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無財の七施の実践

今日のおすすめの一冊は、青山俊董氏の『泥があるから花は咲く』(幻冬舎)です。この中から「一言でよい、愛の言葉がけを」という題でブログを書きました。
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マザー・テレサの言葉に関連して、慈眼施(じげんせ)、和顔施(わげんせ)という言葉ができてきました。これは、仏教の「無財の七施(しちせ)」の中の言葉です。お釈迦さまはお金がなくてもできる功徳の方法を、七つ教示してくれました。

一、眼施(がんせ)  優しいまなざしで人に接すること。  二、和顔施(わがんせ)  おだやかな笑顔で人に対すること。  三、言辞施(ごんじせ)  やさしい言葉で人に接すること。  四、身施(しんせ)  人のいやがる仕事など、自分の体でできることで奉仕すること。  五、心施(しんせ)  人に心を配ること。ともに喜び、ともに悲しんであげること。  六、床座施(しょうざせ)  席を譲(ゆず)ること。  七、房舎施(ぼうしゃせ)  自分の家を提供すること。

《眼施》ですが、よく眼が笑っていない、などと言われることがあります。相手を許していないときなど、それは目に出ます。逆に、思いやりあふれる心で接するときの目はやさしい眼差(まなざ)しとなります。「目は口程に物を言う」ですね。

《和顔施》は、観相学という人相を見て、その人の運気や性格、才能などを判断する学問があります。骨相学ともいい、日本だけでなく、古くは中国、ヨーロッパでも流行した学問です。アメリカ第16代大統領のリンカーンも「40過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい」という有名な言葉があります。和やかな笑顔は人を幸せにします。

《言辞施》言葉は、ある時は切れ味の鋭いナイフのように相手の心を傷つけますが、ある時は相手の心をほっこりさせ、穏やかな気持ちにさせてくれるという、両面を持っています。相手を思いやる優しい言葉、感謝の言葉、ゆるしの言葉こそ大事な言葉はありません。

《身施》人の役にたつこと、喜ばれることを体を使ってするということです。たとえば、それは目の前のゴミを拾うことだったり、トイレに入ったとき洗面台が汚れていたら拭く、といったことです。これを意外に人はみています。どんなに偉そうなことを言っている人でも、この身施が出来ていない人は信用されません。

《心施》友人が喜んでいるとき、それを共に喜べる人は心施が出来ている人です。他人の歓びを我がことのように喜べる人、また逆に、他人の痛みを我がことのように感じることができる人です。思いやりの心、共感の心です。

《床座施》「お先にどうぞ」の気持ちです。たとえば車に乗っているとき、横から入ってきた車がいたら気持ち良く「お先にどうぞ」と入れることです。また、電車やバスでお年寄りや妊婦さんに席をゆずる、ということでもあります。もっというなら、「出処進退」において、後進に気持ちよく地位を譲るということもあります。

《房舎施》昔の宿のない時代、宿泊に困った旅人を泊めるという意味ですが、現在なら、家で来客をもてなすということでしょう。さらに拡大解釈するなら、要するにケチケチしないで、自分の持っている大事なものを提供するということで、自分の得た知識、情報などをSNSなどで惜しみなく教えるということになるのかもしれません。

「無財の七施」は現代でも大事な価値観です。とかく、何かいいことをするにはお金がかかるとか、時間がかかるとか思ってしまいますが、この無財の七施は、今からでも、すぐにでもできることです。こういう小さな努力の積み重ねが習慣となり、その人の人格を形づくります。無財の七施の実践を少しでも積み重ねたいと思います。

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