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もっとバカな人を増やそう
今日のおすすめの一冊は、村上和雄氏の『どうせ生きるなら「バカ」がいい』(水王舎)です。その中から「病は気から」という題でブログを書きました。
本書の中に「もっとバカな人を増やそう」という興味深い一文がありました。
世の中にもっとバカな人を増やそう。そんなことを言うと、それこそ「バカなことを言うな」「科学者が無責任なことを」と叱られそうです。
いまの世の中では、合理性や効率を追い求め、少しの労力で最大の成果をあげることができる「利口で賢い人間」が優れているとされるのですから、無理もありません。しかし、そうした利口さ、賢さが発揮できるのは条件が整った状況下だけではないでしょうか。
つまり、そのような人々は、正解を導き出すための確実な知識やデータがあるときは活躍できるけれど、正解がわからないようなスケールの大きな問題にぶつかると、案外、右往左往してしまうものです。
たとえば、「幸せに生きるとはどういうことか?」という問いは「幸せとは何か」という前提から自分で答えを探し出す必要があります。いまの世の中で「利口で賢い」とされる人々は、答えを導き出せず「考えても無駄だ」と放棄してしまうでしょう。
そして、たとえば宮沢賢治の詩篇『雨ニモマケズ』に出てくるような、欲がなく、いつも静かに笑い、疲れた人がいれば荷物を背負い、世間から「でくのぼう」と呼ばれても気にもしないような人を見ると、蔑(さげす)んで笑ったり、邪魔者扱いしたりします。
会社や学校の中でも同じです。みなさんの周りに、無駄や失敗が多く成績は決して良くはないけれど、いつもみんなにバカ話をして楽しませたり、他人を手伝うことを厭わない、いるだけでみんながホッとするような存在の人がいませんか?
現代の日本人は、そういった人を許容できなくなっているのです。なぜ、そんな世の中になってしまったのでしょう。それは、多くの人が目に見えるものしか信用できなくなってしまったからです。
何時間でどれだけ結果を出したかということは、目に見える形でデータ化できます。しかし、『その人の存在がどれだけみんなの気持ちを明るくさせたのか』なんてことは、到底データ化できません。
生命の価値もまったく同じです。データ化できませんし、目に見えるものでは表せません。しかし、だからと言って、その人の生命が大切ではないということには決してなりません。『利口で賢い』現代人は、データ化できる世界にばかり重きを置いていて、目に見えるものしか信用しません。
それは、私たちの生命の成り立ちから考えると、とても『不自然』なことのように思えてなりません。
サン・テグジュペリの書いた「星の王子さま」に、こんな一節がある。
「じゃあ、秘密を教えるよ。とても簡単なことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。本当に大切なことは、目には見えない」
目には見えないけれど、大切なものはいくつもある。それはたとえば、「愛」、「信用」、「誠実さ」、「やさしさ」、「思いやり」、「幸せ」、「ツキ」、「運」、「夢」、「感謝」、「こころ」…「幸せに生きるために必要なこと」…
目に見えない大切なものを信じることができる人でありたい。
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