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感じることと表現すること

先日、生き方開発labのワークショップがあった。そのなかで、ある人が表現することについて語った一言が頭に残っている。

「感じることがあってもそれを言葉にできなかったら苦しい」


その言葉が頭に残っているのは、身をもって強く共感できることだったから。

感じることと表現することは、別のことだし、ベクトルも真逆だけど、対になってるようなところがある。


その人が言ったように、感じるものがあってもそれを言葉として(言葉じゃなくてもいいけど)外に出すことができなかったら苦しくなると思うし、

逆に言語化だけができても、そこに感情がのってなければ、誰かの心に響いたり、人とつながれるような言葉にはならないと思う。


私は今ではこうやって自分の気持ちや考えを文章で表現するようになったけど、それができるようになったのはここ半年くらいの話で、それまでは自分の内側にあるものを人前に出すことなんてほとんどできなかった。


人と話すことも本当に苦手だったし、とても怖かった。


思ってることが話せなかったっていうのもあるけど、それ以前に、喉がぐっと締まって声が出なくなるとか、頭真っ白になってその場で固まるとか、そういう文字通りの話せない時期も結構長かった。今でも少しあるけど。

私が自分の気持ちを表に出せなかったのは、自分の言動が相手にとってどんな刺激になって、どんな反応として返ってくるか分からない、そんな環境で長く過ごしていたから。

そういう環境にいると、自分の存在を消すことが正解になる。

気持ちを表現することは危険なことだった。駅とかでよく見る薬物乱用防止のポスターの『ダメ。ゼッタイ。』ってキャッチコピーみたいな、あんな感覚。


だから、喉を締め付けて自分の声を圧し殺すことは私にとって、少しでも安全に生き延びるための手段だった。


それが苦しいことだということに、昔はあまり気づいてなかったかもしれない。苦しいのは苦しいけど、それが当たり前だったから。

多少表現できるようになってきた今の方が、表現できないことの苦しさをより感じられるようになった。


当時、苦しくても自分を圧し殺したままでどうにかやれてたのは、感じる力のスイッチを切ってたからっていうこともあったと思う。


感情や感覚は消すことはできないけど麻痺させることはできる。見ないふりしてごまかしたりすることもできる。


生きていくためには時にはそういうことが必要な場面もあるし、自分の感じてることを見ないまま生きてる方がある意味では楽なのかもしれない。


だけど、実際には感情を全くのゼロにすることなんてできないから、やっぱりどこかで無理が出てくる。


私はあの頃あまり気づいてなかったけど、内側はいつもいっぱいいっぱいで、心も体もずっとどこかおかしかった。


そういう感覚が普通になってしまっていて、気づいたら自分のことがよく分からなくなっていた。


私は感じる力を麻痺させることで多少苦痛を感じなくすることはできたかもしれないけど、同時に自分自身を失っていたんだと思う。


20代の終わり頃、生活がどうにもならなくなって、だけど死ぬこともできなかったから、そこでようやく自分の内側と向き合う覚悟ができた。


そこから今に至るまでの数年間は、自分とのつながりを取り戻す時間だった。


弱くなっていた体の感覚も徐々に戻ってきて、自分がどんな人間だったのか、少しだけ思い出したような気もする。


最近では、この先どんなことがしたいとか、どんなものが欲しいとか、未来のことも考えられるようになった。


人にすすめられてnoteを始めてからは、言葉を使って感じたことを外に出すことも覚えた。


はじめはピンとこなかったけど、書いてるうちに自分の中に、外に出たがってる気持ちがたくさんあることに気づいた。


ちゃんと外に出してこなかったからあんまり分かってなかったけど、結構たくさんあった。


しんどい気持ちもそうじゃない気持ちも同じように外に出してあげた。


少しずつ、楽になった。


前はネガティブな記事が多かったけど、最近は全体的になんだか前向きになってきたような気がする。

人に読んでもらえるのも嬉しい。感想をもらえたりしたときは本当にありがたい気持ちになる。


たぶん、表現は人を解放するものなんだと思う。


解放には勇気が要る。


自分自身に科している囚われを壊して、内側の「本当」をさらけ出すことになるから。


囚われがきついほど、きっと勇気も必要になってくる。


感じることもそうだけど、表現することも自然とできる人がいる一方で、そういうのが難しいって人も少なくないと思う。

能力があるなしとかじゃなくて、自分らしくあることが許される環境で生きてきた人ばかりじゃないと思うから。


だけど、人がその人自身になって、自分の内側をありのままに表現できたとき、それは自分自身を囚われから解放して自由になることに他ならないと思う。


だから、誰にも気に入ってもらえなかったとしても、ときどき重たくて深刻な内容になっちゃっても、不器用でぎこちない文章だったとしても、それが本当に自分が感じてることなんだったらなるべく表現しておきたい。


今は、自分を圧し殺したくないって思うようになったから。



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