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失って初めて気づくこと

今日のおすすめの一冊は、スティービー・クレオ・ダービック氏の『新自分を磨く方法』(ディスカヴァー)です。その中から運命を変えるにはという題でブログを書きました。

本書の中にこんな素敵な一文がありました。

アメリカの作家ワイルダーの「OUR TOWN」は、全世界で繰り返し上演されている芝居だ。舞台は、どこにでもある平凡な小さな町の、とこにでもいる平凡な家族。主人公の若い女性は平凡な恋をして結婚して子供を産む。ところが産後の肥立ちが悪く、二十歳の若さで死んでしまう。
そして、生者の世界から死者の世界へと旅立つそのときに、この芝居の正にテーマである感動的なセリフが語られるのだ。「わたしは気がつかなかった。あんなに素晴らしかったのに。時を刻む時計の音、ママが育てたヒマワリ、あったかいお風呂の匂い、アイロンをかけたばかりのドレス…それらがどんなに素晴らしいものだったのかって…」
人はたいてい、失って初めて持っていたものの価値に気づく。視力を失って初めて見えることの素晴らしさを、聴力を失って初めて聞こえることの素晴らしさを、若さを失って初めて青春の素晴らしさを、病に倒れて初めて健康であることの素晴らしさを。
いま持っているものに感謝しよう。いまの自分の境遇に感謝しよう。失ってから気づくのでは遅すぎる。命のあるうちに、いま自分にできることに向かって一歩を踏み出そう。

小林正観さんはそれをこう語っています。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているのかに気がつきません。かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆがとてつもなくおいしく感じられるでしょう。元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかりを食べていたら、おかゆのおいしさはなかなかわからないでしょう。
では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?そうとはいえないでしょう。私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。そういう構造になっている。
それは、時計の振り子にたとえてもよいでしょう。真ん中から右側が、一般的にいう「不幸」。つらい、悲しいと感じる領域です。一方、左側に行けば、いわゆる「幸せ」だと思ってください。「幸せを見せてください」と言われた神さまは、まず思いっきり右側に振り子を振ります。そして私たちが「もう耐えきれない、ギブアップ」と言うと、神さまはその振り子から手を離します。
振り子は勢いがついて、真ん中を通り越して、大きく左側(幸せ)に行きます。そのことに気づいたら、私たちはつらいこと、苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。(人生は4つの「おつきあい」/サンマーク出版)

幸せと不幸せは振り子のようなものだと小林正観さんはいいます。多くの人間はやっかいなことに、健康に感謝するためには、病気という振り子の反対側の状態を経験しなければわからないようです。健康という状況に慣れてしまうのですね。すると、それが「当たり前」になります。当たり前になったときに、人は感謝を忘れてしまいます。

だから、「当たり前」の反対を「ありがとう」というのだと言います。ごく普通の当たり前の毎日に、感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。

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