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喜ばれる存在とは

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『喜ばれる 自分も周りも共に幸せ』(PHP文庫)です。その中から『「光」の語源は人』という題でブログを書きました。

本書の中から「喜ばれる存在とは」という心に響く文章がありました。

人間は何のためにこの世に肉体をもらったかというと、「喜ばれる存在」になるため。それはイコール「ありがとう」と言われて生きていくことです。

そして、自分の達成目標を全然作らないで、頼まれごとを引き受けていく。自分の思いで生きるのではなく、「はい、はい」と言って、他人の依頼によって翻弄(ほんろう)されて生きるという、そういう生き方をしていくと、ストレスがまったくなくなります。

ただし、自分の努力頑張りだけの人よりも、二倍三倍の汗をかきます。働くというのは嫌なことをやっているのではなくて、はた(端)を楽にすることを「はたらく」(「働く」)といいます。反対に、周りに迷惑をかけることを、「はた迷惑」といいます。

頼まれごとは、必ず頼んだ人は喜んでくれているのだから、その頼まれごとの中で利己的に生きるのではなく、利他的に生きる。その利他的も、人を何とかしてやろう、世のため人のために何とかしてやろう、という思いはないほうがよい。

「私」が存在できるのは、ありとあらゆるもののおかげさまであるということに気がついて、感謝をする。腹が立つとか、イライラするとかは、全部感謝が足りないのです。肯定的な人、頼まれてもあれこれ言わないで「はい、分かりました」と言ってやりそうな人は頼まれごとが多い。

私たちは、自分の力や才能を磨いていきなさい、と学校教育で教わってきましたが、まったく違う価値観が宇宙にはあるのです。それは、頼まれごとをしやすいような顔になって生きましょう、ということです。

頼まれごとをされにくい顔というのがあります。「辛い、悲しい、つまらない、いやだ、嫌いだ、疲れた」不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句というのをずっと言い続けている人は顔がそういう顔になります。

そして「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、ついてる」という喜びの言葉をずっと言っていると、「ありがとう」と言ったときの笑顔が板に付きます。そのありがとうを言ったときのにっこり笑った笑顔が本当に素敵な人になると、本当に頼みやすくなって、頼まれごとがたくさんくるようになります。

頼まれやすい顔になると、それだけで生きていける。自分がいかに周りの人から頼まれて使われていくか、というところに価値を切り替えてしまうと、人生が結構面白くなります。自分が想像できないようなところに使われるので、自分の意志で駆け上がっていく人とは全然違う楽しい人生が始まります。

ここに身をゆだねるということができるとものすごく面白い人生です。そこに身をゆだねて、いろんな出来事に流されて翻弄されながら生きていくというのも、実は生まれながらのシナリオ通り。自分で頑張っているうちはシナリオが見えてこないけれど、翻弄されて流されていくのは、ものすごく面白い。

◆「頼まれやすい顔」の反対は、「頼まれにくい顔」。イライラしていたり、仏頂面で、暗くて、不機嫌そうな顔。ちょっと何かを頼むと、イヤそうな顔をされるような人には、二度と頼みたくなくなる。

また、何かを頼まれたとき、何か一言、恩着せがましいことを言ってからやるような人にも、次から頼みたくなくなる。PTAとか町内の役など、何度も断り、何人かがそろって頼みにいって初めてやるような人もいる。どうせやるなら、気持ちよくやってくれる人の方が、だんぜん感謝される。

いつもニコニコと、喜びの言葉多き人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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