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大半の問題は、どうだっていい問題

今日のおすすめの一冊は、ひろさちや氏の『人生はあきらめるとうまくいく』(幻冬舎)です。その中から「デタラメに決める」という題でブログを書きました。

ひろさちやさんは、「人間には未来を決められないし、決める権利もない」と言います。では、どうしたらいいのか…。それは「今、この瞬間を生きる」ことだといいます。《過去を追うな、未来を願うな》ということを書いています。

過去のことも思うがままにならないことの一つです。大学受験に失敗した、リストラにあった、あのときどうしたら落ちなかったのだろう。クビにならなかったのだろう、などと考えてもしかたありません。仏教は「即今、当処、自己」でものを考えます。禅の根本原理です。
即今とは「今」。昨日でも明日でもない。今、このときを生きる。当処とは「ここで」。あそこでも、どこかでもない。この場所で生きる。自己とは「私」。あなたでも彼でも彼女でもない。自分が生きる。常に、今、ここで、私が生きることだけを考えてください。だから、過去に起きてしまった出来事をあれこれ悔やんでも無駄です。
『中部経典』というお経のなかの一節です。「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。だから現在のことがらを、それがあるところにおいて観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見極めて実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ」
反省する必要すらありません。今このときだけを生きるのです。明日、生活は苦しくなるかもしれない。でも明日のことなど、誰もわからないでしょう。もし苦しくなったとしても、苦しみをなくそうとしてはいけません。楽しく苦しめばいいのです。リストラされて、貧乏になったら、貧乏を楽しめばいい。金持ちになりたい、もう少しいい生活がしたいと思うからダメなのです。
どうしたら楽しめるか、これは非常に難しいことですが、それぞれの人の立場で楽しみ方を工夫するしかありません。みなさんは「あきらめる」ことをせず、「がんばる」側、一方向のハウツーばかりを求め、苦しんでいます。リストラされたら、そのなかで楽しく生きる工夫をこらす。大学に落ちたなら、楽しい浪人生活を送ることを考える。世間の基準にあわせて焦ってはいけません。
来月必ず再就職しなくちゃ、来年必ず合格しなくちゃ。そうやって目標を定め、視界を狭めてしまうと、今この瞬間には苦しみしか生まれません。今ここで自分が楽しく、のんびり、ゆったり生きる工夫をしましょう。世の中の大半の問題は、どうだっていい問題なのです。どうだっていいというのは、言い換えれば「正解がない」ということ。それをしっかりとあきらかにすることがなによりまず大切です。

中村天風師の言葉に「さしあたる事柄のみをただ思え。過去は及ばず、未来知られず」というものがあります。まさに、『中部経典』にある言葉と同じです。明日のことは誰にもわかりません。そして、過去を変えることもできません。我々にできることは、この今を、この場で一所懸命生きるだけです。

幸せになるコツは、今の生活や仕事や人間関係の中に幸せを見つけることだと言います。どんな状況になろうと、そこに幸せの種を見つけられる人です。つまり、その状況を楽しめる人です。そうすると、大半の問題は、どうだっていいことになります。どっちに転んでも楽しめるのですから。

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