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「肯定言葉」と「喜び言葉」を使う

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『幸も不幸もないんですよ』(知的生き方文庫)です。その中から「すべてのことはあたりまえではない」という題でブログを書きました。

本書の中に『「肯定言葉」と「喜び言葉」を使う』という心に響く文章がありました。

ある母親が、「あーあ、私ほど幸運で幸福な人間はいない。こんなにツイている人間はいない。私はラッキーの塊だ」と言ったとします。

この言葉を聞いた夫や子どもは、「いっしょにいた20年も幸運で幸福だったんだ」「私たち子どもといっしょにいた15年も、幸運で幸福だったんだ」と思います。面と向かって言われたわけではないのに、体が活性化し、元気になります。体が軽くなることでしょう。

母親から発せられる言葉が、「喜びに満ちたもの」で「幸せ言葉」で「感謝言葉」だったら、夫や子どもは、そばにいるだけで元気になるでしょう。その人のそばに、いつも人が(家族が)集まることになります。

それぞれが子ども部屋に行っていた場合でも、母親の「肯定的」な言葉を聞くとなぜか元気になるので、子どもたちも集まってきます。そして、どんどん元気になっていきます。

では今度は、喫茶店に5人の人が集まり、コーヒーを飲み、ケーキを食べているとしましょう。美しい夕焼けでした。「あーあ、私はどうしていつもこんなに幸運なんでしょう。美しい夕焼けのときは、いつもそれを見られるところにいる。私ほどツイていて、ラッキーな人はいないわ」と言ったとします。

ラッキーな人なのです。幸運な人なのです。それも、いつもいつも幸運な人なのです。その言葉(幸運でラッキー)を聞いた人はこう思うでしょう。「友人としてつき合ってきたこの10年も、この人にとっては幸運でラッキーな10年だったということよね」そう思った瞬間に、“友人”としてのこの人の体は活性化し、元気になるのです。

「私の人生は幸運でラッキーだった」と言えば言うほど、周りの人は元気になる。その人の「肯定的な言葉」「喜び言葉」「幸せ言葉」「感謝言葉」を聞くと、周りの人は元気になりますが、聞かされている周りの人は、一つひとつの言葉に喜び反応を示している自分の体に、必ずしも気がついているわけではありません。

けれども、「なんとなく楽しく、元気になる」わけです。その言葉を聞くと活性化し、元気になる。したがって、周りにどんどん人が集まります。それも「楽しい人」や「明るい人」ばかりです。

「明るい言葉」には「明るい人」が反応します。「楽しい言葉」には「楽しい人」が反応するのです。ここまでわかったら、あとは簡単。「肯定言葉」「喜び言葉」「幸せ言葉」をたくさん言える人になればよいということになります。今日から自分の口から出てくる言葉を、そうした言葉に切り替える。過半数の言葉を、それらの言葉に変えよう、と決意してみてください。

◆自治会やボランティアの組織で、不機嫌な顔をして不平不満や批判ばかり言う人がいる。本人は正論を言っているつもりだが、聞いている人は、嫌な気持ちになる。たいていは、口先ばかりで、自分では何も動こうとしない人だ。

心の中で、「みんなのため」「会のために」といくら思っていたとしても、口から出る言葉が、批判や、不平不満ばかりだったとしたら、周りの人には批判や不平不満しか伝わらない。

お蕎麦屋さんに行って、心の中でいくら「天ぷらそば」と念じていても、口から出た言葉が「鍋焼きうどん」だったら「鍋焼きうどん」しか出てこないのと一緒だ。口に出す言葉しか、周りには伝わらない。

「不幸だ」「アンラッキーだ」というのか、「幸せだ」「ラッキーだ」と言うのか。何気なくつぶやく言葉に愛がある人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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