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喜びは内輪に留めておくこと

今日のおすすめの一冊は、櫻井秀勲(ひでのり)氏の『日本で一番わかりやすい運命の本』(PHP)です。その中から「次の時代に表にでるもの」という題でブログを書きました。

本書の中に「喜びは内輪に留めておくこと」という心に響く文章がありました。

《僥倖(ぎょうこう)は万に一つ》
といわれます。宝くじで、一万人に一人の幸運が、労せずして手に入ったら、たしかにうれしいでしょう。しかし裏を返せば、このとき九九九九人の呪いを受けてしまった、と思わなければなりません。運命は分け前であり、一人だけで分捕(ぶんど)れるものではありません。

《2・6・2の法則》
というものがあります。一〇人いたら成績が「上位二人、中位六人、下位二人」に分かれる、とも解釈できますし、運命の分け前でも、この人数割りになる、とも考えられます。これには、さまざまな解釈があるのですが、一つだけはっきりしていることは、《独り占めはできない》という点です。

宝くじでも競馬でも、勝者は必ずいるものですが、自分一人に幸運が入ってくることは絶対しないにかぎります。ふつうの人であれば、「万が一の幸運など、入りはしないよ。やめなさい」というかもしれません。

私はそれを「やめなさい」という気持ちはありません。一万人に一人は、必ず勝者として出てくるのですから、あなたが勝者にならないとはいえません。そうだとすれば、運試ししてみるのは、おもしろいでしょう。

問題は、分けていかなくてはいけないものを、自分で分捕る点です。こう考えていくと、たとえ万一の僥倖といったケースでなくても、《自分の独り占めが運を悪くする》という点に、気がつくことでしょう。呪いはとても恐ろしいものです。

これらの呪いを受けないためには、たとえば、三角関係で勝ちを得た女性は、できるだけ質素に、敗れた女性の心情を思いやる形での挙式が大切だ、ということを表しています。僥倖をワイワイ騒いではならない、という戒めは、単に大金だけでなく、受験や就職、出世、恋愛や結婚にまで及んでいるのです。

いつの場合でも、喜びは内輪に留めておくこと。大相撲の優勝でも「腕を突き上げてはいけない」など、決められているのは、呪いを受けないためなのです。このことをしっかり身につけておくと、幸運が逃げることはありません。

◆幸田露伴は、「幸福三説(こうふくさんせつ)」ということを言っている。三説とは、「惜福(せきふく)」「分福(ぶんぷく)」「植福(しょくふく)」の三つの福のこと。

惜福とは、福を全部使ってしまわずに惜しむこと。人気絶頂の俳優が、まだあと何十年と活躍できるにもかかわらず、惜しまれながら引退する、というようなこと。

分福とは、人に福を分けること。植福とは、子孫や未来の子供たちのために、福を植えておくこと。

福が連続して続くことはない。だからこそ、この「幸福三説」が必要となる。表があれば裏があるように、正があれば必ず負もある。したがって、どんな結果にも、その原因がある。だから、もし努力を伴わない成功というものがあるのなら、その代償はいつかどこかで払うことになるからだ。

「喜びは内輪に留めておくこと」という言葉を胸に刻みたい。

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