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雪の記憶、あるいは責任感の行き場について

最近の暖冬には珍しく、しんしんと雪が降り積もった夜だった。

今の家に引っ越してきて5ヶ月。この家で冬を越すのは初めてで、小さい部屋に似つかわしくない大きな庭に、雪が少しずつ少しずつ積もっていく様を、時間を置いては確認してしまう。横浜生まれ横浜育ちの僕には、大人となったといえども雪は珍しく、思わずはしゃいでしまう。童心に帰る貴重な機会だ。

テレビでは、鉄道や交通の事故のニュースが流れてくる。東京の交通網は、本当に雪に弱い。

僕には雪を見ていると思い出す記憶がある。


前日から降り続いた雪が、朝には止んでいた。天気は冬らしい抜けるような青。

空気が澄んでいるのが、理屈でなく肌で感じられる。そんな日だった。

雪の影響で電車は朝からストップしていた。僕はその日も朝からアルバイトが入っていて、出勤前からテレビのニュースを見ては交通情報を確認する。僕は何を思ったのか

「よし、今日は自転車で行こう」

なぜかそう決めていた。最寄駅からバイト先のある横浜駅までの電車は、大方の予想通り運休している。


僕はその時、とある牛丼チェーンでアルバイトをしていた。

確かその時点で働き始めて数年。入れ替わりの激しいアルバイトの中で、店の中心となって働いている自覚があった。

もちろん主婦パートの方やその他、ベテランのアルバイトさん。多くの社員さんの力を合わせて、お店は営業されていたわけだけど、当時まだ二十代前半。仕事も順調に覚えてこなせる自信がついてきていた僕は、平たく言うと調子に乗っていた。

いや、当時はその自覚すらなかった。今だから思うことである。

自分が居ないと、お店が廻らない。そう思っていた。

だから電車が止まろうが、そんなことは関係ない。なんとしてでも出勤して牛丼を作らなければ。

謎の使命感に駆られていた僕は、まだ雪が溶け始めてもいない道を、のろのろと自転車で走り始めた。


走り始めて10分、激しく後悔した。

大きな幹線道路を走っていく予定だったが、大きな道をは交通量がある分、雪は脇にどけられている。自転車は狭い歩道は走れず、車道の端っこを通ることになる。

まさに自転車の通り道であるところの道路の脇は、車にどけられた雪が少なくとも20センチくらいにはなっている。

僕は何を思ったか、そこを自転車で走っていた。

雪が深いところでは、ハンドルは取られる。

夜中の冷え込みで凍ったところでは、制御が効かなくなる。

もちろん普段通りに行くとは最初から思っていなかったが、走りにくさは予想以上だった。

しかも家を出てから前半は緩やかな上り坂だ。余計に体力を消耗する。

なんとかハンドルを操り、苦労してペダルを回しながら、前半最後の上り坂に入った。


その時だった。氷の塊をタイヤが踏んでしまい、思いっきり僕の自転車はスリップした。

かろうじて反射的に足が出る。

雪対策で履いてきたスノーブーツが少しだけ溶けかけた路傍の雪を踏みしめる。なんとか踏ん張ったその時だった。

後ろから自動車が来ていたことに、僕は気づいていなかった。

危ない、轢かれる!

反射的に自動車の向きを変え、なんとか車との接触は避けた。自動車のドライバーもブレーキが間に合ったようで、なんとか九死に一生を得た。



僕は何をやってるんだろう。

早くなっていた心臓の鼓動を落ち着けながら、そう思っていた。そう思ってしまっていた。

僕がお店にたどり着けなければ、他の人に迷惑がかかるだろう。24時間営業のお店だから店員がいなくなるわけにはいかない。僕の前に働いていた深夜シフトの人が、仕方なく延長して働いてくれるかもしれない。

僕がお店にたどり着けなければ、お昼のピークへの仕込みが間に合わず、いろんな人に迷惑をかけるかもしれない。

でも、ただそれだけのことだ。

なぜか、僕しかできないと思っていた。代わりはいないんだと思っていた。

代わりなんかいくらでもいる。アルバイトなんだから。

変な責任感を背負っていた僕は、働いている間、とてもピリピリしていた。

動きが悪い他のアルバイトがいれば注意したし、機嫌が悪くなっていた。僕のせいで雰囲気が悪くなってると上司に言われたこともあったけど、その時はてんで気にしていなかった。だって悪いのは、動きの悪いあいつじゃないか。ミスをしたあいつじゃないか、と。


僕はきっと、必要のない責任感をなぜか内に溜め込み、パンパンに膨れ上がっていたのだと思う。今だから思う。そんな責任感は道路の側溝に流してしまえ。


今でも、なぜか不要な責任感を感じて働いてしまうことがある。その責任感が不要である、という自覚はある。

もちろん適度な責任感は人を成長させると思うし、そのおかげで身につくことも多いはずだ。だけどその感じた責任感を自分の内に溜め込んではいけないんじゃないだろうか。

責任感は、向上心の証拠であり、不安の表れでもある。

それらは溜め込まず、仲間と共有していけばいい。

そうすればきっと雪のように溶けて、川になって、流れていくだろう。


それにしても、よく降る雪だ。
こんな日くらい、アルバイトは休んでもいいかもしれない。

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