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目上の者は敬う

今日のおすすめの一冊は、西田文郎氏の『ここ一番に成功する運とツキを呼ぶ方法』(三省堂書店)です。その中から「ツキとはチャンスをつかむ能力のこと」という題でブログを書きました。

本書の中に「目上の者は敬う」という心に響く文章がありました。

縦社会には弊害もありましたが、能力と関係なく目上の者は敬うといういい仕組みがありました。 お互いを尊重し合い、承認し合うという文化があったからです。 それは世界に誇るべき日本の文化なのですが、その一番大切なものをアメリカナイズされて捨てていってしまっているのが現在の社会です。 

お年寄りの方々はもちろん最前線でバリバリ働くというわけにはいきません。 しかし自身も能力が低下していることを分かっている分、余計に敬ってもらいたいと願うものなのです。 

先輩として敬ってもらう、先輩として意見をいってあげる、そういったことが心の支えになるのです。 しかし今は若者とお年寄りが分離されてしまいコミュニケーションがなくなってきています。 人はコミュニケーションがなくなると、自分のことしか考えなくなりますから、ますますお年寄りの方は社会に貢献できなくなります。 

お年寄りを敬う人は、他者を敬うということを知っています。 そういう経営者がいる会社では会社が一丸となりますから、うまくいくのです。 能力主義は組織が伸びていくには絶対に必要です。 しかし、そこに愛があるかどうかということが重要なのです。 

優秀だけど自分勝手な人の集まりと、愛をもった優秀な人達との集まりではどちらが楽しいかといえば、もちろん絶対に後者です。 楽しいということは組織を活性化させる大切な要素です。 

家庭で考えればすぐにわかります。 小さな子供が「おばあちゃん、いつもありがとうね」という家と、「うるせえな、くそばばあ」という家ではどちらが幸せか聞くまでもありません。 

そしてどちらの子供がよりよく成長していくかは、それは家族の結束が固い結果なのかもしれません。 どんな会社にもピンチは訪れるものですが、そんな時、能力主義だけの会社では雲の子を散らすように社員は逃げていくでしょう。 

しかし互いに承認し合い、一丸となっている会社では「なんとか立て直そう」とみんなが踏ん張ってくれるものなのです。

「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」(永六輔・無名人名語録) 

以前、飛行機の中で赤ちゃんが泣き止まないのを怒り、ヒステリックに非難した有名人がいた。 また、よろよろと歩いているお年寄りに向かって、「気をつけろ、このくそばばあ」と毒づいている若者を見たことがある。 

人は、大人になると、自分が生まれてきたときや、子供だった頃に、周りに散々迷惑をかけたことを忘れている。 そして、年を取ったら自分も必ず年寄になる、ということにも気づかない。 

人の痛みや悲しみがわからない人には愛がない。 それは、慈愛(じあい)という、親が子供をいつくしみ、かわいがるような深い愛情のことであり、そっとほほ笑み、だまってじっと見守るような慈母(じぼ)のような愛でもある。 

会社や組織や家庭において、そこにお年寄や子供あるいは社会的弱者に対しての愛がなければ、ギスギスとした冷たい集まりとなってしまう。

 お年寄りを敬う気持ちを持ち続ける人でありたい。 

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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