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どんな不幸を吸っても、 吐く息は感謝でありますように

今日のおすすめの一冊は、高田明和氏の『名言の知恵』(成美堂出版)です。その中から「人に遅れをとっても大丈夫」という題でブログを書きました。

本書の中に「どんな不幸を吸っても、 吐く息は感謝でありますように」という心に響く言葉がありました。

《どんな不幸を吸っても、 吐く息は感謝でありますように。》(真言宗僧侶 名取芳彦) 

長生きの秘訣を長寿者から教わりたいと思うのは、当然です。NHKなども、100歳 以上の人の話を番組化することがあります。 そういう番組を見ると、とりあえず一定の秘訣は存在するようです。ストレス対策 では、「くよくよしないこと」「思ったことをどんどん言ってしまうこと」などですし、 食べ物では、「好きなものはなんでも食べる」といったことです。
90歳くらいまでは、これらの発言は、健康に関する統計上の報告と重なります。 統計は「悩まないこと。偏食せずになんても食べること。タバコは吸わない。酒もほどほどに。適度な運動をすること」が長寿の秘訣だとしているからです。
米国の一流雑誌にある医師から面白い投稿がありました。その医師が若い頃、曽祖父はすでに100歳を超えていました。しかし、タバコを止めません。家族はなんとか禁煙させようと、息子に「お前は医学部に入ったのだから、ひいお爺さんにタバコを止めるように説得しておくれ」と言いました。 
そこで彼は曾祖父に、「タバコは体に悪いらしいですよ。あなたの主治医は何と言っていますか」と聞いたのです。すると「わしの主治医は、20人以上いたが、みんなわしより先に死んでしまった」と返されたということです。 冗談のようですが、本当の話です。 
実際、122歳まで生きて世界一の長寿とされたフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんは、大変なヘビー スモーカーだったということです。一週間に一キロものチョコレートを食べていたともいいます。 
また、別の長寿者は、「運動はしない」と断言していました。 ナチスのアウシュビッツ収容所に送られ、死の恐怖と過酷な生活でやせ衰えていた ユダヤ人が100歳以上生きたという話もあります。 つまり、90歳以上の長寿をもたらす法則は、単なる健康法則とは違うのです。 
もちろん、若い人がこのような例を見習ってはいけません。ただ、80歳をすぎる頃から死ぬ人は死んでしまい、生きている人は何をしてもしなくても長寿なのだと考えられます。だから、90歳を超えれば、もう何でもありなのです。 
私は、「苦しまなければ病気ではない」といつも言っています。 もちろん、病苦はあるのです。しかし、あまり苦しくなければ、気にしないほうがいい人生になると思います。 「人が必ず死ぬということは、考えようによっては不幸であり、幸せでもあります。 病気になることも同様です。だから、いつも「幸せだ」という息を吐きなさい、というのでしょう。 
ブッダはこのように言っています。 「この世において、どんな人にもなしとげられないことが5つある。1つには、老い ゆく身でありながら、老いないということ。2つには、病む身でありながら、病まないということ。3つには、死すべき身でありながら、死なないということ。4つには 滅ぶべきものでありながら、滅びないということ。5つには、尽きるべきものでありながら、尽きないということである」(『仏教聖典』) 
そして、このように続けています。 「世の常の人々は、この避け難いことに突き当たり、いたずらに苦しむが、仏の教えを受けた人は避け難いことは避け難いと知るから、このような愚かな悩みを抱くことはない」(同) 死ぬことも病むことも避けられないのです。しかし、苦しむか苦しまないかは心の問題です。

幸という現象も、不幸という現象も、その人の捉え方次第、考え方次第です。ある人にとっては、病気になっても、その中に幸せを見つけ感謝します。しかし、別のある人は、病気になったのを嘆き、悲しみ、不幸のどん底にいます。どちらも同じ病気なのに、捉え方によって人は幸福にもなり不幸にもなります。

だからこそ、「どんな不幸を吸っても、 吐く息は感謝でありますように」という言葉を呪文のように唱え、心に刻みたいと思うのです。

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