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  • 人間はどこから来て、どこへ行くのか。

    日々の自分の心(原点)に向かい合った結果の 気づきを書いたNoteです。

最近の記事

チューリップの球根

朝、庭を確認したら、チューリップが枯れていたので抜いたら、 球根ができていました。 泥がついていたので、とりあえず洗って保存しようと思ったけど (いや、待てよ・・)と思ったら正解。 ↓ 新しい球根を土に残してスポッとこんな感じで抜けます。 ネットで調べてみると。 ・花が終わって約1ヶ月半後、球根の収穫期。  葉っぱが黄色く枯れてくるのが球根の掘り上げのサイン ・球根は、泥を布で拭き取り、一番大きいものだけを  ネットなどに入れて、風通しの良い場所に保管する。 チューリ

    • 5.真の勝者は意識のコントロールができるもの

      旧約聖書16章32節  怒りを遅くする者は勇士にまさり、  自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。

      • 4.俺の目はごまかされないぞの意味

        なぜ、そう言われたか忘れましたが飯島さんから、 そう言われたことがあります。(気が抜けていたのでしょう・・) その意味するところ・・ 全てサイクルで決まる。 はじめの心で決まる。 それは、その人がどこを向いているか。何に関心があるか。 神という原因の世界か、人間という結果の世界か。 (パラマハンサ・ヨガナンダ著 あるヨギの自叙伝より)  聖者が人間の価値を判断するときは、変動する世間的な尺度とは 異なる不変の基準を用いる。人間の性質はまさに千差万別に見えるが、 大

        • 3.いじめや戦争をなくすには。

          戦争はだめ。いじめはだめ。仲良くしよう。と言い続けても 真の平和は訪れない。 そこには分離があるから。 生命には分離がない。 戦争やいじめをなくすには、「生きとし生けるものはたった1つの生命に生かされている兄弟だ。」と皆が認識することだ。 それは生命こそが自分の本質であるという認識。 「我、生命なり」「我、宇宙法則そのものなり」 飯島さんは、出張中、目をつぶっていたが いつもお経のようにとなえていたんじゃないのかなと思う。 生かす側と生かされる側。 原因と結果

        チューリップの球根

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          5本

        記事

          2.『欲望をなくせ』

          と、飯島さんからよく言われていた。 自我に欲望や執着ほど、疲れるものはありませんね。と、 飯島さんにいうと、 「そう思えることは幸いだ。 嫌にならないと卒業できない。」と言っていました。 飯島さんは人間的にあったかい人でした。 大きな全我の欲望をもっていて、根底には愛があった。 だからこそ、厳しくもあったが、それは愛の心に基づくものだった。 しかし、何かおかしなことがあって私が腹を立てている時などは、 「慈悲の心を持て」と、一元の愛の世界に戻そうとしてくれた。 昨日に引き

          2.『欲望をなくせ』

          1.お前が来たんじゃない。自分が呼んだんだ。の意味。

          『お前が自分の意思で来たんじゃない。自分が呼んだんだ。 この意味がわかるか。それがわかれば悟りだ。』 飯島さんのところにはじめて会った日に言われた言葉でもあります。 飯島さんも知花先生に言われたとか・・ 心にひっかかっていた飯島さんの一言。 この意味するところは何なんだろうとずーっと考え続けてきましたが、 今朝、腑におちるヒントに出会えました。 パラマハンサ・ヨガナンダ著  あるヨギの自叙伝より ラヒリ・マハサヤがババジに初めてめぐり会われたときの話。 ババジ

          1.お前が来たんじゃない。自分が呼んだんだ。の意味。