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だれも軽(かろ)んじない

今日のおすすめの一冊は、荒了寛氏の『死ぬまで穏やかに過ごすこころの習慣』(フォレスト出版)です。その中から「ことばが人を成長させる」という題でブログを書きました。

本書に「他人と比較しない」という素敵な一文があったのでシェアします。

法華経の「安楽行品」のなかに次のような話があります。昔、インドのある地方で修行をしている僧のグループがありました。彼らは修行を積んでいくうちに、「私は仏の教えがわかった」と思い上がっていたのですが、そのなかにたったひとり、経典も読まず、ただ人をみれば合掌するという行を続けている比丘(びく・男の僧)がいました。
彼はどんな人にでも、会えば「あなたは仏になる人です」といって手を合わせます。なかには、合掌されて「バカにするな」とどなって棒でたたいたり、石を投げつけたりする者もいましたが、それでも彼は手を合わせることをやめませんでした。そしてとうとう、まわりの修行僧たちも彼の姿に影響されて慢心を改め、ともに修行にはげむようになったといいます。
周囲の人々は、この比丘のことを「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」と呼んで敬うようになりました。「常不軽」とは、どんな人も軽蔑(けいべつ)したり、いい加減にあしらったりしないという意味です。
多くの人が、人に会うと自分より偉いか、勝っているか劣っているか、金持ちか貧乏かなどと比較しがちです。そして、自分よりも上だと思う人にはへつらい、下だと思う人には横柄な態度で接してしまうことがあります。
江戸中期の臨済宗の僧、白隠禅師は、「こざかしい才覚や要領のよさが鼻にちらついているようでは、まだ修行が本物ではない。知っていることでも知らないふりをするのが知恵者というものだ。人から知恵や知識をほめられて、喜んでいるようなのはほんとうの愚か者だ」といっています。
知恵や知識というものは必要なときに発揮すべきで、ちゃらちゃら人にみせびらかすものではありません。

行徳哲男師は、人間の魅力は「素・朴・愚・拙」の四つの言葉で表すことができる、といいます。素(そ)とは、飾らない魅力。朴(ぼく)とは、泥臭い朴訥(ぼくとつ)とした魅力。愚(ぐ)とは、自分を飾らずバカになれる魅力。拙(せつ)とは、不器用でヘタクソだが一途な魅力。

「素朴愚拙」の人は、ボーッとしていて、時に間抜けな愚か者のようにも見えます。そして、誰もあなどったり、軽(かろ)んじないし、偉そうにもしない。まさに常不軽菩薩の如き魅力だと思うのです。あの良寛さんも、この常不軽菩薩をこよなく敬われ、「僧はただ万事はいらず 常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける」という歌が残っています。

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