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やらぬ善より、やる偽善

今日のおすすめの一冊は、田中克成氏の『自分をよろこばせる習慣』(すばる舎)です。その中から「朝礼暮改はあたりまえ」という題でブログを書きました。

本書の中に「やらぬ善より、やる偽善」という心に響く文章がありました。

電車やバスで誰かに席を譲るとき、「周囲から偽善と思われないか気になる」「譲ろうとした相手に断られたらどうしよう」と思って譲れなかった、なんて経験をしたことはありませんか? 

たしかに、席を譲りたいと思っても、実際に行動を起こすには勇気がいりますよね。 ただ、「席を譲りたい」と思っているあなたがいるわけですから、譲らずに座り続けていては、悦(えつ)れそうにありません。

譲ったほうがいいなと思うのであれば、「もしよかったらどうぞ」と声をかける。そんなあなたのかっこいい提案を、相手が受けるのか断るのかは、あなた自身がコント ロールできない問題です。 

あなたは結果も気にせず、周囲の目も気にせず、自分が善だと思った心を実践した。そ んな自分に思う存分、悦(えつ)って大丈夫です。 結果として断られたとしても、すでに理想のあなたを実践したことによって悦れていますから、「悦らせてもらって、ありがとうございます」と心のなかで感謝してしまえば、ますますあなたはハッピーです。 

多くのボランティア活動をしていることで知られる俳優の杉良太郎さんは、マスコミから偽善だと言われた際に、「やらぬ善より、やる偽善」とキッパリ答えました。 

ボランティアをするのがいいことだと思っているのに、周囲の評判を気にしてやらないのでは、自分自身が悦れません。 誰に何を言われても「そうですけど。それが何か?」と胸を張って言い切れる人生でありたいものです。 外野の評判で行動指針を変えていると、周囲から少し批判や皮肉を言われるだけで、す ぐに心が折れてしまいますから。

梯谷幸次氏の言葉に「自分基準」「他者基準」がある。(なぜかうまくいく人のすごい無意識/フォレスト出版)より

がんになって休業している整体師さんとお話ししていたときのことです。「そもそもどうして整体師を仕事に選んだんですか」と聞いたら、「お客さんの喜ぶ顔が見たくて」というのです。そこで私はこう続けて言いました。

「私が最近よく言う『喜びのずれ』がまさにそれです」「お客さんが喜ばないと、あなたの喜びにはならないのですか?」「自分の喜びは他人次第なんですか?」「もしそれが病気の原因だとしたらどう思いますか?」

すると彼は何かに気づき、頭を抱えてうわ~っと叫び始めました。「俺は40年間、何やってたんだ!」。そのことに気づいた整体師は、休業中自分が価値あると思うことをやり続けた結果、がんはきれいに跡形もなく消えていた。

他者基準の人は人に批判されたり、バカにされると自分自身の人格が否定されたと思い、様々なダメージを受けてしい、病気になってしまうことさえある。しかし、自分基準の人はそれらの批判を単なる情報として認識するので、さほどダメージを受けない。


「やらぬ善より、やる偽善」という言葉を胸に刻み、自分基準で生きていきたい。

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