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目に見える物質のみがすべてではない

今日のおすすめの一冊は、「いのちのヌード」(VOICE)です。その中から長堀優氏の「縄文の心が日本人のルーツ」という題でブログを書きました。

本書の中で長堀氏の「目に見える物質のみがすべてではない」という心に響く文章がありました。

もともと私が専門にしていた外科は、さまざまな診療科の中でも、物質中心の、いわ ゆる唯物的な考え方がきわめて強い科です。たとえば、がん医療の現場でも「悪いがんは切除が最善」という考え方が支配的です。でも、医師として経験を積むうちに、そうではないことがだんだんとわかってきました。
がんの場合、患者さんの気持ちの持ち方次第で進み具合がまったく違ってくることがあるからです。たとえば、がんを宣告されて悲観し、生きることに絶望してしまうと、がんの進行が速くなることがあります。
一方で、がんに罹り、死を意識することにより、今生での命が永遠ではないことに気がつくことができれば、今生かされているこ とに感謝の念が生まれます。その上で人生において何が大切かを悟り、生き方が前向きに変われば、がんが快方に向かうこともあるのです。
実際に、がんになって、生き方が 変わってよかったという患者さんもいらっしゃるのです。このようなときには、「人間万事塞翁が馬」という東洋の諺の奥深さを実感します。そして、がんを一方的に悪と決めつけて良いのかと考えさせられるのです。
「心と身体はつながっている」とよくいわれますが、まったくそのとおりです。もちろん、「悪い、がんの切除」が有効であることもありますが、病巣の有無だけではなく、 私は、人の心の在り方が変わるだけでも、病気の進行に影響がでると感じています。
これまで、患者さんがあちらの世界に旅立つ場にも数多く立ち会ってきました。西洋医学を基盤にしている現代医療では「死は敗北」 であり、「死は怖いもの」とされていますが、人生を悔いなく生き切ることができれば、いざという場合にも堂々と潔く旅立てます。
なによりピンピンコロリで人生をまっとうすることができたら決して死は苦しいものではありません。その事実を勇気ある患者さんたちから私は教えられ、「死は怖いものでも敗北でもない」ということに気づいてしまったのです。
仏教に「生死一如(しょうじいちにょ)」との教えがあるように、もともと東洋では、生も死も一体と考えてきました。この教えによれば、死を見つめることは生を見つめること、日々健康に生きるためには、死を意識することが本来不可欠であるとされています。
死を見つめることにより、今の一瞬に生かされている奇跡に気づき、感謝の念が湧きあがり、現在の生、 命が輝いてくるのです。闇をとことん意識することで光が広がる、まさに陰陽道の極意、 大どんでん返しが起こるわけです。
このようにして私は、目に見える物質のみがすべてという「唯物論」を基本とした現代医療に少しずつ疑問を覚えるようになっていきました。 そんな疑問を抱いた私が自分なりの探求を進めた結果、行き着いたのが神道、仏教など伝統的な東洋哲学の考え方でした。
それはつまり「霊性」に気づくことでもありました。実は、この「霊性」こそ、これまで日本人が一番大事にしてきた思想であり、日本人は縄文の昔より「霊性に根差した生き方」を尊んできたのです。
「霊性」とは、「神仏、超越的存在、先祖、心、魂など目に見えない神秘的存在を意識し、自然を敬うこと」、つまりは見えない世界を含めたすべての存在とつながることと私は考えています。
「霊性に根差した生き方」をすれば、私たちを活かす大いなる存在に思いが至り、生かされていることへの感謝、謙虚さが生まれてきます。そして、エゴが縮小し、周りとの連帯感が増してきます。この思いとともに、今この瞬間を充実させ幸せに生きることが、ピンピンコロリと悔いなく満足して旅立つことにもつながるのです。
つまり、満足して人生を終えるためには、死が近づいてからでは遅く、まず現在を生き生きと過ごすことからはじめなければならないということになるのです。そのために行うことは、まず、価値観を目に見えるものから目に見えないものにシフトさせることです。
言い換えれば、俗世的な金、物、名誉を追うのではなく、心の豊かさを求めて行動することです。心の豊かさとは何かと言えば、人のお役に立てるような利他、愛にもとづく行動に、喜び、高揚感を感じることに他ならないと東洋哲学は説いていますし、私もそのとおりと考えます。
目に見える物質や金にこだわっても、決して、人は幸せになれません。地位、金などは人生の手段であっても決して最終的な目的にはなり得ないのです。今の荒れた社会を見れば一目瞭然です。もう私たちは、そのことに気づかなければなりません。

鎌倉時代の歌人、西行法師が伊勢神宮を参拝したときの歌「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」があります。何かわからないが、自然と涙が出てくる、という、大いなるもの、神仏、に対したとき、我々日本人が心から感じる気持ちを歌ったものです。

年を重ねるごとに、神仏に畏敬の念を持つ事は、大切になってきます。なぜなら、我々人間は、年を重ねるごとに、あの世に段々近づいていくからです。若い頃はなかなかこのことはわかりません。

目に見える物資のみがすべてではない、という言葉を胸に刻みたいと思います。

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