見出し画像

刺せないから心病むんだ


好き 好き 大好き
刺したいほど貴方が好き
刺せたら良かったのにな
世界で一番貴方が好き

だって刺したら痛いから
貴方が痛いのは嫌だから
でも覚えていてほしいよ
私をもっと見てほしいよ

刺したい
刺したい
貴方を刺せたら、どんなに

好き 好き 大好き
笑えない冗談だって言いたいの
刺せたら良かったのにな

それでも貴方が苦しむくらいなら、
私は忘れられるほうを選ぶよ

刺したい
刺したい
貴方を刺せたら、どんなに

好き 好き 大好き
刺したいほど貴方が好き
刺せたら良かったのにな
世界で一番貴方が好き

(どうか他の誰にも刺されないでよ)


本日のくだらないお日記(2024.5.31)

まず、明日から環境を「変える」ので、note更新に影響が出るかもしれません。

誰に言ってるんだい? 一番は妾自身にだ!
でも出来れば書きたいな……書けるかな……。

それはそれとして、本日のお題は!

この野郎、言語のせいじゃねえか。

です。
なんのこっちゃ。

今日の話、多分駄目だと思う。
伝わらんと思う。
妾、ちょっと、言語を使うのが下手すぎるから。
事前知識があったり、凄まじい理解力があったり、妾の言語に寄り添って理解しようとしてくれる優しい方がいらっしゃったら、わからないけれども。
妾は、でも、今日の文章は特に自己中心的だと思う。


でも、あえて書く。これは妾のnoteだから。

あのね、ソシュールさんっていう言語学の偉い人がね。

言語とは枠組みである。

って言ってたの。
どの本だとか正確な日本語訳だとかその辺忘れたんだけど。調べる気力なくて申し訳ないのですけれども……。

どういう意味かって、

まず、五感からの体験って、全部曖昧だよね、ってところから始まる。



例えば、色の話が有名。

水色と青の違いはなんですか?



この問いは、言語を用いないと、答えられない。
そりゃそうだろ、ってそうじゃなくて、

実は、よく考えると、二つの色って繋がっているとも言えるんだよ。
水色と青って、無限にこう、区切れるじゃん。
これは水色よりの青だね、とか、
これは青よりの水色だね、とか
色相だけじゃなくて彩度明度の話で考えると? とかやれば、永遠に色の種類って存在しちゃうような気がするじゃん。

あなたが言っている青は、水色ではないですか?


いや、青の写真を見せれば、水色ではないですか? と聞く人はいないでしょ?
青は青でしょ。

違うらしいんだよ。
遺伝子的な色覚の違いとも、また別のところの話で、

私が青だと思った色を、同じ場所で一緒に見たとしても、真面目に、これは水色じゃないですか? と聞かれる可能性があるらしいんだよ。

どんな状況?

使っている言語が違う、って状況で、そんな不思議なことが起こるらしい。


具体的に説明するとね。

結構有名な話ではあるんだけど、
ロシア語には、青を表す言葉が二つあるらしい。

チャットGPTさんによると、
明るい青が「ゴルボーイ」
暗い青が「スィーニー」。

でも、英語には、
「明るい」「暗い」で青を分ける言葉がない。

だから、
例えば同じ場に、ロシア語話者の人と英語話者の人を連れてきて、
明るい青と暗い青の二色を見せた時に、

ロシア語話者の方には、こっちは「ゴルボーイ」だ、こっちは「スィーニー」だ、って二色が違う色に見えるんだけど、
英語話者の方は、「どっちも同じblue、同じ色だな」って思う、感じる、みたいなことがあるらしいんだよ。

ロシア語話者の方が、これは明確に「ゴルボーイ」ですね、って言っても、
英語圈で生まれ育って後天的にロシア語を覚えた方がやってきたら、
いや、「スィーニー」じゃないですか? というか二つの違いって何? わからんわ〜。

ってなる可能性がどうやらあるらしいんだよ。もしここで初めてこの話を知って、気になった方がいらっしゃったら、面白いので是非調べてみてほしいのですが……。

話を戻すと、
ソシュールさんはこう言った。

言語とは枠組みである。


つまり、

言語って、曖昧なものを区切って、「大まかに」、誰かと何かを共有するための枠である、と。

極端な話、
ロシア語話者の人たちは、明るい青と暗い青を見た時に、いちいちこれは違う色だ、って考える工程があるけど、
英語話者の人たちは、はい青! で良いんだよね。

言語という枠にはめればはめるほど、
曖昧さを無視していける。
細かい違いを無視していける。

おいしい! は、一言で終わるじゃん。
言語は、そういう、大枠で何かを捉えて、誰かと何となく感情や情報を共有することにとても強い。


けど、実際どんな風に美味しかったか? を本気で伝えたくて、

限りなく同じ体験を分かち合いたいと思ったら、
言語での話し合いって手段は、実はあんまり向いてない。

言語でやろうとすると、十万字費やしても、感覚の共有は難しいかもしれない。
難しいだろうなぁ。もはや、物語になるだろうな。それはそれで面白いと思うけど。

今日、本気で意味わからんこと言ってるな、ってなるかもしれなくて、
それは、確実に妾のせいなんだけど、

何が書きたかったかってさ。

いろんな知識を要約し過ぎると、偉人の言葉とかビジネス本とか自己啓発本とか哲学書とかが、

全部同じことしか言ってないじゃん、って感じてしまうようになる瞬間があるんだ、馬鹿な妾には。

つまり、全部おいしい! って言ってるだけじゃん! ってなっちゃう時がある。
こんな難しい言い方しなくても、おいしい! の一言で良くない?

そんなわけないんだよ。
少なくとも妾にとってはそんなわけないんだけど、

でも、例えば、
生き方論における、陰陽とか中庸とかバランス感覚とか清濁って、全部同じじゃない?

とかさ。

つまんないよなぁ、この考え方。
つまらないし、例えば軸の性質が似ていたとしても、
なんで違う表現を使うんだろう、とか、
軸だけでは、結局意味がなくて、血肉的な部分が大事だよね、とか、
妾はそうなんじゃないかと思うんだ。

でも、その、大切な血肉部分を表すのに、共有するのに、
言語は明らかに向いていないと思ってしまうんだよ。


妾のような、言語を使いこなせているともいえん小娘が何言ってんだ、ってなるかもしれんけど、

じゃあ、書くって、なんなん?
なんでわざわざ、妾は言語を好んで使ってるの?
ってなっちゃうけど、

別に、イラストでも音楽でも、他にもいっぱい、他人とのコミュニケーションツールとして使えるものがある中で、
なんで妾は言葉を使って書くことが好きなんだろう。
それを選ぶんだろう。

そこを本当の意味で表現出来るものは、多分この世にないんじゃないかなって思ってしまう……。
なんか、多分今後そこを表現する努力はしないだろうし、やってもいないのに絶望みたいなものを覚えている……。

もはや孤独感に近い。妾は病むのがうま過ぎる。


言語を使えば使うほど、言語の不便さも感じてしまうし、
でも、言語のその、大まかなところが、意味を区切ってしまうところが好きでもあるし、

なんか、妾はもう、言語との関わりも、人間関係みたいなものだなぁ、みたいな、
また、超訳をしてしまう。


いいんだけど、それをしても構わないけど、
けど、そこには絶対、曖昧なものを曖昧なままとらえることに対する諦めがあるんだよなぁ。

書く人には、ネガティブケイパビリティが必要だ、みたいなことを、詩人のジョン・キーツさんが言ってた。
妾に必要なのはそれ。
要するに、「曖昧なものを曖昧なまま受け止める能力」が必要な気がしている。

曖昧なものを、無理に超訳するんじゃなくて、
逆にボトムアップ的に、意味やら現象やら行動やらを積み上げていって、
逆にそのやり方で、曖昧さを表現することに立ち向かっていく、みたいな、

そういう、こう、戦いをしなくちゃいけないんだなぁ、って思った。

でも、それに若干疲れたから、

この野郎、言語のせいじゃねえか。


って言ってみただけです。
言語のせいでもあるのかもしれないけど、
妾は言語に物凄く救われているし、
妾自身があまりにも努力不足でもあって、
そんなこと言う資格、絶対にないけど。

でも、誰かと何かを共有するって、余りにも難し過ぎるよ。


少なくとも妾はそう思う。

いや、本当に共有することが大事なんだろうか?

むしろ、違うこと、対立することの方に、コミュニケーションの面白さは詰まっているのかもしれないな。


そう考えたら、

書くことがちょっと、また楽しくなりそうだなと思った。
今でも、書くのは非常に非常に楽しいけどさ。
妾は書くことに疲れてるんじゃなくて、
自分の頭が、
どこまで表現するのが面白いか、とか、
どこまで表現可能だろうか、とか
そういうなんかこう、高い視点ばっかりで考えてしまうことに、辟易して疲れているだけだ。

可能性も、面白さも、わからないのにな。
相手が、偶然が、なんの脈絡もなく決めるかもしれないのにな。

妾は非常に、考え方が柔軟じゃない。
もっともっと何も考えず、
手を動かして、その結果をただ受け止めるっていう、
生産性も意識した行動を増やさないといけない気がしている。

これも、バランスなんだけどね。
反省が好きなんだよな、妾は。もうそこにあんまり怒るのはやめた。
好きなだけ反省して、でも出来るだけ早く多く手を動かしてくれたらそれでいいよ。

考え方を、もっともっと柔軟にしていきたいし、
そもそも、もっとこう、未来的な思考の量を減らしていきたい。

目の前にあるものに対して、もっと思考する割合を増やしていきたい。

そう言ったからには、行動していかないとな。

変わるのも結果が出るのもゆっくりゆっくりかもしれないし、それがいい方向に出るか悪い方向に出るかもわからないけど、頑張っていきます。


本日のくだらないお日記でした。もはや反省文じゃん。
妾は、疲れると思考が増えて、行動が減る傾向にある。
よろしくないな。
今日は早めに寝よ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?