見出し画像

養愚(ようぐ)とは

今日のおすすめの一冊は、酒井敏氏の『京大的アホがなぜ必要か』(集英社新書)です。その中から「アホなことせい」という題でブログを書きました。

本書を読み、尾関宗園老師の「養愚(ようぐ)」の話を思い出しました。

これまでの職業人生のほとんどを海外勤務で過ごし、社会的にもエリートとして指導的な立場にあった男性ですが、不況がつづくなか、海外支店がつぎつぎと閉鎖されてしまい失職。いまさら、国内の小さな企業での使い走りなんかできないといいます。このようなエリートを自認しているひとは、取り繕いを捨てて、裸で歩くことから始めることです。相手に対してはもちろん、自分にたいしても隠しごとをしないで、その場、その場でありのままの自分で接する態度を、いつでもとれることが大事です。
だれしも自分の落ち目を恥ずかしいこっちゃ、見ないでおいてやと隠したがりますが、これがいけません。ともすると格好の悪いところをごまかして、相手に見えないようにはぐらかそうとしたがる。すこしでも利口に見せよう、相手より立派な自分を見せようとしたがります。愚の部分に気づいていても、それをひた隠しにします。愚の部分にさわられると恥ずかしいので、腹が立ちます。こうしていつも他人の目を意識して、自分本来の生き方を見失っています。
自分の賢の部分だけを養うのではなく、愚の部分に栄養をつけてやれば、だれに見られようと、何をいわれようとも腹も立たなくなります。「養愚」とは、こういう逆転の発想です。現代を生き抜くためには、「徳を隠匿(かく)し、愚を養う」のような基本に忠実な考え方がだれにも必要です。
愚を養うとは、「バカになり切れ」ということです。一生涯学習です。自己革新の勉強をしているのが本物かどうか、周囲のひとたちが納得してくれるかどうか真正直な猛直球を投げるのです。バカになり切ってください。(大丈夫や!きっと、うまくいく/KKロングセラーズ)

自分が恥だとか、格好悪いと思っている部分を、隠したり、嘘をついたりしたとしても、いつか必ずバレて白日のもとにさらされます。学歴詐称(さしょう)や職歴詐称がいい例です。自分の愚かな部分を隠せば隠すほど、それは見る人がみれば、不自然に映(うつ)るかからです。

養うとは、手塩にかけるとか、育てるということですが、愛育といって、愛(め)でる、という意味もあります。愚(おろ)かなことを愛(め)でる、いとしいと思うことです。「徳を隠匿(かく)し、愚を養う」という、ときにバカになり切って、開き直って生きている人は魅力があります。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?