誰が医療提供体制を立て直すのか
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長へのインタビュー記事がかたい内容にも関わらず多くの人に読んでいただき、いっとき、ヤフトピ「主要」にも掲出されていました。ありがとうございます
「もう国のやり方につきあいきれない」と思う人にとっては3度目の緊急事態宣言に不満がたまる一方で、感染への懸念が強い人々にとっては「行動変容の呼びかけ効果薄」という報道に接し、不安が増幅されています。
指導力に疑問符がきざしている首相より、専門家の尾身氏に「あんた政府に物言う専門家のはずだろ、なんとかしてくれよ」というような気分になるのは、当然だと思います。
とりわけこの局面で私たちにわかりにくいのは、人口あたりの病床数世界一の日本が、なぜいとも簡単に緊急事態宣言を出さねばならぬほど需給が苦しくなるのか、ということ。そして、大阪の医療体制はなぜ、崩壊の瀬戸際の局面で、急激に重症病床確保数が増えたのかということです。
OECDのデータによれば日本の人口1000人あたりの急性期病床数は7.8床で、ドイツ(6床)より3割多く、アメリカ(2.5床)の3倍以上にあたります。これに対して人口100万人あたりの病院数ではフランスが45施設、ドイツ37施設、英国19施設、イタリア17施設といった数字と比べると、日本の66施設というのは、かなり多いことがわかります。
一方、医療人材の方を見ると、人口1000人あたりの医師数は2.5人で、ドイツ4.3人、フランスの3.4人、イギリスの3人と比べて見劣りします。
病床が多くの小さな病院に分散して広がっているから全国津々浦々まで医療へのアクセスがよい、ということにはなりますが、感染症パンデミックのように医療ニーズが急激に高まるとすぐに目詰まりを起こしてしまうということが実感としてわかります。平時にはよいが、有事に弱い、という特徴があるわけです。
この目詰まりが顕在化したのが、変異株の影響もあって病床が急激にうまっていった大阪府。しかも驚いたことに、急激に病床が埋まっていくと、驚くような病床の補完現象が起きました。
大阪府が「医療非常事態宣言」を出した4月6日の時点で確保された重症病床は224だったのに、5月2日現在で、重症病床は356にまで実に132床も増えています。ちなみに使用率は65.2%から98.3%まであがりっぱなし、かつ、中等症の病床までつかっているわけですから、全く余裕がある状態ではないことは、かわりがないはずです。
キャパシティが広がったのは、ギリギリの局面になって小規模の病院関係者たちが少しずつ病床を寄せて集めたから。非常時の圧力を持ってようやく、ということですし、大阪府や国の必死の働きかけもあり、また当事者の医師や看護師のみなさんにしてみれば、苦渋の判断があってのことであろうことは、想像にかたくありません。
そうした現場の方々の「持ち場持ち場で全力を尽くす」という使命感によって、病床が補われたということです。
墨東病院で起きたこと
ではなぜ、こうした非常時を見越した体制を平時から準備できなかったのか。この点については私なりに「あれと似ている」と感じたことがありました。それは08年、東京都で大きな問題になった「救急搬送事案」です。
江東区のかかりつけ産婦人科医院を受診した妊婦の搬送要請に対し、8つもの医療機関に連絡したが、受け入れ困難として受け入れ先が決まらず、最終的に都立墨東病院が受け入れましたが、妊婦は亡くなりました新生児は帝王切開で出産)。これと前後して調布市でも搬送困難事例が起きました。
師匠の猪瀬直樹さんが東京都副知事としてその検証を任された時、私もサポートスタッフの一人として、さまざまな現場に立ち合わせていただきました。
当時、事案は「たらい回し」として報じられ、最初は受け入れを否んでいた経緯から墨東病院に非難が集まりました。しかし調べてみると、墨東病院は医師がやめてしまったこともあって酷い人手不足で、産科の当直体制は慢性的にギリギリの状態。当日も、ほかの分娩に対応していた上に、ハイリスクの分娩に必要な特別な病床(NICU)がいっぱいだったのです。
解決策の幹の1つは、NICU病床を増やすための診療報酬と補助の充実。そしてもう1つは、その病床を担う医師・看護師の確保でした(なんかコロナに似てませんか?)。
もちろん、産科医師になる人が増えてくれればいいのですが、そう簡単ではありません(厚労省は09年度に医学部の定員を増やしましたが、その後はほぼ横ばいです)。
東京都が東京都医師会に応援してもらえるよう要請すると、深刻さを理解した都東部地区の医師会などの協力がえられ、地域の産科医さんたちにいざというとき協力してもらう体制が整えられたのでした。
それから13年、3月末に、その墨田区で唯一、コロナを受け入れている墨東病院が3月末まで「入院待機2か月ゼロ」という報道がありました。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/56656.html
区や保健所を中心になって、墨東で国の退院基準を満たした回復患者について、地元の医療機関の一般病床に受け入れる後方支援が奏功している、というものです。
近く取材に伺うつもりですが、こうした地域での医療機関の協力関係は、過去の苦い経験からの教訓から出発した積み重ねの賜物ではないかと想像しています。
逆からいうと、これがニュースになるわけだから、あれだけの悲劇でもない限り、地域の医療機関が協力しあうというのは当事者の方々にとっては、簡単なことではない――というと大袈裟かも知れませんが、医療機関同士の連携というのは、かなり重たい課題なのだと理解せざるを得ません。
誰が指導力を発揮すべきなのか
コロナがくる前からも問題として人口減少があります。地域ごとにではありますが、医療資源は余剰が目立ち、一方、これを賄う税財源も保険料も減っていく。ICUのような高度な医療を提供する設備を維持する余裕は、ますます地方の医療機関から失われています。
増大する医療費を抑え込むことを念頭に、政府は「地域医療構想」とい政策を打ち出しており、129万床(19年度)ある病床を25年には119万床まで、7%減らすイメージを公表しています。
確かに、危機にも対応しやすくなるはず。勤務医だけに過酷な勤務が強いられるようなことを避けることができるし、感染症専門医のような貴重な人材も、その大きなプールの中でならば人件費をきちんと配分できる。
私も整理は避けられないと思いますが、こうした集約化のような介入に、日本医師会は前向きではありません。新聞報道によると、現在会長の中川俊男氏は副会長時代、「民間病院と競合している場合は、公立・公的病院が撤退すべきだ」とさえおっしゃっていたそうです(日経新聞3月3日付)。
こうした発言に、医師の「私有財産」を守り抜く意思のようなものを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
回りくどくなりましたが、冒頭で紹介したインタビュー取材の際、こうした危機を見越した集約化について尾身氏は「高度な体制を拡充するのには集約化を進めるべき」としながら、こう述べています。
「病院のオーナーは私人だから公共のため権利を手放すことに消極的で、厚労省は公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか」
このあたりの発言は、5月10日発売の月刊『文藝春秋6月号』にインタビュー手記としてまとめています。この本誌に載せられなかった宣言後のコメントがとても貴重だったので、それならばと文春オンラインに別記事を仕立てさせていただいたようなかたちになりました(勝手な都合ですみません)。
尾身会長への期待感からすれば、もっと政治に対して強く言ってくれ、と思われる方もいらして当然でしょう。私は、じつは同じ趣旨のことを1年近く前に尾身さんが口にするのを耳にしていて、持論なのだと思います。ただ、直接話を聞いていて、うっすらと感じるのは、現在の尾身さんは独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)の理事長である、という立場への配慮です(違うかもしれませんが)。
この独法は14年に発足した新しい病院グループで、傘下にある57の病院は、社会保険庁改革や年金改革で行革の対象となってきた全国の旧社会保険病院、旧厚生年金病院からなります。
これらの病院が所在する地域では、こと平時では、医師会や病院協会の間で競合関係にある、医療界のいちプレイヤーなのです。その法人のトップの尾身氏が「地方の病院を統合しろ」と露骨に言い出したらどうなるか、医師会や病院協会も、「あなたがいうか」と黙っていらられないでしょう。
適切な喩えかはわかりませんが、郵貯銀行のトップが地方の信用金庫の統廃合や提携に具体的に口を挟みはじめたら、当然、全銀協の会長は「何様のつもりだ」と激怒するのではないでしょうか。
「今は一丸となって」を分科会でも、国会でも、会見でも繰り返している尾身氏にとって、いまは、そうした対立を医療界に起こすわけにはいかない、という感覚があるのかなと、インタビューのノートを見返しながら思いました(仮説です。機会があればこんど質問をしてみたいと思います)。
田村、河野、そして総務省ーー
あたりまえですが、医療機関の機能分担や適正配置は、本来、医療行政そのものです。当事者同士の利害調整に力を発揮しなければいけないのは、田村憲久厚労大臣と菅義偉首相にちがいなく、政治は何をやっているのだ――という局面です。
菅首相は23日の会見で、医療機関に対する権限の弱さについて「国に権限がない。緊急事態に対応する法律を変えないといけない」と述べていましたが、危機が落ち着いてからの話ですし、その本気度はよくわかりません。
結局、厚労省を通じていま、医師会に強いくさびを打ち込むことに成功しているようには、見えません。そうしているうちに、欧州から、大量のワクチンが届きます。これまた、医師会の医師たちの協力がなければ、テンポよく接種を進めることはできません。
気になるのは、総務省が今週、「新型コロナワクチン接種地方支援本部」を設置したことです。自治体による円滑な接種を支援する狙いがあると言われますが、首相自ら7月末までに高齢者への2回接種について終えると表明したプランを断行できるかどうかは、政権の「生命線」になります。
それを委ねるのに、厚労省や田村大臣も、自ら肝煎りで就任させた河野太郎行革担当相も、信用できないと見限ったのかもしれません。最後に頼れるのは、自分の影響力が強い総務省しかない、と。
これに失敗して政治の力がさらに衰えれば、尾身氏がいう「感染症に強い社会」も実現できそうにない気がして、とても気になっています。(了)
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