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完璧に平和な場所(54/100)

※タイトルの(54/100)は、100日チャレンジの54日目という意味です。

どこかで読んだ「どんなことも、100日続けると世界が変わって見える」を体感したくてやっています♪ 

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自分のなかの「疲れ」と対峙して分析

動きっぱなしで忙しなかった自分が瞑想にめざめ

無敵となった?いま(笑)



ようやく、「ちょっと先の気分を先取りする」の話ができる~ぅ☺


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なぜ、「疲れ」について、あんなに掘り下げたのか?

それは、疲れて動けなくなるのが嫌だから。辛すぎるから。

なぜかというと?



私は自分がしたいことを、したいと思った時に、したい✨

いつもイキイキと好きなことをしていたい✨

命を燃やすような生き方をしたい✨



だから、疲れることを避けたいんですよね~。



でもでも~、

「疲れるのは嫌。対策を練って疲れないようにしよう。」て対策いろいろ考えて実行すればいいのか?というと、これまたうまくいかないんです。(最初はうまくいったかに見えても。)

だって、「疲れ」にフォーカス(虫眼鏡で見る)しちゃってるから。



人は、フォーカスしたものにエネルギーを与えていると言われていて、私にはその理論が、しっくりくる。(つい最近の出来事でいえば、もやもやしてた時に、そのもやもやにずー--っとフォーカスし続けたことで、逆にもやもやから抜け出せなくなってドンづまっていた件とか💦)



どうしても、避けたいものがあると、それをどう避けられるか、に意識がいきがち。むちゃくちゃ考えて考えて考えて、対応策を練って、対処する。これをずいぶん繰り返してきて、もういよいよ満腹だなと(笑)



アート思考のワークをやってみて思ったけど、大事なのは課題・問題をどう解決するか?ではなくて、「じゃぁ自分はどうしたいか、どうありたいか?」のほうではないかな、と。

今回でいえば、「疲れを避けたいのは、どうありたいからなのか?」

※これが、ちょっと先の気分(疲れがなくなったとしたら?の気分・自分が欲している気分)にフォーカスするということ👆




ある人が、このことをうまい例えしてました。

レストランで注文するときに、例えばメニュー表を見て

「私は絶対パスタは食べたくない!パスタはイヤ!パスタはイヤです~!」といくら言ったところで、「自分が食べたいのはグラタン!グラタンお願いします!」と言わなければ、食べたいもののオーダーは通らないのだと。



これ、すごい納得しました。

レストランの注文に例えたらこんなにわかりやすいのに、現実ではそれ(嫌いなもの・避けたいものにフォーカスしてずっとそればかり言い続けてる)けっこうやってこなかった??と(*'▽')



今回向き合った「疲れ」でいえば、私の場合、「もうこんな疲れてる状態やだ、やりたいことできなくて嫌だ、イキイキとしてなくて嫌だ、なんとかしたい~!」て疲れのほうにフォーカスし続けるのではなくて、


🌺したいことを、したいと思ったときにできて、サイコー!!

🌺いつもイキイキと好きなことができて嬉しい~(≧▽≦)

🌺命を燃やすような生き方ができて幸せ~🍀

という、欲しいほうの気持ちや気分にフォーカスしたらいいのではないか、と。



それを、自分にまず先取りで味わせてあげる。

そうすると、その欲しい気分の周波数?波動?になるから、それが現実化するのではないかと。

※たとえ現実化しなかったとしても、その気分が欲しいのだから、その気分を味わえてる時点で嬉しい気もする👆




でも・・・ただ・・・

これがなかなか、しんどい。できない。

ちょっと、無理くり感も、ある気がしちゃう。



やっぱり、かなりテンション落ちてるとき、気分がダークなときは、いきなりそこに行くのは難しいかもしれないな。

そんなとき、瞑想するのが私には合っていて。




私が「この人の誘導瞑想が好き🎵」といつも聞いているものがあって、それを聞いていると、”疲れている自分”をそのまま受け入れられる感じがするのです。


以下、一部抜粋


「想像してみてください

どこであれあなたにとって完璧に平和な場所を


今いる場所や、あるいはどこか山や海辺にいる自分を想像しても構いません
あなたにとってとても平和な場所をイメージしてください


以前行ったことのある場所かもしれませんし、まだ一度も行った事のない場所かもしれません

いつであってもどこであっても大丈夫です。その場所にある平和な感じ、安らぎを感じてみてください


この場所ではあらゆるものが完全な調和のうちに存在しています。それをじっくり味わってください  

安らぎを感じていないとしても、浮かんでくるどんなものも、シャットアウトしないでください

疑いや葛藤があったとしたら、それらもその場所の一部
調和の一部として受け入れてください


この場所で感じることのすべて

この場所で考えることのすべて

そしてこの場所でイメージとして見えることの全てが、この平和な場所に属しています


あなたという存在のすべて
あなたの行動のすべては、あなたに属しています


喜びを感じたとしても
悲しみを感じたとしても 怒りを感じたとしても
すべて自分自身に属するものとして受け止めてください


この場所に属していないものはなにもありません。
ここでは間違いも正解もありません。

全てのものがただそこにあります


体に何らかの感覚があったとしても

その平和を邪魔するものとは考えないでください

全てこの場所に属しているものです


湧き上がるものを、ただ、起こさせてください

全てOKです


完璧に平和な場所にいる、ということの中には

どんなことが起きても、どんなことが感じられても

それをあるがままに受け入れる、ということが含まれています。


今の自分自身を完全に受け入れることによってのみ

なりたい自分に変わっていくことができるのです


今の状態に抵抗したり、葛藤したりすると

自分の望まない状態にとどまることになります。


時にあなたは、自分の中には怒りがある、悲しみも、嫉妬心もある、

そう気づきます。

そして、自分としては、そんな経験をするのは嫌だと思います


しかし、そのような経験を喜びに変えるたった1つの方法は

それらが自分の人生にあることを、否定しようとするかわりに、自分は今、それを経験しているとしっかり認め、その状態を受け入れることです


肉体的な経験であれ、感情的な経験であれ、また、知的な経験であれ

あなたが何かを経験しているとしたら、経験していることには意味があります。否定することはできません。



この地球上には、このようないわゆるネガティブな感情は否定しなければならないと考えている人がたくさんいます。

スピリチュアルな人間になりたい、そう願い

スピリチュアルな生活には、その感情が存在する余地はないんだ、と考えているからです。


しかし、スピリチュアルな意味で、どれだけ成熟しているかは、

ネガティブな感情を持っているか否かではありません。

そのような感情を、いかにポジティブな形で使っていくことができるか、それが、スピリチュアルな成熟さの度合いです。


私がポジティブとか、ネガティブという言葉を使うとき、それはいい・悪い・正しい・間違っている、そういう意味ではないということを覚えておいてください。



あなたが考えること、あなたが信じること、あなたが感じていることに、善悪や正しい・間違っているということは、絶対にないのです。


(バシャール2006という本の中の、誘導瞑想の1つだそうです)


たしかにね、最近、「否定的なこと(ネガティブなこと)を否定している」人が妙に気になってしまってた。(自分を含めて)


「全て受け入れるとは、自分の考えや出来事、状況、境遇、それらのすべてを、まずはそのまま受け入れるということです。これらは変わっていくかもしれませんが、それはかまいません。ただ、今そこにあるものは、今そこにある必要があるのです。」

これを聞いた時に、この疲れも、いま必要であるんだなぁと思えたんですよね☺




☆わたしはいつも”どんな状況にも〇、どんな自分にも〇”と言ってきたけどそれは自分に一番聞かせたい言葉だったかもなぁと思う今日このごろ☆彡











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