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自分のモードを切り替える

今日のおすすめの一冊は、江原啓之氏の「あの世の歩き方」(小学館)です。ブログも同名の「あの世の歩き方」として書きました。

本書の中に「自分のモードを切り替える」という心に響く言葉がありました。

私は東京生まれの東京育ちでしたが、現在は熱海に暮らしています。 今の私にとって東京は、自分でテンションを上げないとついていけない場所です。 モードを変えて、ひと呼吸ついてしまった人間には、戻れない場所かもしれません。
年齢とともに、誰もがいつかは生きるモードやペースを切り替えるときが来るとは思いますが、平均寿命が延びた今、50代といってもあと30年余りは生きる計算。 その時間を今までと同じように突っ走って、本当の心地よさに気づけないのはもったいないのではないか。だから自分でモードを切り替える努力を、一度はしてみるべきだと思うのです。
それでもまだエキサイティングに生きることが自分の心地いい人生ならば、それでもいいと思います。 後はそれぞれ自分のモードに合ったこの世じまいを準備するだけ。いずれにせよ、人生の最期で「あぁ、自分に嘘をついていたな」と気づいても、遅いわけです。
死ぬときのことを考えて、どんな人生なら後悔しないのか。それをよく見つめて、 今からモードを切り替えるなり、突っ走るなりしたほうが、残りの人生が充実するのではないでしょうか。
仕事とプライベートをきっちり分けたい人は、都会で仕事をし、プライベートは田舎で過ごすという二重拠点の暮らしが心地いいかもしれない。仕事は変えずに、でも田舎で暮らしたいなら、仕事はリモートにし、都会の自宅を賃貸に出して自分は田舎暮らしというパターンもいい。
田舎でも交通の便の良い場所を選び、ITを上手に取り入れれば、心地よさを追求できる、いい時代になりました。豊かな暮らしの選択肢が増えたのですから、も う自分に嘘をつかなくてもいいのです。 そこで出てくるのが、人生の最終章をどこで暮らすかについてです。どの国で、 あるいはどの地域で。 将来のビジョンは決めておいたほうが、満足した人生を送れると思います。
時代はグローバルになり、海外で暮らす人も増えました。気づけば日本よりも海外生活が長いという人も。もしかすると日本に帰りたい気持ちはあるものの、やっ ぱり海外のほうが自分に合っているという場合もあるかもしれません。 国内でもふるさとを離れたり、各地を転々としたりする人もいる。
その土地ごとに文化が異なり、人間関係の濃さや薄さもいろいろ。自分がどういうところで暮らしたいか、自分らしくいられるのはどこか、自分という質を見極める。それに合わせて、資金を用意したり、友だちや人脈を作って情報交換したり、準備を進める。
夫婦であっても意見が合わないこともあるわけで、お互いを尊重した結果、離婚とまではいかなくても別居して「卒婚」を選ぶ人もいるでしょう。 昔のように、突然田舎暮らしを決断した夫が、都会に残りたい妻を強引に連れて行くなんて、拷問的行為と受け取られかねませんから要注意。今は必ずしも夫婦単位でいなくても、ポジティブにとらえる時代。夫婦がどんな未来を生きたいのか、ファイナンシャルプランも含めてよく考えておけば摩擦は少ないはずです。
同じ人生を歩んでも、「自分はこれでいいんだ」と腹くくりができている人と、「なんで私はこんな人生なの」と自己憐憫、責任転嫁、依存心にまみれている人とでは、 幸せの感じ方がまったく違ってくるからです。 そういった意味では、お墓も仏壇も老後も、すべてにおいて惑い、不安感にさいなまれている人は、腹くくりがないのかもしれませんね。

若いときには若いときのパッションや夢や想いがあり、年配者には年配者の生き方があります。だからこそ、途中で自分の生き方のモードを切り替えないと、体や魂が悲鳴をあげてしまいます。もちろん若いときと同じ情熱や熱さで、晩年を突っ走りたい人は、それでもいいと思います。

ただ、言えることは、江原さんのいう「この世じまい」は年配になればなるほど近づいてきます。だから当然、生き方のモードも変えていく必要があると思うのです。それを私の父は「年配になったら、あの世に近づいているのだから、神社のことやお寺のことをやる」と言って、神社やお寺のお役を引き受けていました。まさに、「この世じまい」です。

我々は「生きてきたように死んでいく」といいます。丁寧に生きてきた人は丁寧に死んでいきます。いいかげんに生きてきた人はいいかげんに死んでいきます。そして、不平不満を言いながら生きてきた人は、不平不満を言いながら死んでいくということです。

晩年には晩年の生き方があると思うのです。モードを都度、切り替え、その時のベストな生き方をチョイスしたいと思うのです。

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