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大したものじゃないと思うこと
今日のおすすめの一冊は、植西聰(あきら)氏の『人生を動かす哲学者の言葉』(永岡書店)です。その中から「ますます腰を低くして他人から学ぶ」という題でブログを書きました。
本書の中に「大したものじゃないと思うこと」という心に響く文章がありました。
《この世で幸せに生きるためには、 バカであるかのように見せながら、 実際には、 利口であることが大切だ。》(モンテスキュー/17~18世紀・フランス)
モンテスキューは、他人に対してバカであるかのように見せよ、と述べています。 言い換えれば、「利口ぶって振る舞ってはいけない」と指摘しているのです。
いかにも、「自分はすごい教養人です」「頭がとてもよく、何でも知っています」と、利口ぶった態度で人に接する人がいます。 そのような態度を見せることで、人から尊敬されたいと願っているのかもしれません。
しかし実際には、そんな願いとは裏腹に、相手から反感を持たれてしまう場合も多いのです。 利口ぶっている人に対して、相手は「上から目線だ」「偉そうだ」という悪い印象を抱いてしまうからです。
そういう意味では、むしろ「バカであるかのように見せる」ほうが、相手に安心感と親しみやすさを感じさせるのでしょう。 また、「自分は何も知りません」「教えてください」という謙虚な態度を見せて人とつき合っていくほうが、人から学ぶ機会も多く得られます。
そのほうが自分にとっては勉強になりますし、また、それが自分の成長にもつながります。 モンテスキューは、「そのほうが利口である」と指摘しているのです。
《利口ぶった態度は周りの人から嫌われる》
「皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。私も含めて、皆バカなんだから早くバカに気付かないと。バカだってわかれば人間慎重になるから」(所ジョージ)
自分は大(たい)した者じゃない、と思うことができるなら、分(ぶ)をわきまえることができる。分をわきまえるとは、「身の程(ほど)を知る」ことであり「背伸びしない」、「我を張らない」こと。
人は偉そうになったとき、成長が止まる。
いくつになっても、「自分は大したものじゃないと思うこと」という言葉を胸に刻みたい。
今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす
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