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野垂れ死に


今日のおすすめの一冊は、帯津良一氏の「いつでも死ねる」(幻冬舎)です。その中から「凛として年を重ねる」というブログを書きました。

本書の中に『「野垂れ死に」のすすめ』というとても刺激的な一文がありました。

《理想を持って、死ぬまで進み続けて、志半ばで倒れるのが、かっこいい。》
私が「野垂れ死にがいいよ」と言うと、大抵の方は「えっ」とびっくりした顔をします。野垂れ死にだけはしたくないという人が多いようです。 ブッダも野垂れ死にだったそうです。ですから、そんなに野垂れ死にを毛嫌いしなくてもいいのではないでしょうか。ブッダにあやかって野垂れ死にをしたいという人がいてもいいと思います。
野垂れ死にというのは、今はそう簡単にはできません。体調が悪くなれば病院へ入れられますし、高齢になれば施設で過ごす人も多くなっています。私の病院では延命措置はしませんが、大抵は、機械につながれたり、からだのあちこちに管を通されて、動けなくなった中で、旅立っていくことになります。
そう考えると、野垂れ死にというのは、けっこうぜいたくな死に方といえるかも しれません。野垂れ死にするには、病院や施設に入っていてはダメだし、家でのんびりと過ごしている人にも無理です。何か志をもって、病を押してでも懸命に動いている人が、志半ばで倒れてしまうというイメージが私にはあります。
野垂れ死には、決してみっともないものではなく、逆に、かっこいい死に方だと、私は思います 野垂れ死にの覚悟をすればもっと生き方が自由になれます。いざというときのためにお金を残しておこうと考えなくてもいいし、遺書だとかエンディングノートを書いておく必要もありません。仕事に追われることもなく、一日一日を大切に生きていけるのではないでしょうか。
野垂れ死にを怖がらず、死ぬまで動き回りましょう。人間、何歳になっても、いくらでも可能性があります。 やりたいことがあれば、年齢に関係なく行動すればいいのです。理想を追って、倒れるまで進み続ける。そんな中で、やっと自分がこの世に生を享(う)けた意味がわかってくるのです。
若いうちはなかなかわからなかった人生の深い部分が、最後の瞬間に近づくにつれて、じわーっと明確になってきます。 「年だから」などと言って、楽隠居を決め込んでしまっていては、そんなエキサイティングな瞬間を手にすることはできないのです。

抜群の教養を持ち、才気煥発でありながら、絶世の美女と言われた小野小町の強烈な歌があります。「我死なば、焼くな埋むな、野にさらせ、痩せたる犬の腹肥やせ」。もし自分が死んでも、焼いたり、埋めたりしないで欲しい。野に放り出して、腹を空かせている痩せた犬にでも食わせてやってくれればよい。

「野垂れ死に」や「野にさらす」覚悟を決めるとは、感性で生きることを選択することです。頭で考えず、感情が揺さぶられるままに行動することです。現代人は、とかく頭で考えすぎです。「こんなことをしたらカッコ悪い」「まわりにどう見られるかわからないからやらない」。

きれいごとすぎると、偽善が始まります。突き抜けた時、初めて迷いを振り切ることができるのです。

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