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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか2】話の始まり(2)定年後をどうするか問題

 私は大学を卒業して以来、愛知県の公立高校で社会科の教員を務めてきた。同じ職業の夫ともに二人の子どもを育てた。
 2023年7月に、60歳になった。昭和のおとっつぁんたちの定年は55歳だったような気がするが、そんなのは大昔、既にファンタジーの時代の話である。今どきは、60歳でも仕事を辞めるには早いと言われる。そもそも年金ももらえない。ほんと、勘弁して欲しい。
 しかし、私は辞める気満々であった。定年を延長するとか再任用とか非常勤講師とか、もう全部嫌だった。それは、考えるのがめんどくさいというの(だけ)ではなく、来年も高校で働くとしたら、新しいカリキュラムになってしまう、それが嫌だったのだ。いやほんと、この年になって新しい科目、新しい教科書とか、ないわー。更に、新カリはもうあなた、生徒の評価方法が、教員の負担がとんでもないのに、教育効果を確信することができない、これは誰得なわけ?という代物だったのだ。定年延長とか再任用とか給料は下がるっていうし、そのうえ、仕事の負担が増えるとなったら、そりゃもう、全力で逃げるしかないでしょう。
 というわけで、夏休みを前にした7月、校長には、来年3月で退職する旨を伝えた。この時点では、4月から講師ぐらいはやってもいいかな、という気持ちもちょびっとはあり、その手の再就職ルートに名前を載せてもらった。

 その夏休みが終わる頃、前述の通り、娘から妊活を始めたというLINEが来たわけだ。おお、これはひょっとして、仕事してる場合じゃないんじゃないの、娘の出産前後、手伝いに行くとか、そんな話が出てきたら、すぐに対応できるように、私の身体は空けておくべきでは?と思った。私は常に面白い方に一票投じる。しかし、独立独歩娘が私の助けを必要とするとも思えない。ここから先、どう転がるか、不透明過ぎる。取り敢えず、4月から、がちがちに仕事をするのは止めた方が良さそうだ。

 とはいえ、60歳にして全く仕事をしないというのも、認知症まっしぐらな気もする。年金がもらえるまで収入がないのも不安である。
 実はこう見えても、ちょっとは先のことを考えてはいたのだ。60歳を前にした数年の間に、英検1級と英語の教員免許、更に日本語教育能力検定を取ったのも、これで何とか食っていけないだろうかという気持ちからだった。だってほら、社会科だとつぶしがきかないと思ったんですもん。で、試みに、塾講師などの斡旋サイトにも登録した(これは毎日のようにメールが来た。お昼の牛丼屋並みに回転が速いのか? この業界は大丈夫なのか?)。海外に日本語教師を派遣する事業とか、海外の日本人学校での教員募集サイトにも登録した。
 実際、大変魅力的な求人もあったのだ。日本の私立高校がロンドンに開いている学校で社会科教員を募集しているという。しかし、問い合わせてみたら、やっぱり年齢がね…。そりゃ、シニアボランティア募集してるんじゃないんだから、60歳じゃダメですよね、しょぼーん。

 その、しょぼーんとしていた9月、娘から再びLINEが来た。娘の友人が日本でクラウド・ファンディングを始めたので、それにお金を出す手続きをしておいて欲しい、という話だった。ヨルダンのパレスティナ難民支援のために、オリーブの木で作られた小物、チーズボードとか積み木とかをリターンとして提供するというクラファンだった。そこで私が申し込みをしたところ、リターンが送られてくるのが12月だという。それを伝えたら、娘は、「じゃあ今回の帰国だと間に合わないかな。まあ、家で使って…そして来年フランス来て…」と書き寄こした。「フランス来て」! 待ってました!

 この「…」が物語る。これは本気だ。冗談で言ってるんじゃない。娘も、母の置かれている状況や4月からのプランが分かっていないから、「フランスに来て欲しい」というのを、どのくらい強く言っていいか、確信が持てないのだろう。母に何かしらのプランがあったなら、自分がそれを妨げてはいけない、と思っているのかもしれない。いろいろ考えすぎる娘なのである。
 いや、心配はご無用、母はノープランである。教員の仕事は天職だとしても、何しろ新カリキュラムは全力で拒否したい。4月から塾とかで働くことも考えてはいるけど、娘が来て欲しいというなら、そりゃもう、そっちが優先に決まっている。
 この母は、大学時代にインドシナやアフリカの難民支援のボランティアに携わって、一時期はそっちで食っていくことも考えたのであった。教育実習に行って教職にハマって、ずっと教員をやることになったけど、海外で暮らすというのは、秘かな夢でもあったのだ。だから、娘の「フランス来て」発言は、渡りに船と言えましょう。

 しかし、ここでがつがつと「行きます行きます! 行きたいです!」と答えたら、どん引きされるやもしれぬ。今までの子育てで何度もそういう失敗をしてきた気がする。親が熱・圧になると、子どもは引く。ここは、もうちょい余裕のある返答が良かろう。「分かった、チーズボード持って行くから、チーズ用意して待ってて」。更に、イギリスの高校の教員募集に年齢制限があった話もして、「というわけで、4月から空いてるから、いつでも行くよ」と伝えてみた。このくらいでどうよ?

 こうして、「4月からは定期的な、常勤的な、責任のある仕事を入れてはいかん」状態になり、一方で妊活が上手く運ぶかも分からないという状況で、私は3年生担任として最後の仕事に忙しい2学期を過ごした。
 このまま来年4月の時点で娘がまだ妊娠していなかったら、何の予定も立たない、ただの無職、ノーサラリー・ノー年金になるのかー、単発のバイトってあるのかな、と思って、そういう求職サイトにも登録してみた。「60歳、女性、中央線沿線希望」で登録したところ、結構、いろいろな仕事が紹介された。「スーパーの試食販売」は向いているかもしれないと思った。スイッチ入ったらコミュ強だから(スイッチ切れたら最弱だけど)。「建物解体」が斡旋されたときには、世間の人手不足を痛感した。大変な世の中ですね。いざとなったら、この身一つでできる仕事、例えば占い師とかどうかな、というのも考えてはいた(全占い師の皆さん、ごめんなさい)。

 11月の半ば、娘からLINEが来た。フランス移民局による、フランス社会の価値観を学んで、まっとうなフランス市民になろうねプログラムに参加している最中とのことだった。内容が、私の専門である政治・経済や世界史に近かったので、私が興味を持つと思ったのだろう(実際、フランス社会における「ライシテ=政教分離」の重みが、私たちが想像する以上だということが感じられ、勉強になった)。そのプログラムでは、フランス語が怪しい人たちには英語通訳がつく。その英語組には、夫がフランス人という各国女性たちが集まっていて、気が利かないフランス人夫への愚痴で盛り上がったとのこと(言っておくが、多分それは、夫がフランス人だから、じゃないぞ。万国共通だと思うぞ)。他の女性はみな子持ちで、彼女たちからいろいろ教えてもらえる、良い機会となったらしい。どうやらフランスでも保育園は足りていない、親の希望通りの保育園に入れるとは限らない、という情報を仕入れた娘は子育てに不安を募らせた様子で、「母が行きますがな」と言ったら「待ってますわ」との返事。えへへ、待たれちゃってる、自分。てへぺろ(死語か?)。

 そして、11月の最終週、娘と婿が帰国した。空港まで迎えに行き、自宅に戻る車の中で、妊娠していると報告を受けた。やったー。翌日の朝、まっすぐ校長室に行き、講師とかの斡旋リストから外してもらうようにお願いした。待ってろ、フランス。

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