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人生の最後に残るもの

今日のおすすめの一冊は、萩本欽一氏の『80歳、何かあきらめ、何もあきらめない』(主婦と生活社)です。その中から『仕事を「面白くする」のは自分』という題でブログを書きました。

本書の中に「人生の最後に残るもの」という心に響く一節がありました。

73歳で入学した駒澤大学仏教学部に通っていたころ、「放てば手に満てり」という言葉を教わりました。曹洞宗をひらいた道元禅師の言葉で、持っているものを手放すと空いた手に新しいものが入る、という意味らしい。
これ、いろいろなことに当てはまりますよね。実際に、「得」することを選ぶより「損」を選ぶ、「近道」より「遠回り」を選んだほうが結果的に素敵なことが得られる、という例をこれまでいくつも見てきました。 
お金の使い方も、ある意味それと似ているんじゃないかな、と思うんです。 自分の「将来」を考えて貯めこむより、「今このとき」目の前で困っている人に回すほうが絶対にいい。勇気はいるかもしれないけれど、勇気を出して人を助けた人は、必ず人に助けられます。
自分が直接助けた人じゃなく、それを見ていた人、あるいは前からの友達が、「あいつこのごろ、いい顔になったな。一生つき合いたいな」と思ってくれるかもしれない。生き方って、顔にぜんぶ表れます。ずるいことをするとずるい顔、 やさしい行いをするとやさしい顔になっていくの。やさしい顔になると、やさしい人がいつの間にかそばにいてくれるようになるんです。 
自分の「老後の資金」なんて考えず、周囲の人を金銭的だけでなく、いろんな面で助けていた人には、人生の最後に「友達」という財産が残ります。お金がないとき、病気で心細いとき、助けてくれる友達。そういう友達がいる人を本当の意味で「裕福な人」 というんじゃないかな。 
2000 万円の老後資金があっても、病気になって周囲に友達がいない人生と、お金の蓄えは乏しいけれど友達がそばにいてくれて支えてくれる人生、どっちがいい? いちばん大事なのはお金じゃなくて、周囲の人を気遣うやさしい心。神様ってどこにいるのか知らないけれど、ちゃんとそれを見ていてくれます。

仏教では、亡くなってあの世に行くとき浄玻璃じょうはりの鏡」の前に立つといいます。鏡には、生まれてから死ぬまでの間の、人に与えた喜びと人に与えた悲しみが走馬灯のように、一瞬にして再現されるといいます。

人に与えた悲しみが多ければ、身もだえするような苦しさとなり、いてもたってもいられないほど深い悔悟の念にかられ、針のむしろとなります。また逆に、人に与えた喜びが多ければ、無上の喜びがこんこんと湧いて笑顔がこぼれ、うれしくて、楽しくて仕方なくなるそうです。

喜びを人に与え続けている人は「やさしい顔」になります。「いい顔になったな」、と人に思ってもらえる人です。

「人生の最後に何を残したいか」、心して毎日をおくりたいと思います。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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