今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『もうひとつの幸せ論』(ダイヤモンド社)です。その中から「オリンピックが終わって」という題でブログを書きました。
本書の中に「人生は修行の場ではない」という心に響く文章がありました。
◆多くの偉人伝や、成功者の話を読むと、幾多の試練や、筆舌に尽くしがたい苦労の連続を乗り越えたのちに、その成功した姿があると一様に書いてある。まさに、波乱万丈、山あり谷ありの、まるでドラマのようにストーリーが展開する。
しかしながら、そのような起伏の激しい一生を送ってこなかった人もいる。いわゆる平々凡々と静かな人生を過ごすことができた人だ。大成功もしなかった代わりに、大失敗もせず、浮き沈みの激しい人生も経験しなかったということだ。
すると、「人生は修行のために存在する」という人たちからは、「苦労が足りない」とか「困難を乗り越えた経験がない」、だからダメなんだ、などとバカにされることもある。そして、「ノーテンキ」、「極楽トンボ」などとののしられることもある。
しかし、「人生は楽しむため」に存在するのだと思うなら、平々凡々の人生こそ、ありがたくて、しあわせで、たのしくて、ツイていて、感謝の人生となる。戦時下の困難な時代に生まれた人たちには、その時代に生まれてきた意味がある。今この時代にゆたかな日本に生まれたなら、今この時代に日本に生まれてきた意味がある。
困難や苦労を乗り越えなければ、幸せは手に入らないのではない。幸せに気づいた人が幸せなのだ。「人生は楽しむためにある」という言葉をかみしめたい。
今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす