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生き方をさかのぼる

『生き方開発lab』に参加するようになって、社会のあり方について考える時間が格段に増えました。

もともとそういうテーマは好きだったし、歴史や海外に興味があるのも、"今ここ"じゃない時代・場所の社会のあり方とか人間の生き方について知りたかったからです。


だけど、一人でそういうことを考えてた以前よりも、labに参加して人と共有できるようになった今の方がずっと楽しくなりました。


今labで扱ってるのは「宗教」「家族」「遊ぶと働く」の3つ。

前回のオープンlabまでは、今までの宗教、家族、仕事のあり方の歴史を見直すという内容でした。


社会のベースにあるこの3つの要素、現代へとつながるルーツはどこにあったのか。


いろんな考え方ができそうですが、たとえば、今の日本の家族のあり方とか働き方とかは、明治時代を起点として考えると捉えやすいのかなと思いました。


戦前と戦後でもだいぶ違う部分はあるかもしれませんが、いろいろな変遷はありながらも原型となるものは明治期に出揃っていたような気がします。


と同時に、もっと大きな枠で捉えると、また違った歴史が見えてくるようにも思いました。


大きな枠で捉えるというのは、「ホモ・サピエンス」という観点で捉えてみるということです。


つまり、人類史をたどってみるということ。


なんでそんなことを考えたかというと、labでの発表を聞きながら、数年前にベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』のことが頭をよぎっていたからです。


ホモ・サピエンスっていうと定住せず、文字や文化・文明を持たず、狩猟採集をしていた頃も含む(むしろその時代のほうがはるかに長い)ので、現代を生きる私たちとはかけ離れた感じもします。


だけど、人間の本質というものを考えるなら、いっそそのくらいさかのぼってみるのも面白そうだと思ったのです。


とは言え、くわしい内容はほぼ忘れていたのでこの年末休み、久しぶりにざーっと流し読み程度に読んでみました。


読み直して思ったのは、labで扱ったテーマのうち「宗教」と「働く」この2つについてはハラリの言う「農業革命」に現代のルーツがあったのでは?? ということです。


(「農業革命」とは約1万2千年前におこった狩猟採集から農耕牧畜への移行を指します。)


たとえば、宗教は農耕社会が大きくなる過程でコミュニティを統制するために発展していったものです。

労働のあり方についても農耕開始後は労働時間が増えて1日の大半の時間を労働(農業)に費やすようになり、狩猟採集時代に比べると一気に現代人の労働スタイルに近づきます。


一般的には「農耕牧畜を開始したことによって、人口が増え、都市が発達した」とポジティブな文脈で説明されることが多いですが、個人の生活レベルで見ると労働時間が増え、肉体への負荷も増し、穀物中心の食事で栄養も偏り、健康状態は悪化。


また、穀物は貯蔵できたことから、富の蓄積・所有の概念が生まれ、貧富の格差が生まれ、人口のほとんどは貧にまわるという、、


そういった負の側面も多かったことから、ハラリは農業革命のことを「史上最大の詐欺」と言っています。

発展の歴史は必ずしも幸福の歴史とはなりません。むしろ社会や国家という大きな「虚構」ができて以来、個人の幸福は差し置かれることの方が多かったように思います。

話は一旦飛びますが、私は以前から生産性という言葉が苦手でした。

それは数年前にある政治家が「LGBTには生産性がない」と発言して以来アレルギーになったというのもありますが(私は同性愛者なので)、

それ以前に、生産性(とか成長とか拡大とか発展とか)が無条件によしとされている社会に馴染めないものを感じていたからです。

それらは個人の得られる幸福や充足感とはあまり関係がないような気がするのに、なんでそんなに追求しなくちゃならないんだろうと疑問に感じていました。

既存の社会システムを維持するためかもしれない。だけど、今の社会システムってほんとに今の私たちにフィットしたものなのか? ほんとに"みんな"のためのシステムって言えるのか?

生産性が悪だと言いたいわけではありませんが、数字の増加ばかりを追い求めても一人一人の生が満たされるわけではありません。

実際、今までの社会では目的を失った競争原理が加速しただけで、結果として人類を消耗し、疲弊させてきたのではと思います。

私たちは一体なんのためにこんなことに巻き込まれているんだろう。

私は、こういった生産性にまつわる社会と個人の食い違いは、きっと資本主義社会が始まった頃からのものなんじゃないかなって、なんとなく思ってました。

だけど、今回『サピエンス全史』を読み直して思ったのは、人類史の観点から見るとその食い違いの発端は約1万年前の農業革命の頃にもうすでにあったんじゃないか、ということです。


そして、もう一つ思ったのは、農耕社会が始まったのは人類史的な感覚で言うとそれほど古い話でもない、ということです。

ホモ・サピエンスが現れたのが約15万年前、農耕社会が始まったのは約1万年前。

つまり、農耕社会が始まってから現代までの歴史はホモ・サピエンス全体の歴史から見ると15分の1に過ぎないということです。

ということは、現代では当たり前のように、それこそ人間の本質であるかのように語られる生産という概念も、それほど古い起源を持っていないのでは、という気がしてきます。


そう考えると、なんだかちょっと安心できる自分がいます^^;


なんだー、やっぱり生産って別に人間の本質じゃなかったんだー


って、思えるので。


かと言って、現代に生きる私たちがいきなり生産活動を手放すわけにもいきません。そもそも生産それ自体が悪なわけでもありません。


だけど、人間は必ずしも生産に携わる生き物でもないんだって思えるとちょっと自由な気分になれるし、そういう視点はこれから生き方をつくっていくうえでも取り入れていきたいと思いました。










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