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いくら年をとっていても、学ぶ意思のない人は魂も成長しない

今日のおすすめの一冊は、斎藤一人さんの『神的 まぁいいか』(マキノ出版)です。その中から「ここにどんな教えがあるんだろう?」という題でブログを書きました。

本書の中に、どうしても書いておきたい、斎藤一人さんのとても興味深い話があったのでアップしてみます。

以前、こんな質問をされたことがあります。「高齢者は病気にかかりやすいし、ケガもしやすいですが、それらの不調をうまく受け入れながら、上手に生きているように見えます。人は年齢を重ねると魂が成長し、神に近づくからでしょうか?」
お年寄りは長く生きていることで、悟っているように見えるんだよね。だけど、お年寄りだからみんな魂のレベルが高いのかと言うと、そんなことはないと思います。試しに、お年寄りひとりひとりに聞いてごらん。たぶん「私は病気もケガも受け入れていますよ」「悟っていますよ」なんていう人、そんなにいないだろうね(笑)。
あなたが思うほど、受容力のあるお年寄りはいないんじゃないかな(笑)。若いときは、「大人って落ち着きがあってすごいなぁ」って思うんです。でも実際に自分が大人になってみたら、落ち着きがあるわけじゃなくて、年とともに体が衰えて、ただ鈍くなってだけってことあるよね(笑)。
体の動きが鈍くなってきただけで、全然落ち着きなんかない(笑)。気持ちは、若いときと変わらなかったりするんです。それと同じで、お年寄りだから魂が成長し、神に近づいているって、それはあなたのイメージにすぎないの。お年寄りだから、神に近づくわけじゃない。若い人だって、神に近づいている人はたくさんいます。
若くても、起きた出来事から学んで、自分の愛を大きくしようとしている人はどんどん神に近づきます。その反対に、いくら年をとっていても、学ぶ意思のない人は魂も成長しないよ。若くても悟っている人はいるし、お年寄りでも悟らない人もいる。年齢の問題じゃないんだよね。
結論を言うと、同じ病気をしても、その苦しみから逃れることばかり考えて嘆く人と、病気を自分の肥やしにして愛を大きくしている人の違いなんだ。病気すら、自分の愛を大きくする材料にして学びを得る人の魂は、どこまでも成長が止まらないんだよね。そしてそういう人は、神が全力で後押ししてくれるから、手にする幸せもそれだけ大きくなるものですよ。

若い頃は、お年寄りを見ると(中年でも)、モノゴトはよく知っているし、落ち着いていて、大人ってすごいな、と思うことがあります。しかし、いざ自分がある程度年を重ねてくると、全然成長していないことに愕然とします。これは、よく考えればしごく当然のことですが、どんな優秀な人であっても、勉強しない限りまた、魂を磨かない限り、人は絶対に成長することはないということです。

たとえば、長い間ドライブして、車のガソリンがなくなってきたとします。すると、途中、ガソリンを足さなかったら、タンクはどんどん空に近づき、最後はエンストします。それとお年寄りの話は同じです。どんなにすごい人であっても、勉強や魂磨きを忘れたら、自分の引き出しやガソリンのタンクは空になります。

いくつになっても、自分を磨くことって大事ですね。

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