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出されたものを楽しんでいただく

今日のおすすめの一冊は、梯谷幸司(はしがいこうじ)氏の『突き抜ける 無意識の法則』(大和書房)です。その中から「さあ、人生とダンスをしよう」という題でブログを書きました。

この「人生とダンスをしよう」を読んで思い出したのは、ある若い禅僧の話です。

あるとき、二人の禅僧が川を渡ろうと岸に来た時、一人の若い女性が向う岸に渡れなくて困っていました。すると見かねた一人の禅僧が、さっさと女性を背負い、向う岸に渡って下ろし、何事もなかったようにまた歩き始めたのです。その一部始終を見ていたもう一人の禅僧が、「お前は修業中の身として、女性を背負ったりして恥ずかしくないのか」となじりました。すると、女性を助けた禅僧は、「お前はまだあの女性を背負っているのか」と答えたといいいます。

「放下著(ほうげしゃく)」という禅語があります。こだわりを捨ててしまえ、放り投げろということです。我々は、色々なものを後生大事に抱え込んでしまいます。「こだわり」「しがらみ」「嫉妬(しっと)」「妬(ねた)み」「恨(うら)み」「怒り」「憎しみ」…。

「今泣いたカラスがもう笑う」という言葉も同様です。子どもは、泣いていても、面白いことがあれば、すぐに機嫌を直して笑います。子どもはこだわりがないから、大人のようにうじうじと前の感情を引きずらないからです。

それは禅の言葉にある「喫茶喫飯随時過(きっさきっぱんときにしたがってすぐ)」でもあります。お茶を飲むときはお茶を、食事をするときは食事を、こだわらずにただ目の前に出されたものを楽しむということです。

出されたものをこだわらず、楽しんでいただく。これは食事だけでなく、災難も、病気も、同じだと思います。これは、良寛和尚の有名な言葉「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」とも同じです。

災難に逢うときは災難に遭い、死ぬときには死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられません。だとしたら、それらを受け入れて生きるしかないという意味の言葉です。

まさに、「人生とダンスしよう」ですね。

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