見出し画像

ナポリのこれまでとこれからを考える(上)

はじめに

この話題はどこかのタイミングで出そうと温めていたもので、新年を迎えるこの節目の時期になってようやく投稿できることと相成った。昨シーズンまでと打って変わり、今シーズンのナポリの戦績は芳しくなく、周囲の人間から「なんで勝てないチーム応援してんの笑」「CLでしか勝てないナポリワロタ」などの声をいただくことも多い。だが、そんな単純な話だろうか。
この記事では、ナポリを応援している方にはもちろんのこと、セリエAの他クラブのファン、普段はセリエAなんて見ないという方々に対してもSSCナポリというクラブについて自分なりの考えを伝えることができたらと思い書いた。最後まで読んで頂ければ幸いである。

一言断っておかなければならないことを忘れていた。私がナポリを真面目に見始めたのはサッリ就任直後なので、ベニテスやマッツァ―リ時代のことはあまり知らない、ということだ。よって、知った顔になって話してもいいのはサッリ時代以後だけだと思うからそこからスタートしていくことにしよう。

ナポリってどんなチームだった?


「ナポリのサッカーって美しいよね」
ナポリについてこのような印象を持っている方は意外と多いのではないだろうか。サッリ時代のナポリは、某メディアが「ペップシティとどちらが美しいか」というアンケートでナポリへの投票が6割を占めたように、本当に美しいサッカーをしていた。1or2タッチの流れるようなビルドアップ―ハムシク、インシーニェを中心とした左サイドからの芸術的な崩し–職人カジェホンのため息が漏れるくらい完璧な裏抜けー。小兵ではあるがアジリティに富んだプレーヤーたちが資金力で劣るトリノの黒と白のチームや、ミラノの青いチームに互角以上の戦いを挑む。ここに魅力を感じてファンになった方も多いはずだ。かくなる筆者もその一人であっ
た。

視覚的なイメージだけでなく、データを見てもサッリナポリの攻撃色は顕著に表れている。
・3年連続ゴール期待値がセリエAトップ
・ボール支配率の平均が59.1%でセリエAトップ
・1試合当たりのパス本数(677本)がセリエAトップ
・1試合当たりの枠内シュート数(7.2本)がセリエAトップ
・1試合当たりの得点数が2.20でセリエAトップ

攻撃の指標のほとんどでリーグトップの指標をたたき出している。

サッリ体制3年目~最もエキサイティングな1年~

特筆すべきなのは3年目だ。開幕前に敢えて何も補強せず、極端なまでの継続路線を貫いたチームは7連勝のロケットスタートを切って首位を快走。攻撃力はそのままに守備力を向上させたのだ。また、セットプレー対策も強化。CLレアルマドリー戦をはじめ、小兵揃いのチームに露呈していた弱点を克服するためパターンプレーを導入し、セットプレーからの得点をリーグ屈指の数まで引き上げた。不動のレギュラーであったグラムの長期離脱もマリオ・ルイが埋め、開幕時の不調が心配されたハムシクも見事に復調。地元出身のウィンガーであるインシーニェは勝負を決める頼もしい存在に成長した。
ただ、シーズン終盤になると継続して使われてきた主力たちは疲労を隠せなくなってくる。首位の座も明け渡してしまった。そんな時結果を出したのが伏兵たちだった。31節のキエーボ戦では、負傷明けのミリク、そしてディアワラのセリエA初ゴールで劇的な逆転勝利。

33節には、2度のリードをひっくり返してまたも逆転。しかも他会場でユベントスが土壇場で追いつかれるというオマケつきだった。これだからリア対はやめられない。

そしてついにやってきた首位ユベントスとの決戦。勝ち点差は4。ここで見せたパフォーマンスは素晴らしいものだった。フットボールを見てここまで感動したのは初めてかもしれない。試合を通してボールを握り続け、仇敵イグアインやエースディバラに枠内シュートの一本も打たせなかった。そして、歓喜の瞬間は終了間際に訪れる。コーナーキックをK2ことクリバリがドンピシャのヘッド。試合後、ナポリの街は大騒ぎ。遠征から帰ってきた選手たちを出迎えるため、空港近くには万単位のサポーターが集結し、喜びを分かち合った。このとき、誰もが優勝を確信したに違いない。ナポリの残りの対戦相手はフィオレンティーナ、トリノ、サンプドリア、クロトーネ。楽ではないが、ビッグクラブとの対戦がないのだ。対して、ユベントスの対戦相手には、インテル、ローマが控えている。これは…!

しかし現実は非情だった。フィオレンティーナ戦、クリバリの一発退場により土壇場でチームは崩壊。まさかの0-3で敗北となってしまった。痛い、という言葉では言い尽くせない。こうして、ナポリのスクデットへの道はついえてしまったのである。しかし、この優勝争いの経験は新米のファンである私にとって単に優勝争う以上の物、すなわちナポリという街の類稀なるフットボールへの情熱、愛情に気づかせてくれたのだ。

優勝争いが教えてくれたこと

ナポリの街ではクラブとサポーターの在り方が他と違う。試合後のチャントでは、「ある日突然僕は君との恋に落ちた。心が高鳴っているんだ。理由なんか尋ねないで。今、時は立っても僕はあの時のように街を守るよ。」と熱く歌う。そして、心のままに愛情を表現する。

また、こんなチャントもある。フットボリスタでたまたま読んだ記事に載っていたもので、ノエミという歌手の『Vuoto a perdere』を原曲としているそうだ。その歌詞では「君と共にいる。あきらめちゃだめだ。僕らの心には夢がある。ナポリが王座に返り咲くと。」とある。この2つのチャントには、サポーターが選手に対して過度なプレッシャーを与えるのではなく一緒に寄り添って闘う、というこの街独特の姿がある。「俺たちは死ぬ気で応援するから、お前らもそれくらい頑張れ」などという陳腐な後押しではない。この姿は優勝争いをしていようが変わらない。

ユーべに追いつき、追い越すために

ナポリの歴史を遡ると、いつも資金力の違う北イタリアの強豪に蹂躙されてきた。80年代半ばにマラドーナという”神の子”を手にして優勝したところまではよかったが、革新的なゾーンプレスを駆使するアリゴ・サッキに率いられた伝説のミランの台頭によって覇権を失う。一時期はセリエCにまで降格し、近年表舞台に戻ってきたものの、ユベントスの牙城は一向に崩せないままだ。

スクデットを現実的な目標と勘違いする勿れ。膨らんだ期待はいつも裏切られる。『フットボールマネーリーグ』(デロイト社)の売上高をみればそれは明らかだ。ユベントスの売上は、3億9490万ユーロ。対して、ナポリは1億8280万ユーロと半分ほどしかない。ナポリはローカル依存なのに対して、ユベントスは世界中にファンを持つ。スポンサー収入も同様だ。クリスティアーノ・ロナウドをはじめとするスター選手をかき集めるユベントスは、コマーシャル収入がとても多い。それに対してナポリのコマーシャル収入は、アクアレーテ、キンボ、カッパなどの地元企業にとどまる。このように、ユベントスに勝つためにはローカル企業に依存した経営体質を、変える必要があるのだ。また、北イタリアや、北米、アジアまで幅広く潜在的なファン層を開拓することも不可欠であろう。

明らかになった足りないもの

この素晴らしいシーズンの終了後、サッリはチームを離れることになった。リーグ戦のみに力点を置いて戦い、メンバーを完全に固定し、守備時の決まり事も多い。チャンピオンズリーグでは、静的ゾーンディフェンスに自慢のアタックが鳴りを潜めたシャフタール戦、そして、明らかに委縮して前半の30分で3近くものゴール期待値を計上したシティ戦において敗北を喫した。勝負師としてのサッリは、この先ナポリがタイトルを取りに行くにはいささか足りない部分があったに違いない。(彼が事あるごとに蔑まれた”無冠”というレッテルがロンドンで解消されたのは喜ばしい限りだ)
新指揮官候補には、スペインで輝かしい実績を残したウナイ・エメリなどがあげられたが、最終的にやってきたのはカルロ・アンチェロッティだった。

単なるタイトル奪取の目的にとどまらない就任の意味

アンチェロッティはすごい監督だ。この点は疑いの余地はない。実績を見ればそれは明らかである。5大リーグのうち4つのリーグ、すなわちセリエA、プレミアリーグ、リーグアン、ブンデスリーガで栄冠を手にしている。リーガで手にできなかったのは玉に瑕だが、レアルマドリー監督時代には、3度目のチャンピオンズリーグ制覇も果たした。この偉業は、モウリーニョやグアルディオラ、クロップでさえも成し遂げていない。彼は現役監督の中で最高の戦績を誇る。

彼はサッリやグアルディオラのような理想主義者とは全く毛色の違う監督だ。そもそも彼に関しては、確固たるフットボール哲学がないのではないかという懐疑的な見方が後を絶たなかった。だが、彼には類稀なる”戦略家”としての才能があった。パルマ時代にはサッキの薫陶を受けた442を、ミラン時代にはカカを生かすために4321を利用したように、特定のシステムに固執せずに最適解を見つけ出す。これほど柔軟にシステムを使い分ける監督も珍しい。

彼という素晴らしい監督を手に入れたということは、サポーターに”夢の続き”を追いかけることを示した。この解釈は、間違いではないだろう。しかし、会長の意図が透けて見えた気がした。(続く)