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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか1】話の始まり(1)娘のフランス定住

 2023年5月、娘がアメリカの大学院を卒業し、フランスに定住した。

 話はいきなり遡る。大学院に進学する前、娘は東京で社会人をしており、フランス人男性と同棲していた。2021年1月、大学院進学が決まったとき、娘が私に電話を掛けてきた。同棲している彼と、これから先、どこで暮らすことになるか分からないけど、法的に結婚していた方がビザの取得とか住まいの確保とか、何かと便利だと思う。どうすればいいと思う?という相談だった。

 娘は独立独歩の人である。なにしろ、小学校に上がる前、ランドセルを選びに行ったときのこと、ピンクの横型の、リセエンヌか?という製品がいい、と娘が言ったとき、母は、ついうっかり「でもね、周りのお友達は、ほら、こういう赤くて縦型のばっかりかもしれないよ。一人だけ違ってもいい?」と聞いてしまったのだ。本当に、余計なことを言った。親って馬鹿だ。それに対して、当時6歳の娘は「私は人と違うのがいいの」と言い放った。誰が育てた、とちょっと思った。
 という娘だったから、母に相談がある、電話してもいいか、というときはマジである。少なくとも本人はマジである。
 母はというと、内心うひゃうひゃしていた。だって、面白いじゃないですか。そんなもん、こっちからプロポーズしちゃえばいいじゃん、ほらほら、もうじきバレンタインだしさ、欧米ならともかく、日本ではバレンタインってのは女の子から告白していい日ってことになってるじゃん(バレンタインじゃなくても、別に365日構うもんかと思いますけど) 、と、実に軽薄な返事をした覚えがある。しかし、この軽い返事に娘がその気になって、プロポーズ大作戦が決行され、娘の渡米前に東京で法的に結婚する運びとなった。

 その年の8月、東京で友人がウェディング・パーティーを開いてくれたとのことで、幸せそうな写真が送られてきた。その後、娘は渡米し、一方、娘の夫(めんどくさいから、以後は「婿」と呼ばせてもらう。この言葉も、若干引っかかりはあるが)は東京で仕事を続け、遠距離婚が始まった。

 この遠距離婚状態が解消されたのが、 冒頭の、2023年5月のことだ。娘夫婦は、ソフトウェア技術職をしている婿の転職先であるフランスの、パリから南西、ボルドーに住むことになった。婿の実家、リールはフランスといってもベルギーに近い方なので、パリを挟んで反対の方向だ。フランスの新幹線TGVで、パリからボルドーまでは2時間ちょい、パリからリールは真逆の方向へ1時間ちょい。パリを名古屋と考えると、ボルドーが東京、リールが大阪の距離感である(町のイメージとか、他意はないです。名古屋がパリだなんて図々しいことは言ってません)。
 娘はアメリカの組織に所属し、大西洋を越えたリモートワークをするという。娘の仕事は、昔から念願の、途上国の教育、開発に携わるというものである。就職していきなり南スーダンに出張すると聞いたときには、流石にちょっとハラハラした。

 ボルドーでの生活が落ち着いた頃、2023年8月、娘から個人LINEが来た。私ももう30歳を過ぎたから妊活を始めようと思う。年の暮れに東京で夫婦共通の友人が結婚式を挙げるのに招待されたんだけど、もし妊娠初期だったら、飛行機乗るのってヤバいかな?という内容だった。うーん、それは妊娠してから悩めばいいんじゃないの? 私はあなたの顔が見たいから帰って来なよ、と、これまた気楽な返事をした。結果、娘は11月末に一時帰国する方向で検討を始めた。
 これが8月の話。当時、私は60歳になったばっかりで、来年4月から仕事をどうするのか、決めなければいけなかった。

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