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老子の残した言葉

今日のおすすめの一冊は、野村総一郎氏の『人生に、上下も勝ち負けもありません』(文響社)です。その中から「いまいちのときは老子」という題でブログを書きました。


本書の中に「老子の残した言葉」という一節がありました。

老子という人は、どのような言葉を残しているのでしょう? たとえば、こんな一節があります。 《碌碌(ろくろく)として玉のごとく、珞珞(らくらく)として石のごときを欲せず。》
「ダイヤモンドのような存在になったらなったで、それもいい。 石ころのような存在になったのなら、それもまたいい。 それが自然の姿なら、受け入れて、ただ生きていくだけ。 そもそも何かになりたいとかなりたくないとかではなく、自然のままでいいじゃないか。」
ダイヤモンドと石ころに優劣をつけて、ジャッジしたりはしないよ、というスタンスを老子は説いています。 老子に言わせれば、世の中にある物事について、いちいち「よい、悪い」「偉い、 偉くない」「すごい、すごくない」というジャッジをすること自体がおかしい。 これを老子は「無為」という概念で説明していますが、どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振る舞え、ということなのです。 これこそ「ジャッジフリー」の思想です。

老子は「無為自然」と言いました。 「無為自然」とはありのままの自然な状態、あるがままの素直な状態ということです。 道教(英語でタオイズム)の中心的な教えが、この「老荘思想」です。

松下幸之助は「素直な心」についてこう語っています(江口 克彦氏の言葉)。

「ほんとうの素直とは、自然の理法に対して、すなわち本来の正しさに対して素直であると、そういうことやな」 正邪、善悪、表裏の存在を知りながら、なおかつそれにこだわらない。 偏らない。

まさに、「好況よし、不況さらによし」という考え方です。 誰がこようが、何がこようが、「すべて宜(よろ)し」という絶対肯定する心的態度です。 肯定的な人は、ジャッジしません。 すべてを受け入れるからです。 それは、執着しないということでもあります。 思い込みをやめる「ジャッジフリー」の考え方を身につけたいものです。

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