広報は現場主義
新型肺炎のニュースにまみれる毎日に、この先、世の中はどう変わっていのだろうかと憂う。
今まであまり考えてなかったけど、エレベーターのボタン、ドアのノブ、現金、いろんなところに置くスマホとか、いろんなものが指先に触れる。その指で目を触る。髪を触る。目に見えないモノへの動線が意識の中で可視化される。
親しい人との挨拶もハグではなくお辞儀になったり、握手も減ったりとか、ふれあいも減っていくのだろうかと考えてしまう。人と人とのこうした距離は新型肺炎が収束した後、元に戻るのだろうか。
そんな3月、世間では多くの行事が開催中止や延期になったりオンラインに移行したりした。私も直近の仕事が2つキャンセルになった。他の仕事はZOOMなどのオンラインツールで打ち合わせはするけれども、現場取材がしにくくなったのはやっぱり不便で困る。
ものづくりの現場や医療施設で話を聞きたいし、オンラインよりも直接会って話を聞きたい。空間的にわかることや、実際に試作品を試してみて感覚的に掴めることがあるから。
特に私が取材することの多い医工連携の取り組みは、開発背景を医療機器メーカーやものづくり企業といったモノを作る側の話と、困っている医療現場の話を聞いてはじめて、「なぜこの製品開発が必要だったのか」が見えてくる。
もやもやした視界がすっきりと晴れわたる瞬間である。
もちろん、それで終わるわけではない。新たな疑問も生まれる。取材はここから始まる。
確かに「業界最軽量」であるとか、「従来より優れた性能」であるとか、技術面で注目すべきことはあるものの、「医療現場でその診療領域では必ずしもそれを求めているとは言えなさそう」な開発品を目にすることがある。こうした先入観は、想像ではなく過去の取材に基づいているのだから「なぜ私はこう考えるのか」と自問をする。物事の全てに光と影があるように、自分が見聞きしたことは片鱗に過ぎないし、「自分は何を知らないからこの先入観に至ったのか」を、取材中に質問しながら一生懸命考える。
診療の傾向として、果たしてそういった機器は本当に必要なのかと、聞きにくい質問をする場面もある。
医療や介護の現場から生まれる製品は、一つひとつに異なる開発背景がある。同じ診療科で同じ処置をする場面で共通するように見える困りごとでも、求めるモノにはその現場ならではの違いがある。医療施設の設備も違えば、医療従事者の経験に基づく根拠も異なるから、一見似たような製品が生まれ易いのは事実だと思う。
「別のところでも聞いたことのある困りごとだな」と思っても、話を聞けば、その現場だからこその困りごとなのである。自分の頭の中で「似た困りごと」として分類することはあっても、それぞれに全く異なるストーリーが存在する。それをメディアに簡潔に伝えられる取材力がとても大事で、これはこの先10年経ってもずっと改善していかないといけない私の広報力の一つだと思う。
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