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部屋に緑がある効果効能について

いつだったか実家に帰ったとき、どの部屋にも観葉植物や花があって、思わず
「部屋に緑があるっていいなぁ~」
と呟いた。

その呟きを聞いた母が、後日送ってくれた荷物の中に、ハンズなどで売っているような小さな植物栽培キットを入れてくれた。おそらくハーブのようなものだった気がする。
気がすると言うだけのことはあって、大切に大切に話しかけ水をやりお世話をしていたつもりであったが、小さな芽が出た頃、日当たりの良い床に置いていた植木鉢をうっかり蹴飛ばしてしまった。そして、呆気なくその小さな芽は枯れてしまった。
蹴飛ばした時にまき散らした土も元通り鉢に戻したのに、その後土からは何にも生えてこなかった。

数ヶ月後、
「あの栽培キットどうした?」
と電話で母から聞かれ
「…蹴飛ばして枯らした」
と答えると
「やっぱり!!」
というような言葉が返ってきた。

やっぱり!!
わたしは昔から植物を育てるのが苦手でいつの間にか枯らしてしまう。朝顔やひまわりなど、小学校ではうまく育っていたものも、家に持ち帰るとだめだった。水のやり過ぎなのか他に原因があるのかいつの間にか枯らしてしまう。
ちなみに切り花も苦手だ。切り花はどうしても花瓶の中で花が『いてて!』と切り口を痛がっているように思えるからだ。

部屋の中に緑を置きたいという願望は常にあったが、そんなことでなかなか実現には至らなかった。

休職中のわたしは、先日また1週間ほど実家に帰った。
実家の本棚から津村記久子の目当ての小説を抜き取り再読した。芥川賞受賞作『ポトスライムの舟』だ。

表題作『ポトスライムの舟』の主人公は、前職でパワハラを受け退職したのち工場に勤め始める。工場に貼ってあった世界1周旅行の金額と自分の工場での年収が同額だということに気付く。。というような内容だ。その作中に、ポトスライムを家で水栽培し株分けしていくという描写がある。

こつこつ働く様と逞しく増え続けるポトス。
津村記久子の小説は、はっきりと何かを言うわけではないが、働くことや生きていくことに対して、毎回何かしら今の自分に足りないようなものを埋めてくれる気がする。

再読であったはずなのに過去に読んだ内容の記憶は薄っぺらく、初めて読んだようにしみじみ良かったと感じて読了した。この本は実家に置いておくのではなく、東京に連れて帰ろうと荷物の中に詰めていたら母が
「これ持って帰り~」
とビニール袋を手渡してきた。

緑色の何かが入っている。
ポトスだった。

「これすごいよポトス。日陰でも、水あんまりかえんでも育つし、適当に切って水につけといたらどんどん根っこ出て増えるで。これなら枯らさんやろ」

わたしのポトスライムの舟!!
嬉しかった。
※ポトスライムはポトスの種類

東京に戻ったわたしは、ポトスを職場で使っていたアフタヌーンティーのマグに活けた。
痛が(ってるように感じ)る切り花は苦手なので花瓶など持っていないからだ。
わたしの部屋でその青々としたポトスは生命力に満ちあふれており、目に眩しい。
愛おしささえ感じながら時々『ぽっさん!』と声を掛けてみる。
※西加奈子『円卓』参照
 わたしはぽっさんが大好き。

我が家に来てから1週間でポトスの根っこはまた伸び、新しい芽も出ている。毎日毎日少しずつ確実に成長している。
切り口が痛いというくらい、生物として植物を見ているわたしは、その生命力に圧倒される。
部屋に生き物がいる!尊い!

ポトスライムの舟はぐんぐんと伸び続け、その生命力を見せつけながら、わたしを安全な場所に連れて行ってくれるはずだと思う。

そろそろ会社に行きたいな、と思った。





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