為が人に知られなくても、行為したという事実はまぎれもない事実として、深層心理の中に種子として薫習(くんじゅう)されつづけ、人格形成の大きな力となり、また、その力がその人の人生を開いてもゆけば、閉じてもゆくことは間違いないことである。
今の私は過去の総決算の私であり、同時に未来の出発点の私でもある。 ただし、その因果関係は、一たす一が二というような単純なものではなく、そこに働く縁のいかんによって、人間の小さな頭では考えきれない微妙な変化をしつづけな がら結果をひきおこしてゆくから、一たす一に加える縁の力のいかんによっては、マ イナス五にもなったり、プラス五になる可能性もあるのである。
だからこそ、つとめてよき縁を持つようにせよといい、あるいは、よき縁へと受けとめ方を切りかえてゆけと説く。このごろしきりにいわれるプラス思考というのも、 その一つといえよう。『今、ここから始めよう』

今ある自分は、過去に為した様々な行動や考え方でできているのは紛(まぎ)れのない事実です。それが、わかるのが「浄玻璃(じょうはり)の鏡」です。相田みつをさんはこんな言葉を残しています「浄玻璃の鏡の前に立つまでは 秘めておきたし あのことも このことも」

仏教では「浄玻璃の鏡」というのがあります。亡くなってあの世に行く前に、誰もが一度は浄玻璃の鏡の前に立つそうです。すると生まれてから死ぬまでの間の、人に与えた喜びと、人に与えた悲しみが、走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中に再現されるといいます。

人に与えた悲しみが多ければ、身もだえするような苦しさとなり、いてもたってもいられないほど深い悔悟の念にかられ、針のむしろとなります。その状態を地獄といいます。また、人に与えた喜びが多ければ、無上の喜びがこんこんと湧いて、笑顔がこぼれ、うれしくて、楽しくて仕方なくなります。それを天国といいます。

一度、人に与えてしまった悲しみは取り消すことはできません。だからこそ今日(こんにち)、ただ今からの人生は、人を喜ばせることだけを多く考え実行することが必要なのですね。だからこそ、今からでも、人に喜びを多く与える人生をおくりたいと思うのです。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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