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<クリスチャン・ディオールのジャポニズム>偉人の生きざまと時代から学ぶ、ファッション温故知新 VOL.2

とても残念なことに、私はムッシュ・ディオールが生きている時代に彼のクリエーションを見たことはありません。
ムッシュ・イヴ・サンローランが後を継いだ時代のディオールも、展覧会でしか見たことがないのです。

ガリアーノの衝撃

私は、1980年代にスタイリストアシスタントとしてファッション業界に入ったので、パリコレというものを初めて意識した当時のディオールのコレクションはジャン・フランコ・フェレのクリエーションでした。
そして、コレクションの実物を見たり、ショーのお手伝いをするようになった時はジョン・ガリアーノ時代のDior
そのクリエーションの衝撃は、私のファッションの概念を根こそぎひっくり返すほどのものでした。

服はおしゃれをする道具であり、女性を美しく見せる手段だと思っていたものが、ひとつの芸術のようだと認識した初めての体験が、ジョン・ガリアーノのディオールでした。

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<画像引用元> 
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2007-couture/christian-dior

ファッションはアートか?プロダクトか?

実は、ファッションはアートかプロダクトか、という論争はそれを作り出すクリエイターの世界では根強くあります。

去年、惜しまれながらこの世を去ったカール・ラガーフェルドは、「自分はアーティストではない、ドレスメーカーだ」と言い続けて、シャネル、フェンディ、クロエ、そして自分の名前のカール・ラガーフェルドにおいて、とてつもない数のクリエーションを生み出した神のような存在でした
だから、ジョン・ガリアーノのDiorと、カール・ラガーフェルドのシャネルは対極のようでいて、そのドレス作りに注がれる繊細な愛情はとても似ている、と私は感じていました。

クリスチャン・ディオールとシャネル。双方ともが、厳しい条件をクリアしたアトリエしか加盟できないパリオートクチュール協会(サンディカ)を代表するクチュリエですが、ココ・シャネルの時代からのシャネルとDiorの因縁めいた関係もとても興味深いものがあります。

前回のブログで、ココ・シャネルのことを書きました。
https://note.com/hiromiosada/n/n88b7c6ad4026

第一次世界大戦前後という時代にあって、女性の生き方が大きく変わっていった時代だからこその、女性も社会で働く時代の「必要」から生まれた数々の服や素材やディテールの発明

ココ・シャネル本人が言っていたように、その激動の時代が彼女にもたらしたチャンス、それをつかんでの大成功でした。
そして、シャネルの斜陽もまた、時代の変遷と共にありました。
次の新しい時代の波をつかんだのは別のスターでした。

新しい時代の「必要」が生むモード

第一次世界大戦前後の時代にそれ以前のファッションの常識を大きく変えたシャネル、その活躍中に起きた、第二次世界大戦。今度は長い戦争でした。世の中は軍事ムード一色で贅沢は廃され、女性の服も生地を多用しない、色のない、タイトでまるで軍服のようなシルエットが主流になっていました。これはシャネルの得意とするところですが、シャネルは戦火を逃れていったん店を閉めてパリを離れました。

戦争が終わり、戦地へ赴いていた家族の帰りを迎え、世の中が明るいムードになってきた頃、そんな、平和のうちに愛し合う男女のムードを後押しするかのように生地をたっぷり使い、女性らしさの美、女性の身体の曲線の美しさを賛美するような、若き日のクリスチャン・ディオールのコレクションが一気に人々の注目を集めました。

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<画像引用元> 
https://www.elle.com/jp/fashion/trends/g130700/fpi-haute-couture-best-look17-0714/?slide=1

なんとそれは、なだらかな肩からウエストをぎゅーっとしぼって分量たっぷりのスカートをふわーっと大きく広げる、女性が果樹園のりんごだった昔を彷彿とさせるような、シャネルの嫌いなスタイル。(前回のブログ参照)
https://note.com/hiromiosada/n/n88b7c6ad4026

それは、それまでの戦時下で生地を惜しんで作られていた、まるで軍服のようなファッションに飽き飽きしていた人々の心をつかむには十分すぎる美しさでした。

ファッション界では有名な話ですが、その、クリスチャン・ディオールのファーストコレクションを見た、当時とても影響力を持っていたハーパースバザーの編集長が「ニュールックね」とひとこと発言した、ということでそのコレクションは「ニュールック」と名付けられ一躍、クリスチャン・ディオールは戦後のパリファッション界の主役の座に押し上げられました。

戦争という抑圧。人々の心の中にある美しいものへの渇望。Diorもまた、時代の「必要」から生まれたクリエーションで一気に時代の寵児へと駆け上がったのでした。

このDiorのある意味’昔帰り’のような女性像が人々の間で絶賛されるのを、ココ・シャネルはどんな思いで見ていたのでしょうか?それは今となっては確認することはできません。
しかし、戦争が終わり、Diorが注目されてから、シャネルが再度パリのファッション界に返り咲こうとカムバックしたことを思うと、その心情は想像に難くないと思ってしまいます。
しかし、時代はすでに別の「必要」に動いてしまっていたのです。

そうやって戦後、開店当初の勢いを失っていったシャネルに息を吹き返し、1980年代に再び世界一のメゾンへと返り咲くことを成し遂げた功労者が、カール・ラガーフェルドです。

ポールポワレ⇒ココ・シャネル⇒クリスチャン・ディオール⇒イブ・サンローランカールラガーフェルド
現代モードの黎明期に、新しい時代の「必要」をとらえ、新たな「必要」を産みだし続けたこの偉人たち、彼らの繋がりと人間模様は本当に興味深くて、ここのストーリーを授業で話すのが私は大好き!
イブ・サンローランとカールラガーフェルドの話はまた別の回で取り上げたいと思います。

あくなき「美」の追求こそがDiorのDNA

このようにココ・シャネルとムッシュ・ディオールの時代から、「機能性」か「女性美」か、というポリシーの違いが大きくあった二大ブランド。
現代は少しニュアンスを変えて、ファッションはアートか?プロダクトか?という論争もある中、「私はドレスメーカーだ」と断言するカール・ラガーフェルドのシャネルに対して、その芸術性で突出した存在として独特でアーティスティックなクリエーションを繰り出し、毎シーズン注目を集めていたジョン・ガリアーノもまた、創始者ムッシュ・クリスチャン・ディオールが活躍したころから40年の時を経て、あくなき「美」の追求がブランドのDNAであるクリスチャン・ディオールという老舗メゾンに息を吹き返した立役者であったことは、間違いありません。

現在はマルジェラのアーティスティックディレクターとして、クチュールコレクションを生み出しているジョン・ガリアーノがクリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターを務めていたのは、1996〜2011でした。その間、日本にも数回来日していて、お忍びで渋谷109で買い物をするような、親日家です。

ガリアーノ時代の珠玉のオートクチュールコレクションの数々の中でも、伝説となっているのが2007年スプリングのコレクション。
ジャポニズム一色に染め上げられたそのコレクションの美しさはとてつもなく、私は心を鷲掴みにされました。

服でこんなに芸術的な表現ができるなんて!
そして、しかも、どこから見ても、モデルの顔が真っ白に塗られていようとも、突飛さや寄をてらった感じよりも、圧倒的な美しさに埋め尽くされたコレクション。

これを感動するなと言われたら、私は一体何に感動すればいいのだ?

とにかく素晴らしいクリエーションでありドレスであり芸術でした。
そしてそこには、ガリアーノの目から見た、日本の伝統の服飾文化の美しさが、まるで宝石を扱うかのように、大切に、大切に表現されていました。

ガリアーノは、そのコレクションの前に来日していた時、日本の知人に折ってもらった折り紙の折り鶴を潰さないよう箱に入れて大切にパリに持ち帰り、その折り鶴のパターンを参考に服を形作ったそうです。
結果は、複雑な折り鶴の折り方がそのままドレスになった独創的で美しいドレスが出来上がりました。

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<画像引用元> 
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2007-couture/christian-dior

それを見た時、私はそれまで日本の美を目を凝らしてみようとしていなかった自分をとても恥ずかしく思いました。

インスピレーションの宝庫、ジャポニズム

1800年代の末に、日本が開国して初めて参加したパリ万博をきっかけにヨーロッパに大きなジャポニズムプームが起きたことも、私たちが誇れる日本文化の歴史ですね。この話もとても興味深いのでまた別の回に書きたいと思います。

海外の芸術家やクリエイターにとっても日本の伝統の美はインスピレーションを与えてくれる宝のようです。

実は、ディオールとジャポニズムとの関係はガリアーノの時代に始まったわけではなく、もっとずっと以前からの関係性があります。
あの上皇后美智子さまと平成天皇とのご成婚の時のウエディングドレスがディオールのものだったことは有名な話ですね。
https://www.kunaicho.go.jp/50years/s33to43.html

マリア・グラツィアのジャポニズム・クチュール

2017年に、マリア・グラッィア・キウリのクリエーションでDiorオートクチュールのコレクションが丸ごと来日してショーが行われた時も、私はバックステージのオーガナイズスタッフとして参加させていただく幸運を得ましたが、その時も準備期間の毎日、至上の美しさの服たちに触れられることが幸せでなりませんでした。

そのときのテーマは、「ジャルダン・ジャポネ」
パリで発表されたオートクチュールコレクションに、日本からインスピレーションを得たスペシャルなピースを何着か加えたものでした。

会場となる、オープンを控えていたGINZA SIXの屋上の、春の嵐が強すぎて、そのチュールやシフォンのドレスやスカートはビュンビュン舞い踊る、なんともワイルドなオートクチュールのランウェイになってしまったのはご愛嬌でしたが。

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本当に、本当に、美しい素材で、職人さんの手で我が子を育てるように大切に作られた宝物のような服をモデルさんが着たところを見ることを、私は本当に愛しているのです。

今はこんなご時世なので、今度いつ、このような素晴らしいオートクチュールコレクションに日本で触れられる日が来るのかはわかりません。
早くまた、日本に来て日本の文化に触れたいと思っているクリエイターも世界中でたくさんいるのだろうなぁ。

こんな時だからこそ、彼らに代わって(大げさです)、私も日本の素晴らしい文化や日本の美しいものに触れたい気持ちがとても募っています。この自由の利かない期間の後に来る世界、これからの時代の「必要」とはきっと大切に作られたものがもっと大切にされる時代であるを祈って。

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