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「箱庭でわが分身と再会する」|#創作大賞2023 #エッセイ部門

「箱庭セラピーのご経験は?」

 子供の砂場遊び用の熊手で箱庭の砂地をならしながら、先生が尋ねる。
 
 机の上には多様なミニチュアがぎっしり。

箱庭とミニチュア
貝殻やおはじき。なぜか畳まで

「二回目です。たしかコロナ前、二〇一九年初回でしたよ」先生の顔に見覚えがある。小柄で物静かな感じも以前と同じだ。「次に来るときは、また受けると決めていました」
「そうでしたか。じゃあ、やり方はご存じですね?」
「だいたいは」

 堅苦しいルールは特にない。自由な発想で、好きなミニチュアを配置していけばいい。

 箱庭セラピーは二十世紀前半に生まれた心理療法である。ミニチュアを箱庭の中に自由に置く作業を通し、言葉で伝えられない〈何か〉を表現する。そこから心理的な意味・気づきを読み取る、あるいは表現行為そのもので心の引っかかりをとかしていく——そんな手法である。

 あいにく午前中の予約は埋まっていたので、午後からのセッションを予約した。時間が来るまで会場内をゆっくり回ろう。

 全国を定期的に巡回する某スピリチュアル・イベント。会場であるOMM(大阪マーチャンダイズ・マート)ビルは、大阪メトロ谷町線天満橋駅の改札口と通路で直結している。見本市や販売催事を開催する普段であれば、スーツ姿のビジネスパーソンで溢れるだろう。スピリチュアル・イベントの来場者となると様相が異なる。ヨーガ行者っぽい上下ゆるゆるのウエアの男性は長い髪を後ろでルーズに束ねている。行進する象のイラストがプリントされたロングスカートの女性の耳元で、ホルスの眼の形をしたラピスラズリのピアスが揺れた。

 パーティションのない広々としたスペースの天井は高い。フロアに並ぶ展示ブースの机は計画的な机の配置で、机と机の間に形成された通路は蟻の巣状に入り組み、来場者を簡単には逃がさない思惑を感じさせた。ブースごとに毛色の異なる個性的なコスチュームの出展者たち。鳥の羽と造花の飾りがもりもりの帽子を被った霊媒師と柔道着のヒーラーはブースが隣同士である。綿菓子っぽい白髪を見事な空色に染めたハワイアンドレス姿の年配女性は、深紅のテーブルクロスの上で薔薇十字の描かれたカードを丁寧に混ぜている。長い爪で。

 入口で配布された出展ブースの見取り図を見ながら会場を巡る。出展者は目が合うと会釈をしてくれた。「こんにちは」とさわやかに声を掛けてくる人も。カラー刷りチラシが目の前に次々と差し出される。

 ——古代エジプトの神秘。ピラミッド瞑想へようこそ
 ——なりたい自分に近づくための、潜在意識ブロック解除
 ——イベント限定価格★女神のタロット鑑定 二十分・千円

 ときどき立ち止まって見取り図を確認する。水晶玉による浄化セッションを提供してくれたヒーラーは、今回は出展しないようだ。前回は印象深い出会いだった。あのとき私はぶらぶらと会場内を散策していた。すぐ目の前を歩く来場者の一人が、平坦なフロアなのに派手な転び方をした。怪我をした様子はなく、恥ずかしそうに背中を丸めて人混みに消えた。その直後、ドラゴンボールぐらいの見事な水晶玉を机に置いたヒーラーとなんとなく目が合ったのである。魂の浄化のために水晶玉の上に手を置かせてもらう。「人が多いとしんどいですね。いろんな想念を持つ人が集まるわけで」と話を振ってみた。実際のところスピリチュアル・イベントに来る人は私自身も含めて業が深いだろう。オカルトの力で人生の不具合をなんとかしようとする人たちの集まり。会場に集えるだけの時間的・金銭的余裕がありながらまだ高次の幸せをつかもうとする。ヒーラーは目を剥(む)いて「気をつけて。ネガティブな念が飛んでくるから。特にね、目の前で誰かが転んだときは、その先には近づかないこと。サインを見逃さないで」と力説した。ちょぉぉぉ、さっき誰かが転んだんですけど、私の目の前で! しかもその先にあなたのブースがあったんやけどっ?? と突っ込みたい気持ちをぐっとこらえた。忘れられない出来事である。

 実際に足で会場を見て回る行動により、スピリチュアル業界のトレンドが見えてくる。たとえば——以前は数ブースはあったオーラ写真の出展が見当たらない。特殊なデバイスで撮影すれば被写体のオーラの色が写ると謳い、人間の周りにぼんやりとした色彩(青やら赤やら紫やら、たいていがレインボー・カラーである)を放つ写真サンプルが掲示されていたものだ。オーラ写真ブースが減った代わりに、今回は謎のペンライト状の機器で首根っ子に光を当てて体内の〈何か〉を活性化するらしいセッションのブースが三つも四つもできていた。時代は変わる。

オーラ写真・イメージ図
(被写体によってオーラの色は違うらしい)

 雑多で適度に怪しくて、いつ来てもいい塩梅。どのブースに行ってみようか。あっちも見たい、あの人にも話しかけたい――血が騒ぐ。オカルトに対する好奇心とパッションは、少女のころから変わらない。

 私のオカルト元年は中学一年生だった。スプーン曲げで名を馳せた清田少年ことエスパー清田監修のファミリーコンピュータ用超能力開発ソフト、クリアできない仕様でお馴染みの「マインドシーカー」をやりこみ、少女向けオカルト雑誌「マイバースデイ」の広告を見て購入したマドモアゼル愛先生のボイスのサブリミナル瞑想テープを聴きながら眠りにつく日々。当時は切実に〈自分ではない何者か〉になろうとしていた。他人よりも抜きん出て優れた点がないと愛されないとの焦りだったかもしれない。成績がいいとか運動ができるとか、そういった地に足のついた路線ではなく、もっと――インド人もビックリの能力覚醒の必要を感じていた。実際に超能力を得たところで愛を見つけられたかは不明であるが。「特別でなくても、ありのままのあなたが好きよ」と抱きしめてくれる腕があったなら超能力を身に着けなければと一方的に焦る歪みは抱えずに済んだだろう。これも運命である。

 大学生の間に読みふけった澁澤龍彦〈手帖シリーズ〉の副作用。さらには社会人になって子供時分よりも使える小遣いが増えた分だけ〈ライフワーク〉の幅が広がっていく。

 すると失敗も増える。エネルギーチューニングのセッションでがキツネ目の女性気功師に金運のタイガーアイのブレスレットを売りつけられそうになった。大阪で有名な手相占い師に「作家になりたいんですけど」と相談したときは、机に置いたデカい虫眼鏡を手に取ることさえせずに「心の開放。男遊びが足りない。まずはバーに繰り出して男を引っかけなさい」と占いとは関係なく単に私の真面目そうな第一印象だけで説教された。何が心の開放じゃ、つばのない頭にちょこっとのせる、いかにも占い師っぽい帽子なんかかぶってからに。こういうデタラメな占いをする人がいるから心が閉じていくんやんかっ、と言い返したかったが口論する勇気もなく、そそくさと逃げ帰ったのだった。鑑定料は一時間で六千六百円也。大阪人らしくローカル・ソウルフードのたこ焼きで換算すると約百個か。

 けっこうボコボコである。それでも追究をやめない理由は、〈現実に見えている景色だけが真実とは思いたくない、往生際の悪い私のエゴ〉が身体の中で騒ぐからだ。世界はもっと多様で、驚きの真実を用意しておいてほしい。世界中のオカルトスポットを探検したり、ロンドンの霊能者養成学校に留学したり――そのために労働で得た賃金の余りは地道に貯金しているし、つみたて投資信託も始めた。米国株のインデックス・ファンドが中心だ。S&P500のチャートを考察しながら株価の上がり下がりもエネルギーの波の一種であるなぁと、誰も共感してくれそうにない発想を持て余している。ちなみにバーに男を引っかけには行っていない。

 さらにややこしいことに、ここ数年でまったく別の関心ごとも出てきた。裁判傍聴である。時間がある日に大阪地裁に出向いて、朝から晩まで法廷で弁護側・検察側双方の言い分を聴いて過ごす。オカルトの追究と裁判傍聴、私のライフワークは現在この二本立てだ。

 科学的論証を超えた〈何か〉の存在を認めるオカルトの世界。裁判傍聴で見る司法の世界は逆に〈何か〉の介在をゆるさず法律と判例でサンドウィッチにしてがっちがちに固めていく。オカルトと裁判傍聴のどちらか一方に精通する者は多いが、二つを同時に追い求める欲張り人間は奇特だろう。趣味のぴったり合う相手がいないから、いつも私は独りだ。性格に問題があるわけではなく——ということにしておきたい。

 箱庭セラピーの予約時間を待つ間に大いなるアカシック・レコードにアクセスできるチャネラーに前世の私が寺子屋で学ぶ様子を饒舌に語ってもらったり(輪廻転生のシステムを信じるならば、私たちの魂は過去に何度もの転生を繰り返しているはずである。以前に視てもらった別の霊能者の鑑定によると、私の数ある輪廻転生の中には船乗りだった過去世が含まれる。中近世のヨーロッパ人だった可能性が高く、船で起こるちょっとした出来事をプライベートな日記に書いて楽しんでいた。船乗りと聞いて、なんだか記憶がある気がする。舵を切る腕の濃い毛が目に浮かぶ。霊能者によると当時の名前はおそらく「ミカエル」にちなむ名前、ミシェルとかマイケルとかミケーレとか。そのため私の現世における筆名は「六可江」に決めた。ミカエル → ムカエル → ムカエ。日常の出来事を言葉にする楽しみは、過去世も現世も変わらない)、石の声が聞こえる超能力者に私のブレスレットの中で輝くチベット産の天眼石からのメッセージを通訳してもらったりした(天眼石が言うには私は「冷たいものを飲み過ぎいっ」だそうだ)。パワーストーン・ショップで微妙に形状の異なるアメジストの原石の紫色に光るモワモワを見比べているうちに、あっという間に予約時間は訪れた。

 箱庭セラピーのブースにいそいそと戻り、箱の前に座す。さあ、どこから始めようか。まっさらな世界に手を加える快感。シミュレーション・ゲーム『シムシティ』で都市を作る楽しみにも似ていた。世界を創造した全知全能の神も、はじめはこのような興奮を味わったのか。

 敷きつめられた白い砂を熊手でさっと掃く。箱の底に露出した青色で、水辺を表現できる。箱庭の左奥を掘って池にした。橋を架ける。掘り出した砂は右奥に寄せて丘を形成。オハジキを置いて道を作る。小さな世界が少しずつできてくる。

 ミニチュア自体を手作りするわけではないため完全にオリジナルの世界が想像できるわけではないが、自分でも思いつかない表現に発展する場合がある。それが偶然の力。用意されたミニチュアの中から自分が手に取った縁というか第六感の働きというか、偶然性で世界を発展させていくプロセスは、現実世界の形成あるいは実社会の中での個の成長と同じ流れであると感じる。

 人形たちを配置する。初めにどの人形を置くかは決めていた。人形の山の中をさぐる。

 ――いた。

 親指サイズの女性の人形が。前回のセッションで見つけて以来、勝手に〈私の分身〉と認知している。

 親指サイズの女性の人形が。前回のセッションで見つけて以来、勝手に〈私の分身〉と認知している。

わが分身

 ――また会ったね、〈私〉。

 無地のトップスに微妙な丈のスカート。とにかく地味であり、フィギュアとしての需要が把握できない。極力目立たないように神経質になりすぎて、かえってどこでも不自然で悪目立ちする感じ。口元に弱々しい愛想笑いを浮かべるが、身体の前で手を組んで防御の構えである。世間に対して決して心を赦さない、おどおどした様子がまーさーにー〈THE 私〉である。痛々しさに勝手にシンパシーを感じている。

 好き勝手に次々とミニチュアを並べるうちに、私だけの箱庭ができてきた。

じゃーーーーーーーん!

「終わりました」と声を掛ける。先生は立ち上がり、机を回り込んで私の背後に立った。

「なんだか楽しそうな雰囲気ね」
「精神的に偏ったところとか、おかしな部分が出ていませんか?」
「ぜんぜん。いろいろな物を組み合わせて、ご自分を表現しようとしている感じが伝わってくるわよ」

 ひと安心。他人とコミュニケーションを取ろうとする積極性は、少なくとも私をまともに見せるために役立つようだ。

「もしあなた自身をこの箱庭の中に置くとしたら、どこがいい?」

 先生が手にした栗毛の女の子の人形を手渡そうとするので、慌てて「もう置いてあります」と、〈THE 私〉の頭をつつく。「『私はこれ』って決めてるんです」

外からアヒルたちのおしゃべりを黙って聴いている〈THE 私〉の図

「どうしてその場所に?」
「楽しそうやから」

 目の前で、三羽のアヒルがおしゃべりに夢中である。似た者同士の会話。なんとなくだが下世話でどうしようもなくしょーもない中身である気がする。きっと三羽にとっては話の内容よりもおしゃべり自体が楽しくて、げらげら笑いながら盛り上がっているだろう。

 アヒルたちは形こそ似ているが色は異なる。類似する面を持ち合わせながら、同時に別の価値観を有する友であると推測する。気の置けない友と過ごす時間は人生において最良である。

「一緒に笑い合って、最高に幸せそう。眺めている私まで福を分けてもらえそうな」

 他人の話を聴くのが大好きだ。輪の中に入らなくていいから、そっと近くで聴いていたい。

「なるほどね。賑やかなところが好きなんかな?」
「いえいえ、そういうわけでは。普段は池のそばにいるんです」池に架かる橋に指先で触れた。

わが居場所。橋の架け方は間違っている

「静かな場所に独りでいますけど、ずっとだと寂しい。孤独を感じたら出かけて、アヒルのところに」

 他人がおしゃべりに盛り上がる様子をいつまでも眺めていたい欲求はある。ただ現実問題、ずっと一緒だと疲れる。私には独りの時間が必要だ、しかも比較的に長い時間が。疲れたら独りになれる池に戻っていく。ぼんやりと水面を眺めたり、橋に寝そべって風に吹かれたりして心を充電する。

 ところで私の橋の配置は間違っているような。橋というものは水辺や道路の上に架かるものであって、私の箱庭のように池の中にダイレクトインする設置にはしないはずだ。なんのための用途かさっぱりわからないが、私はここに橋を架けたかったのだからしょーがない。

「池から歩いてくると、道が二手に分かれるでしょう? 右にも左にも行ける。左に行くこともあるの?」

 右に行けばアヒルのところ。左に曲がれば、色とりどりの小鳥やユニコーンが集う小高い丘に到達する。

「良さそうだけど? 食べ物もあるし、くつろげそうなお城もあるし」
「お城でしょうか? 私は教会のつもりで置いたんですけど」
「教会だと思うなら教会でもいいわよ。自由に決めて」

 現状を歪めてでも決定権はこちらにあるのか。

窓枠が十字なので教会かと勘違いしていたけど、どうやらお城みたい

「じゃあやっぱり教会にします」精神的なシンボルを箱庭に取り込みたいこだわりがある。
「教会の付近はどんな場所なのかな?」
「ちょっと敷居の高い感じが。憧れはあるんですけど」行ってみたい気持ちはある。だけど足が向かない。「たぶん曲がり道で、ちらっと丘を見上げると思うんです。でもやっぱり右に曲がります。丘までの坂がきつそうでしょう? しかもカバがにらんでいます」

分かれ道。カバがいるから左に行きにくい

 カバは凶暴である。おっとりした見た目でいて、実は動物界でも上位の強さだ。「明治うがい薬(大人の事情でイソジンから改名)」のカバくんや「アンパンマン」のカバオくんには温厚な印象を受けるが、実物のカバに穏やかさは期待できない。

 カバといえば先日、仕事の必要からカバのYouTube動画を観たばかりだ。

 アメリカのIT企業でリモートワーカーとして働いている。大阪からアメリカまでえっちらおっちら通勤するわけにはいかないので、業務は完全にオンラインだ。世界中の同僚たちとオンライン上で集う会議が週に何度か。時差があるので日本での会議参加は、アメリカの時間に合わせて深夜から明け方にかけてになる。くだんのカバの動画は五十人規模の全体会議で観た。守秘義務があるので業務の詳細を説明できなくて残念だが、人工沼からカバがのっそりと出てきて尻尾を震わせるだけの動画を日本時間の深夜二時に観る必要性があった、とだけ言っておく。アメリカ人のボスも、インドネシア、ドイツ、アルジェリア、ブラジルの同僚たちも皆、地球のどこかで私と同じカバの動画を観ている――なんだこの世界線はっ! 考えれば考えるほどおかしくて、マイクがオフになっていると確かめてから一人で笑った。電気信号のやりとりで世界中の人々とカバの映像が共有できるシステムの技術的な理屈が私にはさっぱり。特異な仕事の成り立つハイテク環境こそがオカルトである気すらしてくる――なんてことを眠気で目をしょぼしょぼさえせながら考えるぜいたくたるや。眠気に耐えられれば会議のあとに作業を進められて、朝方には一日分の仕事が終わる。睡眠時間を削る結果にはなるが、働きながらでも日中の裁判傍聴に通えるからいい仕事だ。業務内容も気に入っている。本当は作家になりたいけれど、でも――。

 そう、私はなんやかんやと理屈をつけては、〈かの地〉にたどりつく決心がつかないでいる。決心がつこうがつくまいが新人賞などで拾ってもらえないと作家になるのは難しいだろうが、それでも潜在意識で逃げているようでは道はもっと遠のく。逃げる理由はわからない。憧れの地に着いてしまったら目標がなくなる虚しさに耐えられないから? もしくは実際にたどり着いたら嫌なところが目について幻滅する結果を避けたいのか。丘にのぼり出した瞬間に、新たな人生の幕開けを迎えられるかもしれないのに。

「こっちも怖そうねぇ」

 先生は恐竜をひょいと持ち上げる。

 自己認識の限りでは、恐竜には深い意味はない。

 前回のセッションでも、この恐竜を採用した。単純に大きいから。メリハリをつけたいというか、世界には大きなものも小さなものもあってほしい。ダイバーシティ(多様性)こそが現代社会の要(かなめ)である。

 ちなみに前回のセッションのときの箱庭は↓こちら。

二〇一九年の初回作品

 二〇一九年六月の作品。私は墓のそばで長い影を落としている。ひんやりと冷たい死の世界が自分の居場所だと決めた結果だ。

墓のそばに立つ〈THE 私〉

 あのとき先生から「ヘビが小鳥を狙っているけど、どうする?」と問われ、「何もしません」と答えた。

ヒナ(左)とヒナを狙うヘビ(右)

「ヘビだって食べるものが必要ですし、私の固定観念で何かを動かす気はないんです。世界のありのままの多様性を観察しているだけで」

 なんだか達観した、あるいは冷めた見方であるが、当時の私は心から感じたままに答えた。前回の箱庭から四年。果たして私の内面に成長はあっただろうか? 怪しい。採用するミニチュアのいくつかが同じである点から察しても、根本は変わらないかもしれない。三羽のアヒルがおしゃべりしている状況も同じ。時計回りに黄・黒・青の並びまで変わらない。ただし今回の私は墓場からアヒルのほうへ移動している。死者との思い出にしがみついて息を潜める状況から、生きている他者に関心を寄せ始めた点は進歩だろうか?

「提案なんだけど」先生は後ろから手を伸ばし、カバのそばに私の分身を立たせる。「この向こう側に行ってみるのはどうかな? 先には何があるんだろう」

恐竜と岩山。その向こうには……?

 その発想はなかった。

 沼の向こうへ続く道はない。だが切り拓いて進めば、想像もつかないような景色が見られるかもしれない。私の内部で、中世ヨーロッパの人であった過去世・ミカエルの冒険心が湧き上がる。

 昔、ヨーロッパは都市国家を形成していた。現在の国の大きなくくりではなく、もっと小さな都市レベルの領土において、それぞれの国家を築いていたのである。国家の外側は城壁で守られていた。中心に配置されるのは教会だ。正しさの権威がでーんと鎮座する構造において、城壁は国民を守る存在であると同時に行動を制限もした。

 きっと中世ヨーロッパの人々は、高い城壁を見上げながら外の世界を想像しただろう。外へと向かう切なる情熱は、大航海時代で果てなく遠いジパングまで船を出す原動力となったはずだ。

 ずっと内にこもって生きてきた私の熱が急上昇する。沼地へ分け入ろう。箱庭の世界の中では最も大きい恐竜の前を通り、カバの危険にたじろぐことなく進んでいく。これから拓く第三の道。

「先生のアイデアで、固定観念が外れました」

 この気づきを得たところでセッションは終了した。

 以来、私の思考回路に第三の道の選択肢が増えた。ただし具体的に何かが変わった実感はなく、時間はいたずらに過ぎていく。それでも私の内部で新たな思考回路の畝に沿って植えつけられた種は着々と育っていた。発芽に気づいたのは勉強会でのことだった。

 裁判関連の勉強会に参加している。裁判傍聴を重ねてきた結果として縁のつながった会である。普段は家に引きこもる状況の中、対面での集いに参加する機会はリハビリとして大いに助かっている。

 新参者の私は勉強会で、ずっと皆の話を聴いてきた。傍聴席に座り続けてきた私は傾聴が得意である。三羽のアヒルの話を聴く〈THE 私〉みたいに、他人から見たら半笑いのような曖昧な表情を作っているかもしれないが。

 半年も聴き続けたころだった。会の最後に次回の勉強会の発表者を決める段取りとなったとき、古参者である先輩の一人が提案した。「次は六可江さんが発表しませんか?」

「私ですか? 皆さんに聴いていただくような話は何も持ち合わせていませんが」ただの引きこもりやし。
「なんでもいいよ」眼鏡の奥の目が優しい。
「裁判を見てきて思ったこと、個人的に感じたことでも」

 ――いえいえ、私なんかの話のために、皆さんの時間を頂戴したらもったいないですから。

 と慌てて答えようとしたが、声が出ない。

 心の目には、うっそうと繁る暗い森が見えていた。何が潜んでいるかわからない沼地。ずぶずぶと足を取られて埋もれそうな。怖い。カバが出てきそうだ。でも——

「本っっ当に私の話。聴いてもらえますか?」
「そりゃもちろん」
「大した話はできませんよ? ほんまに」
「オーケーオーケー」
「じゃあ……資料をまとめてきます」

 自分でも予想だにしなかった言動。他者に向けて何か話そうとしている。本当の自分を語るのは恐怖を伴う。他人に踏み込まれて傷つきたくない。一方で、乗り越えたい衝動も感じていた。危険はあっても私は誰かに話を聴いてもらいたい。

 小学生のとき、学内のスピーチコンテストで二回ほど優勝トロフィーをもらった。思想書や哲学書を読みふけっていた時期で、スピーチの原稿にバートランド・ラッセルの言葉を引用した記憶がある。同級生との同調が苦手だった。だが今の私とは違い、リーダーや班長を率先してやる積極性があった。

 三者面談で担任教師は「スピーチの原稿はお母さんがお手伝いされたんですか?」と母をたしなめた。母に勉強・宿題を手伝ってもらったためしはないが、壊滅的に子供らしくないスピーチの内容により、疑いは晴れなかった。

 少しずつ傷つき、恐れを覚え、黙った。結果として、なるべく他人と距離を置こうとする今の自分がいる。

 ミカエルだったころを思い出せ。きっと、新たな世界を見たい欲求から外に飛び出す勇敢さがあったはずだ。さぁ、今!

冒険には向かない服装のまま、岩をのぼりはじめる

 箱庭の外にはびっくりするような展開とスリル、痛みを伴うが腹の底から笑わせてくれる景色が待ち受けていると信じる。私の想像の域におさまるちっぽけな理想の地ではなくて。信じた結果が期待外れでも構わない。自分の持っている装備でいいから——ピンクのカットソーと微妙な丈のスカートで、膝が傷つくことも臆せずに壁をよじのぼる。〈了〉

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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