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毒マフィン事件から分かる「正義を振りかざす人」の正体とは

何やら毒マフィン事件でニュースになっている。
実際には毒が入っていたわけではなく、マフィン自体が傷んでいて「食中毒」となったようだ。

この事件はただ単に悪質な食中毒が起きたという内容だけでなく、この事件を使って自分の鬱憤を晴らすような真似をしている、ということがあるのだという。

実際に、このマフィン製作者に向けて無言電話やイタズラメール、関係のない施設にまで(この作者の名前で)問い合わせがあったりなどがあるそうだ。

これってマフィンを食べていない人からの嫌がらせも含まれているのではないか?
実際に、被害を受けた人たち以外の方々が、「やれここぞ」と言わんばかりに盛り上がって、自分の正義を振りかざしているような気がしてならない。

実際にそういう人たちは数多くいるのだと思う。

私も昔、まだ他者軸(他人の都合)で生きていた頃、事件があると「何か言ってやりたい」と、そんな気持ちが沸々とわいたもの。

それは多分、自分の中に溜まったドロドロとしたストレスや欲求を吐き出す場所やタイミングがわからなくて、ついつい自分と関係のない事件の加害者などに、矛先がいってしまうのだと思う。

「正義を振りかざす」。一見、正しい人のように見えるし、きちんと物事を考え、加害者を痛烈に批判し、責任感のあるふうに感じる。

けれども裏を返せば、ただの鬱憤を溜めた人というものだけで、その吐き出し口が見つからないことにもがき苦しんでいるただの人、ということもあるのではないか。

私が過ごしている日常でも、そのような人はたくさんいると感じる。

「この人は、自分の感情を発散したいために、"正しさ"というものを利用しているな」
と、感じる時がある。

自分軸になると、こういう些細なことにも気が付けるようになり、そういう人とは一歩距離を取ることもできる。

また、過去の私のように、そういうふうな形でストレスや不満を発散させなくなる。

この事件のYahoo!ニュースのコメンテーターは、以下のように言っている。

誰かがミスを犯した、罪を犯したというのはその人を正義棒で殴って良い合図ではありません。医療刑務所で働いていると言うと「なぜ犯罪者に医療を行うのか」などと問われることが多くありますがそれは法に則ってのもので、第三者が口を出すことではありませんし他の権利は当然保証されます。

悪い人を徹底的に叩く。確かに被害者となった人が怒りの感情からそういうふうに考えてしまうのは無理ないと思う。

けれどもそうじゃない人、全く関係のない人が、いきなりしゃしゃり出てきて、「あいつは悪いやつだ!もっと罰を与えろ!」みたいに言うのは、
結局のところ、自分の中にある泥沼を発散したいという潜在欲求があるからではないか?

Yahoo!ニュースはコメント欄でたくさんのコメントがあるが、人によってはものすごく否定的な意見ばかりな人もいて、すごく負のオーラを感じるし、どことなく張り詰めた空気で、突いたらすぐに折れてしまいそうな脆さもうっすら感じる。

こういう事件があるたびに、加害者を痛烈に批判したくなったら、自分の心がまず大丈夫なのかを心配したい。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。