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難有るは、有難し

今日のおすすめの一冊は、上甲晃(じょうこうあきら)氏の『人生の合い言葉』(致知出版)です。その中から「人格は、後ろ姿に表れる」という題でブログを書きました。

本書の中に「難有るは、有難し」という心に響く一文がありました。

【「難有(なんあり)」難有るは、有難し】

北海道・遠軽(えんがる)にある北海道家庭学校は、百年の歴史を誇る児童自立支援センターである。キリスト教の教えに基づいて、不幸な過去を背負った少年の更生をめざしている。 広大な敷地の中に、チャペルがある。そのチャペルの正面に、「難有」の二文字が掲げられている。
「難有」。人生は、困難、難儀、苦難などの連続であるという意味だ。この文字を逆から読むと、「有り難い」である。即ち、「難有るは、有り難い」との意味を表している。 私はこの二文字に、生きる本質をうかがう気がして、様々な機会に紹介してきた。
どうして、「難有る」は、「有り難い」のか。「難」など何一つなく、平穏無事の連続で、物事が面白おかしく過ぎていく方がいいのではないか。誰しもそう思う。 しかし、現実の人間社会は、「難」の連続である。その「難」を受け入れられない人は、「どうしてこんな目に遭わなければならないのだ」と恨めしく思い、ひがみ根性が 込み上げてきて、落ち込むばかりである。
逆に、「難」に遭遇した時、「嘆いても嘆いても、何の解決にもならないから、受け入れよう」と考える人は、「難」を生かすことができる。

仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」。世の中は自分の思い通りにならない、と知ることです。その苦はなぜ生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべてはうつり変わるからです。

困難も、苦難も、すべてが移り変わり、変化していくからそこに苦が生じます。変化していくまわりが悪い、世の中が悪い、政府が悪い、といったところでその苦は少しもよくなりません。その苦を減じる唯一の方法が、その現実を受け入れ、自分が変わることです。

そう思えたとき、それは自分事となり、「難は有るが、有り難い」になります。「難有るは、有難し」を胸に刻みたいと思います。

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