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桃島太郎

昔々、山の麓の小さな村に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある日、おじいさんは山に柴刈りに行き、おばあさんは近くの川で洗濯をしていました。おばあさんが洗濯をしていると、上流から粗末な小舟がゆらゆらと流れて来ました。不審に思ったおばあさんが岸に流れ着いた小舟をのぞいてみると、そこにはむしろで姿を隠した、お腹の大きな女の人が横たわっていました。とても高貴そうな女性でしたが、かなり弱っていて、話をするのも苦しそうです。

おばあさんはおじいさんを呼んで来ると、ふたりで女の人を自分たちの家に運びました。
その夜、女の人は急に産気づき明け方には玉のような男の子を生みました。そして一本の懐刀を差し出すと、最後の気力を振り絞って「この子をお願いします」と言って息絶えてしまいました。

おじいさんとおばあさんは、小舟が流れ着いた川辺に小さな墓を作って、女の人を丁寧に葬ってあげました。そして子どもの無かったおじいさんとおばあさんは、男の子を太郎と名付け、とても可愛がって育てました。
やがて太郎はすくすくと成長し、村でも評判の力持ちのイケメン男子になりました。

ある日、太郎は故郷の村から遠く離れた都で領主が開催した相撲大会に出場して、見事優勝を果たしました。
領主の桃島光康はその見事な活躍ぶりに感心し、太郎を召し出し、御馳走で歓待しました。そして太郎の語る珍しい出生話に興味を持ちます。
「領主様、これは母の形見でございます」太郎はいつも肌身離さず持ち歩いている懐刀を取り出しました。それを見た光康は驚きました。
「これは昔、わしが娘に懐妊の守りとして与えた懐刀だ」
今を去る十数年前、身重だった光康の娘は、安産祈願で婿養子の夫とともに都を出て神詣りに行ったのですが、その際に鬼の一群に襲われたのでした。娘婿や他の家来は遺体となって発見されましたが、娘だけは行方不明となっていました。「鬼に連れ去られてしまったのだ」と光康は悲しむと同時に娘の生存は諦めました。なお光康には娘以外には子が無く、今はお世継がいない状態で、家の存続のために弟・光秀の息子を養子として迎えるかどうか決断を迫られていました。
「わが孫よ」太郎を抱き寄せた光康の目から涙が溢れました。「わが血も絶えてしまうのかと諦めておったのだが、なんとめでたいことか。神様、感謝いたしまする」
その日から光康は太郎を世継ぎとして迎え入れ、自分の側に置くことにしました。

光康の元で武術の訓練に励んだ太郎は生まれ持った素質が開花し、やがて屈強な戦士として誰もが認める存在になり、ついには世継ぎの若様でありながら光康の親衛隊長を務めるまでになりました。光康もそんな太郎をとても頼もしく思いました。

ところで誰もが好感を持つ青年であった太郎に対し、あるグループだけは冷たくよそよそしい態度を示していました。それは領主である兄の家の差配を受け持つ光秀を中心とする一派でした。自分の息子を新しい領主にするつもりであった光秀にとって、太郎は突如現れた邪魔者だったのです。

ある日、太郎率いる親衛隊はサバイバル訓練として海辺でキャンプをしていました。
訓練中、太郎は一匹の亀が子供たちにいじめられているところに遭遇しました。かわいそうに思った太郎は亀を助け、海に戻してやりました。すると、その夜、亀が太郎のテントを訪れ、「助けてくれてありがとう。お礼に竜宮城にご案内します」と言いました。

太郎は「訓練中だから」と言って断りましたが、亀も簡単には諦めません。
仕方なく太郎は「領主様に報告して、その許可が得られたら行ってもよい」と答えました。亀は「では次の満月の夜に浜辺でお待ちしています」と言って海に帰って行きました。

翌日、太郎から報告を受けた光康はその話に興味を持ちました。
海を支配する一族と友好関係を築ければ、自分の勢力の安定に役立つと考えた光康は、太郎に「竜宮城に行って様子を探ってまいれ」と命じました。

満月の夜、浜辺で待っていると例の亀が海から上がって来ました。太郎の姿を見つけて嬉しそうです。
「では竜宮城に連れて行ってくれ」
太郎は亀の背中に乗り、海を渡って竜宮城にたどり着きました。竜宮城では、美しい乙姫が太郎を歓迎し、豪華な宴を開いてくれました。乙姫はその美しさと優しさで太郎を魅了し、乙姫も純粋無垢で高潔な太郎の人柄に大変好意を持ちました。二人は次第に惹かれ合っていきました。

これまで女性にまったく縁のなかった太郎は、初めての恋愛にすっかり夢中になって時間を忘れました。
竜宮城での楽しい日々が続く中、乙姫と太郎は将来を誓い合うまでになりました。乙姫の素性は、海を支配する海神族の王の娘で、このあたり一帯の海を領海としていました。乙姫は太郎に竜宮城の秘密や不思議な生き物たちの話を語り、太郎も陸での暮らしや領主の話をして日々、絆を深めていきました。

しかし、ある日、乙姫が太郎に衝撃的なニュースを告げました。「太郎様。あなたがいない間に、あなたの国が鬼たちに襲われました。領主様も生死不明です」と。
太郎は驚き、すぐに竜宮城を後にすることを決意しました。乙姫は涙ながらに魔法の玉手箱を渡し「この箱は自分の力ではどうにもならなくなった時に開けてください。必ずあなたの助けになります」と告げました。玉手箱は箱と言っても掌で包めるほど小さいものでした。太郎は乙姫に感謝してそれを懐に収めました。そしてふたりは辛い別れをしました。

太郎は亀の背中に乗って陸に急ぎ戻りました。国はすでに鬼軍に蹂躙されており、田畑は荒らされ、光康の館をはじめ焼け落ちた領民の家の残骸だけがどこまでも続いていました。光康の家来のほとんどは死ぬか鬼軍に捕虜として連れて行かれ、身を隠して生き残っていた者はわずかでした。領主の光康は鬼に捕まって連れて行かれたということでした。
「生きておったのか太郎よ。しかし、もはや何もかも後の祭りだが」
太郎が臨時の拠点とした町はずれの小屋に、華麗な着物をボロボロにした光秀が連れて来られました。疲れ果てているようで、いつものずるそうな笑顔はありません。
「鬼どもに騙されたのじゃ。わしの息子を領主にするというので手引きしたのに、やつらはわしの息子まで殺しおった」
「なんと大叔父上。あなたが鬼を手引きしたと言われるか」
「そうじゃ、わしはお前が邪魔で仕方なかった。そこでお前がいない間に鬼を引き入れ、兄を隠居させてこの家を乗っ取るつもりであったのだ」
「鬼と手を結んでおったと」
「おお。やつらとは、だいぶ長い付き合いじゃからな」光秀はそこで意地悪そうな笑みを浮かべました。それを見て太郎はあることに思い当たりました。
「もしや大叔父上、わが父母を鬼に襲わせたのもあなたか」
「そうよ。あれが最初であったな。わが姪には不憫なことをしたが」
「なんと…」
「わしは判断を誤った。すべてはお前のせいじゃ」そういうと光秀は刀を抜いて太郎に切りかかりました。太郎は身体に染み付いたしぐさでそれをかわすと振り向きざまに光秀を袈裟に切り落としました。

太郎は生き残った光康の家臣を集めて反乱軍を結成しました。
そして占領地の統治のために残っていた百人近い鬼の残存部隊を奇襲作戦で個々に襲って壊滅させました。
やがて国に残っている鬼軍は一掃されました。しかしそれらは鬼軍の一部に過ぎず、肝心の主力部隊は本国で再度の侵攻に備えて着々と軍備を整えていました。今回の敗報もすでに伝わっているはずです。再侵攻は近いと考えて良いでしょう。太郎は相手の準備ができる前に、こちらから攻め込むしか勝機は無いと考えました。
その頃には太郎にとっては心強いことに、かつての親衛隊幹部である三人の勇将が「太郎将軍、帰還す」の報を聞いて反乱軍にはせ参じていました。
その三人の勇将とは、機動力に優れた軽騎兵を率いる雉牟田一夫、突撃力に優れた重騎兵を率いる猿沢治郎、乱戦に強い重装歩兵を率いる犬童三平の三人です。三人は個人的な戦闘力も高かったのですが、軍を率いる司令官としても優れていました。そして何より司令官の太郎に忠実でした。

太郎率いる反乱軍は、鬼たちが住む鬼ヶ島に向かって船出しました。総勢は軽騎兵二十騎、重騎兵二十騎、重装歩兵四十名、輜重部隊を含むその他の兵が二十名あまりの計百名といったところでした。純粋な戦闘部隊としては八十名ほどです。鬼軍は二百名以上と聞いています。この兵力差では正面から戦うのは不利でしょう。

太郎たちが鬼ヶ島に着いたのは、二日目の夜。
その日は新月で闇が深く、上陸部隊が姿を隠すにはもってこいでした。
上陸したその足で、闇に紛れ、反乱軍は城と呼べるほど広大な鬼の館とその周辺に野営する鬼軍に夜襲をかけました。

激しい戦いが始まりました。
火矢を射かけて建物を燃やし、訳がわからず外に出て来て右往左往する鬼たちを、まずは雉牟田率いる軽騎兵が弓で狙い撃ちしていきました。その後、敵襲を悟ってある程度軍装を整えて向かってきた敵を、今度は猿沢率いる重騎兵が粉砕していきます。夜陰に紛れているため、鬼軍は反乱軍の戦力がどれほどなのかよくわからず、恐慌状態に陥りました。
奇襲は成功し、太郎と仲間たちは多くの鬼軍をやっつけましたが、やがて夜が明けてくると鬼軍に太郎軍の数の少なさが伝わってしまいました。

鬼軍の総大将は剛力無双で知られた巨漢の鬼久保弾正です。
彼が館を出て戦場に姿を現すと、それまで押されていた鬼軍の士気が一気に上がりました。
城郭および狭い野営場という戦場は馬で戦うには不利な地形でした。
闇が反乱軍の姿を隠してくれている間は鬼軍にとって反乱軍の騎兵はとても恐ろしい存在でした。ですが辺りが明るくなり敵味方がはっきり視認できるようになると、騎兵の機動力もあまり役に立たなくなりました。鬼軍は障害物を利用して移動し、数で攻め立てて来ました。反乱軍は苦戦しました。犬童率いる重装歩兵がかろうじて対抗できたので、彼らを殿軍として太郎はいったん軍を引くことにしました。

騎兵は逃げるとなれば足が速いので有利です。
しかし乱戦に取り残された重装歩兵たちはとても辛い戦いを強いられました。なにしろ鬼軍の方が倍以上多いのです。太郎も犬童と並んで鬼軍の突撃を防ぎながら、徐々に上陸地点に向かって軍を引いていきました。

鬼軍の追撃を防ぎつつ反乱軍の全軍が船に乗って海に逃れる頃には昼も過ぎていました。思えば半日近く戦い続けていることになります。さすがに反乱軍にも疲労の色が濃く現れていました。

鬼は水に弱いため、海での戦いは望まないだろうと太郎は淡く期待していました。しかし頭に血が上っている鬼軍は「我先に」と小船に乗り込み、反乱軍に海での決戦を挑んできました。反乱軍の船は鬼軍よりも大きかったのですが元々が軍船ではありません。装甲も大したことありません。そこに鬼軍の無数の小船が群がって来ました。
最初は船の縁の高さで有利な反乱軍が上から射かける矢が効果的で、しばらくは鬼軍の攻撃を防いでいました。
しかし鬼久保の乗る大きな軍船が現われると攻守が逆転してしまいました。

鬼久保が直接率いる鬼軍の精鋭が反乱軍の船に乗り込んできました。強さに自信がある太郎でも、単独では鬼久保の剛勇に対抗できません。三勇将と力を合わせて戦いました。ですが時間が経つにつれ鬼軍有利に戦況は傾いてゆきます。三勇将も負傷してしまいました。太郎もまた疲労のため、動きに冴えがありません。
「死ね。人間ども」
鬼久保の剛剣が太郎の心臓を目がけ突き出されました。それを避けるだけの余力は太郎にはありませんでした。
「もはやこれまで」と思われましたが、鬼久保の剣は太郎の心臓を貫くことができませんでした。太郎の胸甲の内にあった何か固い物が剣先を受け止めたのでした。太郎は勢いで後ろに飛ばされましたが一命はとりとめました。
何が太郎の命を救ったのか?それは乙姫が太郎に託した玉手箱でした。

太郎は思い出しました。「どうにもならない状況になったら箱を開けるように」と乙姫は言っていました。彼は玉手箱を開けました。すると中からまばゆい光とともに乙姫が現れました。玉手箱は一種の転移装置だったのです。乙姫は優雅に舞い降り、水の精霊たちを召喚しました。

乙姫は海の水を操り、鬼の船を絡めて次々と沈めていきました。鬼軍は動揺しました。元々鬼たちは泳ぎが得意ではありません。海に落ちた鬼たちはあわれにも荒れる海面で次々と溺れ死んでいきました。
鬼久保は怒りに震えました。剛剣を握り直すと不思議な力を発揮する乙姫に襲いかかろうとしました。鬼久保の剣が優雅に舞う乙姫の頭上に振り下ろされそうになったその時、太郎が突進してきて鬼久保ともつれ合いながら、ふたりとも海に落ちました。
水中でもふたりはもつれ合ったままでした。鬼久保はしがみついてくる太郎を引き離そうと恐ろしいほどの力で抵抗をしました。しかし海に落ちる前に太郎の剣が鬼久保の身体を深々と貫いていたため、徐々に鬼久保の動きは鈍くなっていきました。
やがて鬼久保は息絶えました。それを知った太郎も急に身体から力が抜け、気を失って海中深く沈んでゆきました。

本来なら太郎もそこで死んでしまったかもしれません。ですが乙姫が優しく海中から太郎を救い上げました。
「鬼久保弾正は桃島太郎が討ち取ったり。鬼どもよ無用は抵抗はするまいぞ!」太郎を抱いたまま海面に浮かび上がった乙姫は、その優美な姿からは想像できないほどの大音声で言い放ちました。さすがにその声には海神族の姫たる威厳がありました。すると残っていた鬼たちも戦意を喪失し武器を捨て全員が反乱軍に降伏しました。

戦いが終わりました。気絶から覚めた太郎は反乱軍をまとめ、ふたたび鬼ヶ島に上陸しました。太郎は、どこから調達したのか輿に乙姫乗せ、共に鬼の館へ向かいました。

鬼の館は半分が焼け落ちていましたが、奥の居住区画はあまり崩れてはいませんでした。反乱軍は広大な屋敷にそれぞれ場所を見つけて休みました。
牢屋に入れられていた捕虜たちも解放されました。光康はかなり憔悴していましたが、命に別状はありませんでした。

負傷者の治療や食料の確保、戦利品の収集整理など、ふたたび軍を整えるのに数日を費やした後、反乱軍は鬼ヶ島を出て国に戻りました。

国に戻ると太郎たちはいったん軍を解散しました。
獲得した財宝は先の戦いで多大な損失を被った領民たちにも等しく分け与えられました。
隠居を決意していた光康は会議を開き、全員の賛成を得て、太郎を新しい領主に据えました。太郎の傍らにはもちろん乙姫が奥方様として控えています。

太郎は自分を育ててくれたおじいさん、おばあさんのために屋敷の一角に別邸を建て、以降、ふたりをとても大切に世話しました。
太郎が統治した国は乙姫の助力もあって海の幸に恵まれ、その後長く栄えたと言われています。

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