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神様への願い

今日のおすすめの一冊は、渡辺和子さんの『どんな時でも人は笑顔になれる』(PHP研究所)です。その中から「他人とちがった人間になれ」という題でブログを書きました。

同書の中に「願いはすべて聞き届けられる」という、とても感動的な文章がありました。

ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の残した詩があるということです。日本語に訳してみますと、次のようになります。
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。/より偉大なことができるように健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。/幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。/世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。/人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。/求めたものは1つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中で言い表せないものは、すべて叶えられた。私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。
1990年の夏、私は米国のセントルイスという街を訪ね、たまたまイエズス会の修道院に、この原文を見つけました。それは、J・ロジャー・ルーシーという神父が書いたものだということでした。多分、思わぬ病気か怪我をして、自分の“欲した”ことが成しとげられず、苦しみ、その苦しみのあげくの果てに到達した境地なのでしょう。

この詩を読むたびに、涙が出そうになります。「求めたものは1つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた」という心境に達するまでには様々な葛藤があったと思います。我々は、病気やアクシデントや困難に出会った当座は、なんでこんな目に遭わなければいけないのだろう、とひどく落ち込んだりします。

しかし、何年かすると(気づきの早い人はほんの何日か、何時間かで)、「ああ、あのことがあったから今の自分があるのだ。あれは私にとって必要なことだったんだ」と気づきます。「美味しさを知るには、空腹をしらなければいけない」のと同じように、幸福を知るには不幸を、健康を知るには病気をというように、対極にある気持を知る必要があるのかもしれません。辛いことですが、これが凡夫の定めです。

このコロナ禍も、あと何年かしたら「あれがあったから今の自分があるのだ」と感謝できるのでしょうね。まだまだ、今は全然ダメですけど(笑)

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