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伸縮自在な物語


難問がある。

"例えばですね、算数の問題でこういう問題があります。『63センチのヒモを同じ長さずつ9本に切ります。一本の長さは何センチになるでしょう』これは算数の問題ね。算数の問題を算数で答えると7センチなんですよ。全然おもしろくないじゃないですか。別に教育はおもしろさを求めてないと思うけど、頭の中暇なんですよね。九九を丸覚えしただけで何の問題でもないなっていうのが僕は当時あって。
僕は国語の頭で考えるとなんていうのかな。この63センチのヒモを同じ長さずつ9本あるんですよ。7センチのヒモが9本あって、じゃ国語の頭で考えると9本の7センチのヒモは何に使えるかという考え方するんですよね。"

川田十夢がINNOVATION WORLD内Brain laboratoryの中で算数の問題を国語で考えるべく出された問題が頭から離れない。9本のうち、2本は川田十夢が使った。そのうちの一本は飲み物監査局が持ってるようだ。あとは落語家の師匠。あと7本はどこにあるのか。7センチのヒモが7本。おそらくは世界に散ったのだろう。(川田十夢の話の全容はこちらで文字で読める)

レオナルド・ダヴィンチの7センチ四方の熊の素描にまつわるところに一本は使われている気がしてならない。だって9本の7センチのヒモが7本になったところで7センチ四方の絵が関わってないなんて考えにくい。と考えて1日の大半を過ごしていた。なんてことだ。

そして川田十夢はnoteを更新していた。時間と単位についての物語だった。そしてそれはスイミーにまつわる冒険の物語でもあった。

川田十夢少年は自閉症(現代的には自閉スペクトラム症)と診断され普通の小学校には行けないと3歳の時に診断されてしまった。お母さんは我が息子を信じていたから普通の小学校に通わせるべく息子に自信をつけさせようと鬼コーチのいるスイミングスクールに入れて訓練させた。十夢少年は誰も悲しませないために普通の小学校に行くことを目標にビート板を齧りながら鬼コーチにお尻を抓られながら上達してゆく。
その頃同じように自信をつけさせるために民謡を習っていた、という。着物姿の所作の美しい先生の姿を記憶に焼き付けながら舞台度胸と共に音楽が時間であることを知る。

なぜなら民謡には譜面がない。先生が唄ってくれた言葉を読み取って、そこに含まれる音楽を覚えるしかない。とあるように聞き流せば二度と唄うことはできない。そこから十夢少年はエジソンの伝記にあったレコードの発明を想起する。音楽は経験でもあるし、経験はつまり時間でもあるし、時間は音楽でもある。その人の経験を宿そうとしたエジソンのレコード。時間とはすなわち音楽であるかもしれないと十夢少年は感じるのである。

そして音楽は小節に分かれる。時間も単位として存在する。スイミングや唄の習い事から帰った十夢少年はご飯を食べた後、お母さんから絵本を読んでもらうことを楽しみにしていた。お母さんに何度もスイミーを読んでもらう、ゴーグルをつけたまま。ゴーグルはVRのヘッドセットのような役割を十夢少年に果たしていたようだが実際はARのデバイスのように現実にスイミーとして生きる世界を重ねていたようだ。

だからスイミーの続きがどれだけでも浮かぶ。読み終わったスイミーの続きをお母さんに話して聞かせる。その話は現実を拡張して、スイミングスクールで酷い目にあったならそれを物語に。お唄の先生の美しい所作が焼き付いていた日は美しい泳ぎをする魚を登場させる。
お母さんには社会人としての面もある。朝から働いてご飯を作って絵本を読んで、さらに愛する息子の絵本の続きの物語を必ず聞いてどんな結末でもダメ出しをしない。十夢少年の伸縮自在の時間はすなわち物語はお母さんの読みきかせと絵本に帰結するのだ。その安心感たるや。十夢少年の安寧はそこにある。

そして現在の十夢少年。いや、少年の魂を内包したまま大人になった川田十夢はあらためてスイミーを読み直して、スイミーの冒険の実質を知る。なにせ十夢少年は自身が考えた無数の物語のエンディングと混濁している。
スイミーは赤い兄弟たちの中で一匹だけ黒い姿をしている。ある日スイミーたちは大きな魚におそわれ兄弟たちを食べられてしまい一人ぼっちになってしまう。海の知らない場所を一人で孤独に苛まれながら泳ぐスイミー。
しかしその海には様々な世界があることを知る。孤独の経験がむしろスイミーに勇気と知恵をもたらしてゆく。そして再び赤い魚の群れに出会う。
赤い魚たちに自分が見てきた世界を訴えるが赤い魚は大きな魚におびえて暮らすだけ。スイミーのいうことを無視する。

しかし再び巨大な魚が襲ってきたときにスイミーは自分が黒い目になって群れ全体で大きな魚を形作って撃退することに成功するのだ。スイミーは孤独であることで仲間を守る知恵と勇気を身につけた。みんなの中で自分だけが黒いことの価値もみつけた。けして群れから離れなかったのは仲間を作る勇気も孤独から学んだからだ。スイミーは孤独の冒険の果てに自分の存在の意味を知る。

川田十夢は私たちの日々とスイミーを重ねる。色の違いを卑下することなく、世界を知る者は国民の目になればいいという。しかし目になろうとする専門家のことを国民の頭脳として機能する者たちが無視してはいけない。と、あれ、毎日のようにニュースで目にする光景と近いぞ。例えばコロナとか。

時間と空間に縛られることは秩序を守っていることでもある。赤い魚であることも黒い魚であることも等しく平等なことだ。孤独の冒険に出る者ばかりでも確かに国家は上手くいかなさそう。でも、冒険が義務化された世界になったら是非ヴィンチ村まで行ってレオナルドさんに会って欲しい気はする。7センチ四方の絵を描くときに7センチのヒモで寸法を測らなかったか聞いて欲しい。

法と秩序があべこべの惑星はドラえもんの領域だけどそれはそれで別の話に連なるからとりあえず日本という国で自分を恥じず、誰のことも軽んじず、自分の価値を知って必ず愛されていることを知り、自分だけ色が違うならその事を受け入れてそれでも孤独の中で多くのことを学び、誰も恨まず、誰も妬まず、日々を美しくする努力をしませんかスイミーたちよ。それが新しい物語をこの国に生み出すのだから。と川田十夢の伸縮自在な夜の思い出を読ませてもらって思う。
大事な川田家の夜の単位の物語をありがとう。

(太字は川田十夢/時間は音楽、絵本は伸縮自在な夜の単位。より引用)





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