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今日庵のエピソード

今日のおすすめの一冊は、千玄室大宗匠の『日本人の心、伝えます』(幻冬舎)です。その中から「茶道とは何か」という題でブログを書きました。

本書の中に「今日庵のエピソード」という興味深い文章がありました。

お茶に詳しくない方でも、 表千家、裏千家、武者小路千家という茶家(ちゃけ)の名前は、 一度くらいは聞かれたことがあるでしょう。しかし、実は、表千家、裏千家、武 者小路千家という呼び方は俗称なのです。

正式には、それぞれの家を代表する茶室の名をもって、千家不審菴(ふしんあん)、千家今日庵(こんにちあん)、千家官休庵(かんきゅうあん)と呼びます。ではどう して、不審菴が「表」、今日庵が「裏」と呼ばれるようになったのか。その理由は、不審菴と今日庵の位置関係にあります。 

利休の孫に当たる千宗旦(そうたん)は、ある時、父・少庵(しょうあん)から継いだ不審菴を三男・宗左(そうさ)に譲ります。そして、自分は末子(まっし)の宗室とともに屋敷の北側に茶室を建て、そこに移り住みました。これが今日庵です。今日庵が不審菴に対して通りの北側に位置するため、いつしか裏、表をつけて呼ばれるようになったというわけです。

地元の人たちは、北側にある今日庵を上千家、不審菴を下千家と呼んだりもします。宗旦の時代から三百五十年以上もの間ずっと、裏千家と表千家はお隣さんなのです(京都では北が上ル、南が下ルといいます)。

さて、今日庵という号には次のようなエピソードがあります。前述の通り屋敷の北側に茶室を建てた宗旦は、かねて親交のあった大徳寺の清巌和尚をお招きして、茶室披(びら)きの茶事を催すことにしました。

ところが当日、約束の刻限になっても和尚が現れません。他用があった宗旦は、家の者に「和尚がいらっしゃったら『明日またおいでください』とお伝えするように」と言い置き、やむを得ず外出します。今なら電話一本すればすむ話ですが、もちろん、当時はそんなものはありません。

入れ違いで宗旦の留守中にやってきた和尚は、せっかくだからと茶室に通してもらい、茶室の壁に貼ってある腰張りの紙に、「懈怠比丘(けたいびく)不期明日」と書き、立ち去ります。 これは「懈怠の比丘明日を期せず」と読み、私のような怠け者の坊主に明日はありませんね、という意味です。 

帰宅した宗旦は、和尚が残したメッセージを見て深く感じ入り、「邂逅(かいこう)比丘不期明日」と書いて送ります。私とて同じです、お互いに明日のことはわかりません、と伝えたのです。

また、「今日今日と言いてその日を くらしぬる 明日の生命は とにもかくにも」という一首も添えました。 明日の命をも知れないのが人というものです。ならば、明日でも昨日でもない今日を、今この一瞬一瞬を、大切にして生きていこうではありませんか。 そういう思いをこめた歌です。 今日庵の号はここからついたのです。

◆禅では「即今・当処・自己」という。「即今」は『いま』。「当処」は『ここ』。そして「自己」は『わたし』。つまり、我々には、「いま、ここ、わたし」しかない。明日になっても明後日になっても、「いま、ここ、わたし」しかない。

だからこそ、この一瞬一瞬を大切に生きることが必要なのだ。『たった今』という、「今日只今(こんにちただいま)」を大切にする人でありたい。

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