どこにもあるようで実は深かった写真の話
「作品としての写真」を考えるオンライン交流会。
メンバーの皆さんが多種多彩で、想像以上期待以上にトークの中身が深くて濃かった!
「作品としての写真」というどこか堅苦しいテーマは、私がフォトギャラリーをやってみたい、という思いの上で、どうしてもみんなに問い掛けみたいものの一つだったし、インスタグラムの写真への問い掛けでもあった。
だからこそ、写真やアートに携わる人たちだけでなく、SNS等で日常楽しく写真を見ている立場の人にも参加してもらうことに意味があった。
参加者のメンバーは多種多様で、
大きく括ると、写真関係の人、アーティスト、ギャラリー関係の人、一般の人に分かれた。
「作品としての写真」に対峙するものとして、「気軽に投稿する小さな写真」を思い浮かべてもらえばわかりやすいかと思う。
写真関係の人から
一番印象に残ったのは写真関係の人からの
「自分が納得したものが作品」という言葉だった。
作品はその人が写真とじっくり向き合ったからこそ納得がいくと判断した結果生まれたものだという自覚・・・
一見、写真はシャッターを押すだけに見えるが、実はシャッターを押す前の時間、例えば何処に写真を撮りに行こうかと考えるところから始まる。そして押した後の編集の時間も存在する。写真に対する言葉も必要になる。
じっくり向き合うという時間が作品を作る。
けれども仮に「撮る側」の努力が大きくても、「見る側」の人がどう思うかは誰にもわからない。
それがアートの面白さだと思う。
アーティストから
真剣に絵を描いている人は、自分の絵が誰かに買われてその家の壁に飾られることを夢見ているように、真剣に写真を撮っている人も、その写真が誰かの部屋に飾られることを夢見ていいと思う。
その視点からは、絵を描くことを生業にしているアーティストの方が
「絵を買ってみよう」
というオンラインイベントを考えているという話が大きなヒントになった。
まずは一枚写真を買ってもらうきっかけを提供するのがギャラリーの役目なのかもしれない。
だったら写真がプリントするものでなくなってしまうとしたら・・・それはギャラリーが必要ではなくなる時なのだろうか。
これは私だけの情熱ではカバーできない時代の流れだ。
(イラストや漫画、今や小説も紙の媒体ではなくなりつつあるという現実)
ギャラリー関係の人から
そして、作品そのものではなく、作品を展示するギャラリーについて、実際にギャラリーを経営している人からの
「ギャラリーそのものが来客者にとって魅力ある場にならなければならない」
という言葉が響いた。
これは私自身の最大の問題だ。
それをきちんと指摘してもらったこともこの交流会の収穫だった。
一般の人から
一般の人の意見はとても現実的だ。
写真を買う、飾る文化自体がそもそも私たちの身近にあるだろうかというもの。
写真を撮っている人でさえ、プリントを買ったことがないという現実を突きつけられたらそこから目をそらすことはできない。
けれどもその課題にはわかりやすい例がある。
美術展に行った時、作品のポストカードを買ったことはないだろうか?
おそらく多くの人が「ある」と答えるだろう。
そのポストカードは部屋のどこかにピン止めされるだろうか?
もしピン止めする人なら、作品を購入する可能性がある人たちだ、と考えるのはどうだろう。
今は昔のように、路上で何かを売ることができなくなって、年に1度か2度のクリエーターズマーケットに足を運ぶくらいしか作品を買う場所がない。
そもそもそんな大きなイベントは地方都市では開かれない。
まとめ
「作品としての写真」について考えることは、答こそまとまらなかったが、写真があふれる時代に写真と真剣に向き合う一つのきっかけになったと思う。
インスタグラムは多くの人に自分の写真と名前を知ってもらう便利な手段だ。
仕事に結びつける人もいる。
けれど自分の渾身の写真が誰かの部屋の壁に額装されたプリントとして飾られることは、特別素敵なことなんじゃないかと思う。
みんなで写真について考えたいという私の無茶な要望に、企画と場を作ってくださったかかみがはら暮らし委員会委員長のオゼキカナコさん、
そして2時間以上もトークに参加してくださった皆さま、
ありがとうございます!!
めちゃくちゃ疲れるくらい充実しました♪
どこかの街に小さな写真ギャラリーがある、
その街に生きている人たちがいる、
小さな写真ギャラリーが街の小さなオアシスになることを夢見て・・・
写真家 沢田ひろみ
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