私の音楽

「音楽がしたいな」とたまに呟く。

きっと歌を歌ったり楽器を奏でたり、ビートを刻めば全て音楽になるのだろうけれど、
私にとっての音楽はそれだけじゃなくて、何かを表現する為の手段で、何より「楽しくて好きな世界」だ。

承認欲求が満たされるから、ここまで続けてきたから、という理由で音楽をしてきた事は否定できない。
それでも今ここまで熱を持って音楽をしていられるのは、音楽が楽しくて好きだからだと思う。

そんな私の音楽を守るためにもマイナスな感情を音楽の環境に入れたくはない。
音楽が直接起因する嫉妬や劣等感といった感情で、向上心に変えられるのなら良い。

でも「嫌い」という感情は最も遠ざけておきたい。自分が関わる「嫌い」も、他者と他者によって生まれる「嫌い」も。

人が誰かを嫌いになるのは仕方ない事だと思う。それでも私の中には入れたくない感情だし、正直言えばそんな面倒な関係性を頭のどこかに残している事は、私の音楽にとって邪魔であると思っている。

自分が音楽をしたいから、音楽を聴きたいから、そんな自分本位な理由でしか音楽をしたくない。
音楽をしたくて外に出たのに音楽が出来ず、何処にもぶつけられない感情を胸に残したまま帰りのハンドルを握る あんな経験はもう充分。

ライブハウスに行けば簡単に耳にする、
「〇〇は△△の事が嫌い、仲が悪い」「あいつは,あのバンドは、ダサい,良くない」「〇〇が誰それと付き合った、別れた」
そんなくだらない通俗的な話をする為に、聞く為に、私は音楽をしているわけじゃない。毎週末音楽の世界の扉を開けているわけじゃない。

誰かの音楽を聴く事で、カッコいい,上手い,好きだ、と思えればそれだけで良くて、そんな感情に刺激を受けて自分を成長させて、そしてまた誰かの前で自分のやりたい事を表現する。
それだけでいいんだ。それだけがいいんだ。

音楽をしている時だけは、音楽の世界にいる時だけは、普段嫌でも私を取り囲む「濁った世界」から離れられるんです。
私にとって誰にも邪魔されず全てを放り投げてやりたい事が出来るのは、音楽の世界だけなのです。

そんな私の考えを「甘い,幼い」と誰かが揶揄するのなら、私は永遠に幼くありたいし、それで澄んだまま居られるのなら何て幸せなのだろう、といつも思う。

私が私の音楽を出来なくなる理由は沢山ある。
まだ幸運な事に続けられているだけ。

少しずつ私は濁り始めている。
今はまだ、誰かの澄んだ音楽を聴く事で浄化されて、自分の音楽を取り戻して、また音楽を続ける事が出来ているけれど、

その瞬間が、いつか来る。

きっと私もいつか誰かを嫌いになる。
腐っていき自己の成長を諦めて、自分じゃない誰かを羨んで貶して、そうする事で自分を慰めようとする。
もしかしたら音楽の世界で誰かを好きになって、音楽と無関係に人に嫉妬するかもしれない。

そんな未来がいつ来るのだろう。
まだ来ていないよね。まだ来ないよね。
もう少し私は音楽が出来るよね。
もう少し私の音楽を続けられるよね。

あぁ、音楽がしたい。

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