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「半分」わかってもらえれば上等

今日のおすすめの一冊は、桝野俊明氏の『放っておく力』(知的生き方文庫)です。その中から「与えた情けは水に流す」という題でブログを書きました。

本書の中に『「半分」わかってもらえれば上等』という心に響く文章がありました。

《「半分」わかってもらえれば上等》(四割、いや三割だって十分です) 

最近、「自分のことを全部わかってほしい」という願望の強い人が、とみに増えてきたような気がします。SNSを通して、自分のやっていることを事細かく発信したがるのも、その一つの表れではないでしょうか。 

また会ったこともない多数の人と“SNS上の友だち付き合い”をしたり、LINEなどで互いの行動を逐一報告し合ったりするのもそうです。四六時中、交信することで、「いつでも、どこでも、私のことを気にしていてね。理解してね」というメッセージを出し続けている部分もあるように見受けられます。 

そんな切実な気持ちに冷や水を浴びせるつもりはありませんが、自分のことをすべて理解してくれる人なんて、どこにもいません。逆に自分だって、すべてを理解している友人など、どこにもいないはずです。 

現実問題、「互いのことを半分でも理解し合える友人」が何人かいれば上等も上等。半分どころか四割、いや三割だって十分だと心得ましょう。不特定多数の人と密な付き合いをしたいと思うこと自体が“妄想"なのです。
《もっと 「ドライ」に考えたほうがうまくいく》

◆美輪明宏氏は「人間関係の距離」についてこう語る。

愛さえしっかりあれば、腹六分か七分で付き合うこと。友人関係だけじゃない。恋人同士、親子、きょうだい…どの関係にもこれはいえることです。  いっしょにすごす時間が長ければ長いほど、そうあるべきです。   

なのに、一定の距離感を「水くさい」なんていって、腹一杯付き合って土足で人の心にドタドタ踏みこむような真似をする人が多すぎる。

昔は親子の間にもきちんとした距離がありました。  躾の行き届いた良識ある家庭では親は子供を“さん”づけで呼んでいたし、子供も親に対して敬語で喋っていました。私は人とのかかわりあいは、腹八分でもじゅうぶんすぎるくらいだと思っています。  

できるならば、人のつきあいは、つかずはなれずの腹六分か七分ぐらいにとどめておきたい。それこそが人間関係を円滑に保つうえでの生活の智慧だと思います。(美輪明宏 天声美語/講談社)より

「淡交」という言葉があるが、ベタベタした付き合いではなく、淡々とした交わりのこと。『「半分」わかってもらえれば上等』だからこそ、淡交が必要。

「いっしょにすごす時間が長ければ長いほど」…「淡交」という、腹六分か七分で付き合うということだ。

『「半分」わかってもらえれば上等』という言葉を胸に刻みたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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